19話 暗殺者と不死の魔女の涙



 ノクスは同業者がララニカの暗殺依頼を受けたと聞き、何も考えずに森まで走った。ララニカの不死が知られれば、彼女は今の生活すら奪われる。それだけは阻止しなければならない。

 それにララニカを守ると約束もした。ノクスを庇って熊に噛み殺されるという苦痛を味わった彼女に、もう二度と痛い思いをさせないと勝手に誓ったから。


(この時間は、泉……!)


 ララニカは朝に必ず水浴びをする。一糸まとわぬ姿で武器も持っていないので完全に無防備だ。暗殺者ならその瞬間を狙う可能性が高い。迷わず泉に足を向け、目に飛び込んできたのはナイフを振りかざす暗殺者と、それを避けるでもなく眺めているララニカの姿。

 彼女は死にたがっている。振り下ろされる刃を避ける理由がない。死ねるものなら死にたいのだから。――ただ。ノクスはと思った。……思ってしまった。

 次の瞬間、強く地面を蹴って向かい合う二人の間に体をねじ込んだ。ララニカの細い首を裂こうとしていたナイフが、ノクスの脇腹に刺さって止まる。驚き目を見開く相手の顔に、即座に自分のナイフを突き立てた。


(あー……やっちゃったな……冷静さを失うなって散々教えてくれたのに)


 ララニカは死なない。分かっているはずなのに、もし何らかの理由で彼女が殺せるようになっていたらと考えて体が勝手に動いてしまった。……ララニカを殺すのは、ノクスだ。それは他の誰にも譲らない。


 刺さったナイフには何かしらの即効性の毒が塗ってあったようで、すぐに意識がぼやけてくる。しかしそんな中でもララニカの怒ったような声ははっきり聞こえた。彼女が声を荒げるのなんて、初めてだ。いつも淡々としていて、強い感情を表に出すことなんてない人なのに。


(俺のせいかな……起きてちゃんと、叱られないと)


 あまり痛みを感じない。麻痺の類の毒だったのだろうか。いくつかララニカとやり取りしたあとは意識も落ちていき、しばらくは闇の中を彷徨っているようだった。しかし時々、ララニカが自分を呼ぶ声がして、消えそうになる意識がそれで引っ張られるように戻ってくる。

 どれくらいそうしていたのか、視界が明るくなってきて目を覚ました。自分の手が温かい気がして視線だけ動かすと、ララニカが傍の椅子に座ったままベッドに上半身を倒して眠っていて、そんな状態のまま自分の手をしっかり握っているのが見えた。


(……よかった。……これで叱ってもらえる)


 意識が戻ったならあとは回復するだけだろう。看病をしてれていたらしいララニカに感謝をしなければならない。……しかし、ずっと手を握っていてくれたのだろうか。なんだかとても嬉しい。

 しばらく彼女を眺めていると、目覚めたようでがばりと体を起こした。すぐにノクスの手首を掴んでどうやら脈を測っている様子だ。


(……どうしよう。すごく心配してくれてる……喜んだら悪いかな……でも嬉しい)


 ララニカにとって自分は必要な存在なのではないか。心配そうな顔をしている彼女に悪いと思いつつも、そんな気がして喜んでしまう。

 脈があることに安心した顔の彼女がこちらに視線を向けて、目が合った。数秒の間、彼女は驚いたようにノクスを見つめる。



「……起きたの?」



 次の瞬間、信じられないことが起きた。ララニカの金色の瞳に涙が浮かんだかと思えば、それは次々に頬を伝って流れ落ちていったのだ。

 想定外の状況に驚いて名前を呼ぼうとすると、喉が張り付いたように上手く声が出せずにせき込んだ。



「眠りっぱなしだったんだから喋れないわよ。薬湯を持ってくるからそこの水でも口に含んで待ってなさい」



 わずかに震える彼女の声が、その涙が幻覚でないことを伝えてくる。言われた通りに枕元に置かれていた杯の水を口に含み、少しずつ喉へ流しながら体を起こした。


(……ララニカが、泣いた……俺が泣かせた?)


