13話 不死の魔女と写真
「ララニカを殺す以外の方法もあるんじゃないかって最近思い始めたんだよね」
彼が生み出した、そして私が過去に作りだしたこともある緑色の毒が入った小瓶をテーブルの上で転がしながら、ノクスは呟いた。
「……どういう意味?」
「永遠の眠りにつかせるとか、あるいは俺が不老不死になるとか、ね」
人を冷凍することで冬眠させ、永遠に眠らせるという技術が最近研究されているらしい。常人が耐えられるようには出来ていないが、不老不死の私なら死なないのでただひたすら眠り続けるだけになるのではないか、という。
「……それ、私が不老不死であることが知られるうえに、誰かに起こされたら終わりよね」
「そうなんだよね。俺が永遠に生きて管理できればいいけど……でも俺も不老不死になったら、ララニカと一緒の時間を生きられるじゃんって思ったりして」
「……なろうと思ってなれるものでもないし、望まない方がいいわよ、こんな体」
終わらない人生の何がいいのかが分からない。人は死ぬからこそ生きている間にやり遂げようと努力できる。不老不死を求める権力者の気持ちは全く理解できなかったし、死にたくないと願える人間が羨ましい。私は、死ねるなら今すぐにでも死にたい。
「ごめん。……無神経だったね。君の前で不老不死になりたい、なんて言うのは」
「……気にしてないわ。こんなことで怒るほど、若くもないもの」
今まで充分怒ったし、憎んだし、恨んだ。でもそれも全部過去のことだ。怒りを覚えてもすぐに霧散する。私の心はあまり物事に動じなくなった。それが寿命のない生き物の宿命なのかもしれない。
「君の祝福を解いて、苦しませずに殺すのが一番だと思ってる。でも……その方法がなかなか見つからなくて、さっきのはただの逃げの戯言。……今度は北方にでも遠出してみるよ」
「そう。じゃあまた暫く来なくなるのね」
「うん。……ララニカに会えないと寂しい」
黒い瞳が熱のこもった視線を送ってきた。私のことを忘れるどころか、会う度にその熱量を大きくしているような彼に、応えられない私は首を振るしかない。
「君に会うのを我慢して研究した毒の結果がコレだから、ちょっとへこんでるんだよね」
「……私がその毒を作るまでには三十年かかったわ。貴方は優秀よ」
「君を殺せないなら意味ないよ。……ああもう、ほんと……君と結婚したいのに」
今日の彼は随分と落ち込んでいるようだ。時間をかけて作り出した、自信作の毒が無意味だとつきつけられたせいかもしれない。全く新しい毒ならあるいは――そう考えたのに、これからどんなに新しい毒を作ろうとすでに私が作り出して試してしまっている可能性があると、無駄になってしまうと気づいてしまったからだ。
「俺の時間ばっかり過ぎていく。……焦りもするよ」
「貴方はまだ若いんだから、諦めて別の道を生きるべきだと思うわ」
「俺の道は一つだよ。たとえおじいちゃんになってでも君を殺す方法を見つける。……君をこの世に残していかないって決めたんだ」
机から顔を上げたノクスはまっすぐに私を見つめて、そんなことを言うものだから私も落ち着かなくなる。……期待したくなるから、やめてほしい。希望を持たせないでほしい。それが叶わないと知った時に、絶望しなければならなくなるのだから。
「あとね、最近この辺で病が流行ってるみたいだから気を付けて」
「……私、死病に罹っても死なないわよ」
「そうだけど……君は死なないだけで苦痛がないわけじゃないから」
不老不死の私を心配する変わり者の暗殺者に「貴方こそ気をつけなさい」と返した。私と違って彼は体が丈夫なだけで、死なない体ではないのだ。彼の方が病に罹っては大変である。
「いろんな毒の耐性はつけてるんだけどね。病気は難しいなぁ」
「……そういうのは体に負担をかけるわよ。寿命が縮むわ。やめておきなさい」
毒の耐性をつけるといえば聞こえばいいが、弱い毒を取り込んで体にダメージを与えているのは間違いない。たしかに同じ毒を体内に入れた時には解毒が早くなるかもしれないけれど、総合的には寿命を削る行為である。
