17話 不死の魔女と目覚めた暗殺者
ノクスが倒れてから一週間。一度は脈が途絶えたために心肺蘇生術まですることになり、私の心臓の方が止まりそうなくらいだったがそれでも彼は持ち直した。今は少し顔色が良くなってきて、体温も上がっている。このままなら近いうちに目を覚ますだろう。……回復の傾向が見られただけで泣きそうになるなんて、私も大概だ。
それで私も安心した部分があったのかもしれない。気が付くとベッドに頭を預ける形で眠ってしまっていて、ぼんやり意識が覚醒したところで慌てて体を起こす。すぐにノクスの手首を掴んで脈を測るとちゃんと鼓動が伝わってきたので安心した。そして彼の顔色を見ようと視線を動かすと、黒い瞳としっかり目が合う。
「……起きたの?」
「……ん……ラ、らっ……ッ」
「眠りっぱなしだったんだから喋れないわよ。薬湯を持ってくるからそこの水でも口に含んで待ってなさい」
喋ろうとして咳き込むノクスに震えそうになる声を抑えつけながらそう言い、少量の湯を沸かして薬湯を作って持っていく。すると怪我人の癖にいつのまにか自力で起き上がってベッドわきの壁にもたれて座っていた。
「……ちょっと。無理して自分で起きなくてもいいでしょ」
ノクスはゆるゆると首を振って答える。無理はしてないという意味だろうか、それとも別の意味か。分からないがまだ声が出ないのだから会話は無理だろう。私はため息をついてベッドに上がり、匙を使ってノクスの口元まで薬湯を運ぶ。
「不味いけど飲んで。傷の修復が早くなるし、栄養もあるから」
「っぅ……ま、ず」
「不味いだけの効果は保障するわよ」
水を口にしたからか、薬湯の味につい声を洩らせる程度には喉の潤いが戻ったようだ。それ以降は顔をしかめつつも私が運ぶ薬湯を無言で飲み切ったノクスは、一仕事終えたようにため息を吐いた。
「飲み終わったんだからもう寝なさい。次に起きた時には、消化に良い物を作っておくから」
「……ん……ララニカ、泣かないで」
「…………勝手に出てくるのよ」
実はノクスが目覚めた時から、勝手に目から溢れた雫が頬を伝っている。泣き方も忘れるくらいだったのだから涙の止め方だって覚えていない。
ゆっくりと伸ばされたノクスの手が私の目元に触れ、親指で優しく涙をぬぐった。固くて乾燥した指先の感覚が皮膚を擦って、熱い。……何故か涙は止まった。
「俺はまだ、死なないから。……ララニカを、殺すまで。安心、して」
「……私を安心させたいなら寝て。早く元気になることね」
「やっと、ララニカに、会えたのになぁ……寝なきゃだめ……?」
「だめよ。寝なさい」
駄々をこねていた割に、ノクスはベッドに横になって数分もするとすぐに寝息を立て始めた。体がそれだけ睡眠を欲しているのだ。眠っている彼の顔にかかる髪をそっと払って、死にかけの子供を拾った時のことを思い出す。あの時は、こんなに感情を揺さぶられることもなかった。
「……じゃあ、行ってくるから。ちゃんと寝て回復するのよ」
目を覚ましたなら大丈夫だと思っているはずなのに、それでも心配で何度か家を振り返りながら森へ出た。採集の目当てはモヌル芋である。すぐに見つかったのでついでに野鳥を一羽狩って帰宅した。
肉は食べられないとしてもその滋養が染み出たスープなら口にできるだろう。芋粥の出汁に鳥を使った。残った肉の部分は私が消費する。
(ノクスは……次はいつ起きるかしら。これはあの子が起きたらもう一度温めて……)
そう思いながら振り返るとノクスは私が気付かぬうちに目を覚ましていたようで、またベッド脇の壁に寄り掛かりながらこちらを眺めている。私と目が合うと嬉しそうに微笑むので、心配している自分が馬鹿らしくなって肩の力が抜けた。
「ちょうどできたところだけど、食べれそう?」
「うん。食べられるだけ食べるよ」
「…………それ、無理して食べるって意味じゃないわよね?」
死にかけの子供だったノクスが目覚めた時にも同じものを作った。その時は彼が加減もせずに食べてしまい、吐き気を訴えていたことを思い出して眉を顰める。するとノクスは少し不満そうに黒い目を私に向けてきた。
「もう子供じゃないんだからさ」
「……それもそうね」
あの時の子供はノクスに違いないが、ノクスはもう成長して大人になった。あれからもう十年以上経つのだから色々と変わって当然だ。ノクスも――そして、私の心も。
