12話 不死の魔女と大人になった暗殺者
ノクスが外の世界から道具を持ってくるようになったため、私の生活が格段に楽になった。調理道具から狩猟の道具まで、私が知らないうちに随分と進化していたらしい。包丁やナイフの切れ味に驚いたし、一回指を落としてしまった。……まあすぐ治ったので問題はない。
他にも服やろうそくを作る必要がなくなり、時には保存食なども持ち帰ってくるため食事にも余裕ができて――数十年後、彼がいなくなった時。この便利さに慣れていたら不便な生活に戻れるかどうか心配になってくる。
ここ数年で私の生活は驚くほど変わってしまった。外の世界は随分と発展しているようだ。
「ララニカを殺す方法はまだ見つからないよ。君を苦しめたくはないし、楽に死ねるような方法で探してるんだけどさ」
「だから無理よ」
「……俺、これでも一流の暗殺者なんだけどなぁ。君を殺せる日はまだまだ遠いね」
私の目の前に座っているノクスは十八歳を過ぎている。おそらく私の年齢が止まった頃を追い抜いただろう。栄養失調の子供だった頃の姿は見る影もなく、長身ですらりと引き締まった、鍛えられた体になっていた。
もう何人も人を殺して、人殺し特有の闇の空気を背負っている。外の世界での彼はそれなりに名の知れた暗殺者になっている、という。……彼自身の話なので、全てではないのかもしれないが。
(善の殺し屋……ねぇ……)
どんなに警備の固い屋敷でも入り込んで必ずターゲットを暗殺する。しかしそのターゲットは悪人に限り、依頼料は依頼人とターゲットによってノクス自身が決めるらしい。善の殺し屋だの正義の執行者だのというような二つ名もついているのだとか。
民衆からの支持を得ながらもお尋ね者という、奇異な存在。決して褒められた行為ではないし、私も称賛はできない。ただ彼の仕事を求めるほど苦しい人間も外の世界にはあふれていて、彼を恐れる悪人もたくさんいるのだろう。
けれど私を不満げに見つめる黒い瞳には、やはり少年の頃の面影が残っていて、彼が暗殺者になったことがいまだに信じられない気持ちもあった。しかし彼の纏う闇の気配がそれを否定する。……人を殺したことがあるかどうかは、見れば分かるものだ。殺された経験を多くしている私がそれを見間違えることはない。
「俺は君と結婚するために日々努力してるんだからね?」
「私は諦めなさいと常々言っているけどね。……あと、その話し方は何? 何か前と違わない?」
どことなく甘えたようにも感じる、優しくて柔らかい口調。以前来た時はまだ子供らしい感じだったのに、今日はなんだか随分と調子が違う。子供の様に甘えているように見えて、妙に色気を含んだような声色というか、なんというか。相手を誘惑するような響きと言えばいいだろうか。
暗殺者として、相手を油断させる技術の一つかもしれない。それについて尋ねると彼は少しばつの悪そうな顔をして、そっと目をそらした。
「こういう優しい感じの男が最近の流行りなんだよ。女の子に受けがいい」
「へぇ」
「……興味なさそうだね。ララニカに通じないなら意味ないや」
ノクスはぱたりと力なく机の上に上半身を投げ出す。私は一度席を立ち、秋の果実で作るジュースをコップに注いで彼の前に置いた。これでも飲んで元気を出しなさい、という意味だったがそんなジュースの入った器を、ノクスは目を細めて見ている。
「ねぇ、まだ俺を子ども扱いしてるのかな」
「そんなつもりはないけど。……でもこれ、貴方は喜んで飲んでたでしょう」
「やっぱり子ども扱いしてるよね。……好きだけどさ、秋の果実のジュース」
体を起こした彼はジュースをちびちびと飲んでいる。美味しいものを少しずつ味わおうとするのは、彼の癖の一つだ。そんな姿を微笑ましく思いながら丸太の椅子に横向きに腰かけて足を組み、上半身だけノクスの方を向き机に頬杖をつく。だらりと体の力を抜いた姿勢だが、ノクスの前なら構わないだろう。
(子供、と呼べる年齢ではないのかもしれないけれど……それでも私にとっては、一緒に暮らした二年間の印象が強いのよね)
度々訪れては物騒な愛の告白をしてくる彼だが、それは森を出ていく前と変わらぬセリフでもある。
「今日は泊っていくの? 寝袋が見当たらないけど……くっつけばギリギリベッドには入るかしら」
「…………あのねぇ、ララニカ。俺は男なんだけど?」
「知ってるわ。裸を見たこともあるのに間違えるわけないでしょう」
一緒に水浴びをした仲だというのに何を言っているのか。何なら彼の身体を洗ってあげたこともあるのだ。たしかにノクスは柔和で優しい顔つきであり、体格も男にしては細く見えるので女装でもすれば分からないもしれないが、彼が男の子であることは見間違いようがない。
「ララニカは全然分かってないね」
椅子から立ち上がったノクスはこちら側に回ってくる。何をする気かと顔だけ彼の動きを追っていたら、私の体を両腕で挟むようにテーブルに手をついて、上から覗き込んでくる。まるでテーブルとの間に閉じ込められたような状態だ。