ただでさえ短い人間の寿命を、さらに削るなんてやめるべき行いだと私は思っている。
「……心配してくれてる?」
「……なんで嬉しそうにするのよ」
「ララニカが俺に愛情あるって気がして、嬉しいから」
そうしてニコニコ笑うノクスの顔を見て、思わず眉が寄った。確かに私は彼に情がある。できるだけ長生きしてほしいし、幸せになってほしい。けれどそんな私の思いとは裏腹の行動をする彼に、苛立ちを覚えることもある。
こんなに感情が波立つことは、彼を拾うまでなかった。人と関わると心が揺れる。忘れていた希望も思い出してしまう。……だから、私はノクスが苦手だ。
「ねぇララニカ。写真撮らせてくれない?」
「……シャシン?」
「うん。絵みたいに描くんじゃなくて、そのままの姿を映せるものだよ」
何を言っているか分からずに首をかしげると、ノクスはくすくすと可笑しそうに笑った。外の世界では新しい技術が発展していて、目に見えるものをそのまま紙に映しとるという不思議なことができるようになっているらしい。
「……ちょっと意味が分からないわ」
「実際に見てみないと分からないかも。……実はカメラも持ってきたんだ。写真があればララニカと長く離れても寂しさがまぎれる気がするし。ね、一枚だけ」
「……好きにしなさい」
ノクスが何をしたいのかは分からないが、彼は私を殺す以外の危害を加える気がないので、特に危ないものでもないはずだ。
私が許可を出すと彼は嬉しそうに箱のようなものを取り出した。そうしてその箱を顔に当て、椅子に座る私に向けて、あちこち移動し始める。そんな奇妙な彼の姿に片眉が上がった。
「そんな顔しないでよ。綺麗に撮りたいんだ」
「……その箱越しに見えるのね」
「うん。ここから見えるものを切り取ったみたいに映すんだよ。……この角度かな」
どうやら位置が定まったようだ。ただ奇妙に見えるノクスを眺めていると「じゃあ撮るよ」と声を掛けられ、眩しい光が辺りを包んだ。目が眩むほどの強い光に驚いて、何度か瞬く。まだ目の中に光が残っているような感覚。
「……眩しいわよ」
「写真を撮る時に必要なんだよ。これでさっきのララニカの姿は写真に撮れたはず」
「へえ。それは見てみたいわね」
「現像しないといけないから時間かかるよ。でも、次に来る時は見せるね。綺麗に撮れてるといいなぁ」
ノクスはやけに嬉しそうだ。写真とはそんなにいいものなのだろうか。いまいち上手く想像できないが、彼がそこまで喜ぶならいいものなのだろう。
(……少し、楽しみ……かしら)
ノクス以外の人間と完全に関わりを断って、百年。人間はその間に目覚ましい進歩を遂げたのかもしれない。彼が持ってきた品々も便利な道具が多いし、驚かされるばかりだ。
しかし二十歳を超えた彼がこの家を訪れるのは、せいぜいあと四十年。それを境に、私はまた外界とは隔離されるだろう。
(……そうなったら、引っ越そうかしら)
この家には――ノクスとの記憶が、多すぎる。どこを見ても、子供の時のノクスや今の彼の姿が思い浮かんでしまう。一人取り残された世界で、暮らしのふとした瞬間にそれらを思い出すのは苦しいような気がした。
「ノクス。……貴方の写真は撮らないの?」
「俺の? 俺は別にいらないから」
「……私がもらうのよ」
ノクスがこの世を去って、私がこの家から出て、別の土地に移動したとしても。いつか心の整理がついた時に、彼を思い出したくなる日がくるかもしれない。その時になって顔も思い出せなくなっていたら嫌だった。
だからそのままの姿を残して置けるという、写真なるものがほんの少し欲しいと思ってしまった。
「……うん。いいよ、じゃあララニカが俺を撮って」
「使い方が分からないんだけど……」
「教えるからさ」
カメラの扱いを教わって、言われたとおりにボタンを押す。カメラ越しに見たノクスはそれはもう嬉しそうに笑っていて、この瞬間を残せるなら確かにとても良いものだと思った。
しかし次に彼が訪れたとき、その写真を見ることは叶わなかった。
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