 先ほどまで心配されていると喜んでいた気持ちが一気に罪悪感へと傾く。あのララニカが泣くなんて、想像したこともなかった。

 たしかに多少心配してくれたら嬉しいとは思っていたのだ。ララニカの中で、その他の人間よりは自分が重要な位置にいると思えるから。彼女が自分に対して情を持っているだろうことは分かっていたけれど――泣くほど心配するような、深いものだとは思ってもいなかった。

 無茶をするなと、不死ではないのだから自分を大事にしろと、いつものように叱られるくらいだとばかり思っていたのである。


(……まだ泣いてる。……俺、そんなに大事に思われてたんだ。知らなかった)


 ララニカは寿命のあるものを好きになりたくないからこそ、ノクスをあしらうように扱う。しかしそれでも何だかんだと面倒を見てくれるので、もともとの彼女はとても他人を大事にする性格なのだろう。だからこそ死別を重く感じているし、それに疲れてしまったのだと思う。

 彼女の大事なものになれたことは嬉しい。しかしぽたぽたと透明な雫をこぼし続けるララニカを見ていて喜べるはずもない。



「……ララニカ、泣かないで」


「…………勝手に出てくるのよ」


「俺はまだ、死なないから。……ララニカを、殺すまで。安心、して」



 薬湯を作って持ってきてくれた彼女を下手な言葉で慰めてみる。どうにも思っていない外の人間ならいくらでも慰めの言葉は出てくるのに、ララニカを前にすれば何が正しいのかなんて分からない。それでも涙は止まったようだったが、それ以降もなんとなくララニカの様子がおかしいように感じた。

 気のせいかと思ったけれど、その後また眠りについて目覚めたあともこの感覚は変わらない。なんとなく、ほんの少し、前よりもララニカを近くに感じるのだ。……一体何が違うのか。


(……あの、透き通ったような目じゃなくなってる……?)


 不老不死であるが故か、人間とは思えないような、目の前にいても遠くを見ているような透き通った視線を向けてくる。その不思議な目は彼女の特徴の一つだった。しかし目覚めてからのララニカは泣いている訳でもなく普段通りの顔をしているのに、その黄金の瞳は遠くではなくノクスを見つめている気がする。


(……なんだろう。ララニカが俺を見てくれてる気がする、なんて変かな)


 いままでの彼女の視線はノクスに向けられていても、自分を見てもらえているという気はしなかった。まるで――獲物にならない動物を眺めている時の視線と、変わらない。いや、そこまで冷めてもいないがとにかく、別の生き物を見ている目だったのだ。

 それがあの透明な視線の正体だと気づいてから、ノクスは彼女に少しでも特別に思われている証が欲しくなって、何度も告白しては適当にあしらわれていた。ララニカが少しでもノクスを心配するようなそぶりを見せてくれれば、他よりは愛されている気がして嬉しくて。


(ララニカにとって、今の俺はどんな存在なのかな……)


 ノクスの看病をしながら何度も「馬鹿」と口にする。弟子として傍にいた間はもちろん、この家を出てからだってそんなことを言われたことはなかった。というかそもそも、他人に対して罵倒語を使ったのを聞いたことがない。

 しかしその「馬鹿」という言葉に含まれているものが、どうしても悪いものには思えず、自分だけに気を許してくれている証ではないかとさえ思えてきた。



「……貴方が傷つくのは私も嫌よ。自分を大事にして、できるだけ長生きして」



 そう言ってノクスを見つめる金の瞳には、今までに見たことのない感情が浮かんでいる。それが何なのか分からないのがもどかしい。

 絶対に以前の彼女は違う。彼女の中で何かがあったのだと思う。それを尋ねたいけれど、望む答えと違うものが返ってきたらと思うと怖くて尋ねられなかった。

 尋ねる代わりに、彼女の祝福が解けるかもしれない情報を教えた。外の世界から切り離されていたララニカでは旅に不安があるという理由をつけて、案内を申し出る。


(……もっとララニカと過ごしてみたいっていう下心もあるんだけどさ)


 心配なのは事実だが、森の外でも彼女と過ごしてみたいと思う自分の欲があるのも事実である。

 以前の彼女なら、外の世界が大きく変わっていると言っても行き方を聞いて自力で行動したかもしれない。それなら無理やりついて行こうと説得する材料をいくつも考えていた。しかし予想が外れて彼女がすんなりとノクスを頼ってくれたため、二人旅が決定して嬉しさのあまり傷口が開きそうになった。


(夢みたいだな。ララニカと旅行だなんて……ララニカに見せたいもの、いっぱいある)


 目的地にまっすぐ向かう旅だとしても、ララニカにとっては新鮮なものであふれているはずだ。何を食べさせるか、どの宿をとるか。そんなことを考えながらノクスは眠りについた。

 ――その旅の目的が彼女の死だということを忘れて。


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