18話 不死の魔女の変化
「これくらいの小さな実が二つ付いて一房の果実。鮮やかな黄色で、人によっては黄金色って言うかもね。それを食べると願いが叶うんだってさ」
ノクスが人差し指と親指を使って輪を作り、大きさを伝えてくる。その果実の特徴が、私の記憶の中の"最後の果実"と一致して、心臓が跳ね上がるように鳴った。もしかして、本当に。……この地上に、同じものがあったのだろうか。
「大きな事例は二つ。それを食べて不死になった人間と、長寿の祝福を返した人間の話」
彼は件の村へと直接向かい、実際に不死の人間というのを確認してきたらしい。枯れ枝のように細くしわがれたミイラのような姿だが、確かに浅く呼吸していて生きている様子だった。彼の子孫だという男によると、そのミイラはなんと五百年以上も生きているらしい。
「その不死の人間の名前がユージン=ミュラー。まあ本当だとすればミュラー家の子孫は先祖への感謝も情も忘れて、ミイラのようなユージンを見世物にしつつ神の果実で金儲けをしている訳だけど」
「…………ユージン……?」
記憶の奥底にあったものが浮かび上がってくる。不死者とユージンという名前が結びついて、私を突き落として安堵する男の顔が思い浮かんだ。八百年は昔の話なのにはっきりと覚えている。彼は自分の分と私の分の果実を持ち去って、別の女性と結ばれたはずだ。
(果実を食べたなら生きているのはおかしい。……それに、そのユージンという人は老いている様子だし……もしあのユージンだとしたら、結婚した相手は……?)
一つの仮説を思いつき、まさかそんなことがあるのだろうかと考え込む。そんな私の様子を不思議そうに見つめていたノクスが、視線でそれを問うてくる。
「ちょっと覚えのある名前だったから、気になって。偶然かもしれないし気にしないで」
「……そっか。じゃああともう一人の話をするね。これは結構最近の話で、こっちは信憑性が高いよ。長寿の祝福を受けて、周囲との時間の流れが違うことに悩んでいた人間が、その果実を食べてからは他の人たちと同じように年を重ねるようになったって話」
不老不死ほど強力ではないが、ノクスのように強い肉体を与えられたり、歳の取り方が遅い体を与えられたりという祝福は存在するという。その長寿の祝福というのも、肉体が成長すると途端に歳をとるのが遅くなり、通常の人間に比べれば時間の速度は五分の一になる。つまり五年で一歳だけ肉体の年齢が進む。十六で祝福の効果が発動したなら、五十年経って同世代の友人が死ぬ頃にもまだ二十代でいる。子供は自分の見た目を追いぬき老い始め、いつかそれを見送ることになるのは必然だった。
子供や孫という家族がいるのに自ら死ぬなんてことはできずに苦しんでいたその人は、藁にも縋る重いで神の果実を口にする。するとその頃から普通に老いるようになった。自分より少し年上に見える子供がいるものの、孫には看取られて死ねるだろうと。
「これは証言が多かったから本当にあったんじゃないかな。神の果実とやらに何かしらの力があるのは事実だと思う。……どうかな。それ、食べに行く?」
「……そうね。それは……確かめに行きたい、と思うわ」
期待に胸が高鳴る。しかしもし外れだったらと不安になる自分もいる。期待しすぎないようにしなくてはと自分を落ち着かせるが、とくとくと早くなる心臓を思い通りにすることは不老不死の祝福を受けた魔女にも不可能だ。
(……もし本当に祝福が解けて、普通の人間になれるなら……私はようやく死ぬことが……)
そこでふと、思いつく。私はずっと普通の人間に戻れたならすぐにでも死にたいと思っていた。しかし私が今死ぬと――ノクスを一人、残してしまう。死にたがる私を殺すために暗殺者にまでなった、このたった一人の弟子を。
(……ノクスは、私を殺すことをどう考えているのかしら。"君を殺してみせるから結婚して"というけど……私を殺したら、もう一緒には居られない。それは、分かってるの?)