器に注いだ芋がゆをベッドまで持っていき、ノクスに手渡そうとするが彼はちょっと困ったような顔をした。
「まだあんまり手に力が入らないかも。……食べさせてくれないかな」
「……そう。仕方ないわね」
湯気を立てる粥を一匙掬っては息を吹きかけて冷まし、ノクスの口元に運ぶ。器の中が残りもう少し、というところで「もう食べられない」と言われたため、片づけた。
ノクスは食べた直後なので暫くは横にならずに壁にもたれていたい、とそのままの姿勢でいる。私はひとまずやることもないため、看病のためにベッド脇に置いていた椅子に座った。
「食べさせてもらうのは嬉しいけど、やっぱり子供扱いされている気分になるよ」
「……私は貴方を子供だとは思っていないわ。馬鹿だと思ってるけど」
心外だと言わんばかりの顔する彼をじとりと睨んだ。元から細いのに肉が落ちて、頬が少しこけてしまっている。それでもどこか、その弱った姿が色気に変わるような整った顔立ちをしていて、あまり具合が悪そうにも見えないのが腹立たしい。本当はまだ体がしんどいはずなのに、このような
「馬鹿でしょ。……死ねない私を、庇うなんて。貴方の方が死にそうになって、私がどれだけ……」
それ以上の言葉は唇を噛んで飲み込んだ。心配だった、不安だった、ノクスを受け入れればよかったと後悔もした。彼が目を覚ました驚きと安心で心の底に潜っていたそれらの感情が、再び顔を出そうとしてくる。
「ごめんね、ララニカ。あの時は……咄嗟でさ。ララニカが不老不死なのは分かってるはずなのに体が動いちゃった。……君を傷つけたくなかったのに、傷つけたかな」
「馬鹿ね、怪我をしたのは貴方なのよ」
「うん。でもそのせいでララニカも傷ついたみたい。……心配されるのは嬉しいけど、君の泣く顔なんて初めて見た。もう泣かせたくはないなぁ……」
しゅんと落ち込んだような顔で弱弱しく呟く彼に胸が苦しくなる。私とてノクスに傷付いてほしくないのだが、それはお互いにある感情なのだと理解した。ノクスがこうして怪我をして私が堪らない気持ちになったように、私が自分を投げ捨てるとノクスはそれを見ていられない。だから私は彼のためにも自分を大事にするべきなのだろう。もうずっと、そんなことは忘れていたけれど。
「……貴方が傷つくのは私も嫌よ。自分を大事にして、できるだけ長生きして」
そうしてできる限り顔を見せに来てほしい。いや、むしろ一緒に居たいと思っている。私はもう、このような別れ方は嫌だとはっきり認識してしまったのだ。せめて生きていられる短い時間を一緒に過ごしたいと思ってしまった。しかしそれを――彼の好意を拒絶し続けた私が、どのような言葉で伝えればいいのか。まだ考えがまとまっていなかった。
「ララニカ……君、何か……」
「…………何よ」
「……ん、やっぱりなんでもないよ。ああ、そうだ。君にお土産があったんだけど……」
「ああ、貴方の荷物ならまとめあるから今持ってくるわ」
懐を漁ろうとして、元の服を脱がされていることに気づいたノクスが私に視線を向けてきた。彼の血まみれの服は洗ったし、荷物や服の中に仕込まれていた道具などは分けてある。それらをまとめて入れてある籠を持ってきて渡すと、中身を確認したノクスは血で汚れた紙切れのようなものを見て肩を落とした。
「写真、だめになってるね。穴空いてるし」
「……ちょうど刺さったところにあったんでしょ。仕方ないわよ」
「ネガは残ってるからもう一回現像するよ。今度こそ見せるから」
「……もう一回って、同じものが出てくるの?」
写真というのは一度撮ればその時の風景を何度も取り出せるらしい。とても不可思議な技術で、私にはよく理解できないがすごいものである。特別な道具さえあれば一瞬ではなく動き自体が撮れると言われたがもっと意味が分からなかった。
「あとね、こっちの方が重要。……もしかしたら君の祝福が解けるかも」
「……え?」
「願いを叶える神の果実が北端の村にあるって噂を聞いてね。調べたらどうも本当に何かあるみたいだから……試してみる価値は、あるんじゃない?」
思いもよらない言葉に固まった。私の祝福が解けるかもしれない、神の果実。心臓がどくどくと音を立てるのは期待なのか、不安なのか。知らずのうちに私は、ぎゅっと己の手を握りしめていた。
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