そっと目の前の青年を窺い見る。彼は私と目が合うと、嬉しそうに、褒めてほしそうな顔で笑った。私の望みと彼の望みは折り合いが悪い。彼の言う「結婚」はノクスを遠ざけようとする私から離れなくていい理由、「一緒に居たい」という願いからきているはずなのだ。今はそれに恋愛感情も絡まっていて、私を失ったら彼は強い喪失感を覚えることになる。
「ねぇ、ノクス。その神の果実というのはどこにあるの?」
「結構遠い場所にあるよ。飛行船とか鉄道に乗るんだけど、ララニカは切符の買い方も知らなさそう」
「……それが何かも分からないわね。私はおそらくこの世で最も世間知らずでしょうから」
「だよね。だから……俺が一緒の方がいいと思う。案内しようか?」
旅なら私も経験があるのだが、外の世界は大きく変わっているので頭の中の地理と一致しない可能性が高い。
それでも本来なら一人で行くべきだ。ノクスに頼らず、彼と距離を置いて別れの準備をするべきである。しかし今の私は、もう彼から離れることを考えられないでいる。
じっと私の出方を窺っているノクスも、断られると思っているのかもしれない。彼もまた長い間私を見てきたのだから、私の考えそうなことも思いつくだろう。……まあ、それは以前の私、なのだが。
「……そうね。じゃあ、案内をお願いするわ」
「! うん。じゃあ、二人で旅行だね。色々準備しなきゃ」
私の答えが以外だったのか、一瞬驚いた顔をしたノクスはすぐに嬉しそうな笑顔になって、妙な力の入れ方をしたのか刺された脇腹を押さえていた。怪我人が無理をするものではない。今は旅のことなど考えずにゆっくり休めばいい。
「貴方が戻ってきたら引っ越そうと思ってたから私はいつでも発てるわよ。貴方の傷が治ったら出発しましょう」
「いや、それならすぐにでも行こう」
「ちょっと、馬鹿な事言ってるんじゃないわよ。いくら貴方でもまだ動ける状態じゃないわ」
ノクスの体は回復が早いとはいえ、生死の境を彷徨ったばかりなのだ。それに結構無茶な治療もしてしまった。まだ薬を飲んだり塗ったりしながら養生するべきである。
「ララニカを殺そうとするやつが他にもいるかもしれないし、移動できるならした方がいい。あの暗殺者が依頼を失敗したことは……森の中のことだし、まだ知られてないだろうけど。長期に渡って音沙汰なければ死んだと思われるから」
「わた……」
私なら死なないんだから大丈夫、と言いかけた口を閉じた。長年染みついた思考はそう簡単には消えない。しかしこの考えのままではまたノクスに怪我をさせるかもしれないのだ。私はもう、自分を損なうような提案をするべきではないと知った。……では、代わりに何を伝えるべきか。素直に心配していることを伝えれば、彼は思いとどまるだろうか。
「……でも、貴方の傷が心配よ。無理して悪化でもして……死んだらどうするの」
「ララニカ…………俺は本当に大丈夫だよ。あと一日寝れば全然、動けるから。俺はララニカに嘘なんてつかないでしょ?」
ノクスは驚いた顔をして私を見つめた後、少し慌てたように私を説得し始めた。肯定が返ってこないとは私の言うことを聞かない弟子なので、その意思は固いのだろう。とにかくこの場を移動したいようだから、別の場所に移動したら少しは休んでくれるかもしれない。
「分かったわ。……でも絶対に無理をしないで、休みながら移動しましょう。じゃあ、貴方は回復のためにも横になって。私は旅に持っていく分の薬を作るから」
「……うん」
素直な返事が返ってきたので立ち上がって背を向けた。背後ではもぞもぞと毛布を被ってベッドにもぐりこんでいるであろう音が聞こえてくる。休んでくれるならそれでいい。
「ねぇララニカ。……何か、あった?」
背後から小さく囁くように尋ねられた。私の心境の変化が言動に現れているのだろう、ノクスも何か感じるところがあるようだ。しかしまだ、彼に話せるほど頭がまとまっていない。
「今度話すわ。……貴方は休むことに集中して」
「……うん、分かった」
「…………あと……私を、助けようとしてくれてありがとう」
誰に守られる必要もない、死ぬはずのない体。自分ですら自分を見捨てているのに、そんな私を守ろうとするただ一人の存在。何を無駄なことをと思ったし、私は死なないのだから自分を大事にしろという怒りも覚えた。
けれどそれでも、こうして彼が無事に意識を取り戻した今、安堵と苛立ちの次に出てきたのがくすぐったい感情だったのだ。……多分、それは喜びに類するものである。
しかし誰かに感謝するのなんて何百年ぶりか分からない。なんだか顔が熱いような気がするし、突き刺さるように感じる視線のせいで落ち着かない。
「俺の方こそ……ララニカにはたくさん感謝してる。だから、ララニカに何かしてあげたくてたまらないんだけど……うん。そっか、迷惑をかけただけじゃないならよかったよ」
「もういいから、しゃべらないで寝て。……明日出発できなくても知らないわよ」
「ああ、そうだったね。ごめん。じゃあおやすみ、ララニカ」
「……ええ。おやすみ」
私の中で何かが変わったせいなのか、ノクスとの距離感が変わったような気がする。しかしそれは悪いものではないようなので、気にしないことにした。
近いうちに彼と二人で旅に出る。その旅の終わりに――私は、望むものを得られるのだろうか。
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