「……俺は、君のことが好きな、大人の男だと言ってるんだけど」
彼の漆黒の瞳に、強い欲の色が見えた。熱に浮かされたようなその視線に、たじろぐ。……それがどういう欲求なのか、分からないほど経験がない訳でもない。
ただ、私を飼っていた人間のように淀んだ視線でもないので不思議と嫌悪感はなかった。私の意思を無視することはない、というのが分かるからだろうか。
「ララニカ。……まだ俺と同じベッドで寝るって言える?」
「……ごめんなさい。もう言わないわ」
「そう。分かってくれてよかったよ」
すっと離れて私を開放したノクスは気まずそうに視線をそらした。いつからなのだろう。彼が私に、そういう欲を持つようになったのは。
ずっと彼を子供だと思い込んでいたせいで、目が曇っていたのかもしれない。全く気付けていなかった。
「貴方の感情は、よくある子供の勘違いだと思うのよね。私への感謝とか信愛とか、そういう感情を恋だと誤認したの」
「っ……俺は、そんなんじゃ」
「最後まで聞きなさい。……私はそう思っていたし、今でも始まりはそれだと思ってる。けれど少なくとも今は違うんだっていうのは分かったわ」
始まりは誤認だったとしても、彼は外の世界へ出た後も私を求め続けた。子供から青年へと変わる中で、彼の好意は変化していったはずだ。だって、子供の頃の彼はこんな目をしていなかった。
今のノクスは本当に、心の底から私を求めている。それは恋というような可愛らしいものではない気がするが、その類の感情ではあるだろう。それは、理解した。……いや、させられたというべきか。
「でも私は、寿命の違うものと結ばれる気はないわよ」
ノクスが心底私を望んでいるとしても、私を本気で異性として愛して伴侶にしたいと願ったとしても、私がそれに応えることはない。弟子としてであってもこれ以上傍に居たくないと思ったくらいだ。人間に恋愛感情など、絶対に持ちたくない。
「……分かってるよ。だから俺は、必死に君を殺す方法を探してるんだ」
「そんなものはないと言ってるじゃない」
力なくため息をついたノクスはその場にしゃがみ込み、甘えるように私の膝の上に腕と頭を乗せてきた。そのまま私を上目遣いに見つめてくる。
「それでももし俺が君を殺せるって分かったら……俺と結婚してくれる?」
どこか悲壮にも感じられる、懇願の言葉。私をまっすぐに貫く黒い瞳の視線から、目をそらすこともできなかった。それ程に彼の意思は強く、私を捕えようとする。
「…………本当にそれができるのなら、ね」
「! うん。……約束だよ」
おそらく、この時私は初めてノクスの求婚を肯定した。そしてノクスは心底嬉しそうに、屈託なく笑って約束だと口にする。
とんでもない約束をしてしまったものだ。……ただ、私はそう笑う彼にほんの少しだけ、期待もしてしまった。
(……本当に死ねるというなら……死にたい。ノクスが殺してくれるなら……私は……)
そんなことはありえないと否定する自分と、彼が目標を叶えてくれないかとかすかな期待をする自分。諦めたはずの死を、こうも何度も贈ると言われては心が揺さぶられてしまう。
(期待してはだめ。……ノクスをいつか、私が見送ることを……覚悟、しなくちゃ)
彼の努力が無駄に終わる可能性の方が遥かに高い。私は死ぬことが出来ず、彼が寿命を迎えてしまい、また一人に戻る。そうなるのだと思っておかないと、私はまた深い絶望を味わうことになるだろう。深呼吸をして、自分の心を整える。……大丈夫、期待などしない。
「それでノクス、今日はどこで寝るの?」
「外にテントを張るよ。この辺りは獣避けも虫よけも完璧だから安心して寝れる」
この家を荒らされないように、獣が近づかない仕掛けや虫を寄せ付けない薬などの対策が周辺に施してあるので、家の近辺に寝るなら確かに安全だろう。
それでも家の中の方が気温などは安定しているし快適に思えるが、彼はどうやら家の中に泊まる気はないらしかった。
「そう。……もうこの家では寝ないのね」
「好きな人と同じ部屋で一晩って、結構大変だからね? ララニカは無防備すぎるんだよ」
「それは私が不老不死なせいでしょうね。……自分の身を大事にしよう、という気が起きないの。防衛本能が消えてるんだわ」
人間には防衛本能が備わっている。顔に何か飛んできたら反射的に手で庇ってしまうし、避けようともするだろう。しかし私はきっと、庇いも避けもせずそのままぶつかってしまうはずだ。
きっと今まで死に過ぎたのだ。そして、生き延びたいという気持ちもさらさらない。私には、自分を守るという感覚がないのである。
「じゃあ代わりに俺がララニカを守らないとね」
「……私を殺す予定なんじゃないの?」
「うん。……でもそれまでは、俺が君を守る。君に痛い思いなんて……もう二度と、させない」
彼の前で私が大怪我をしたのは、熊の一件くらいのものだ。どうやらそれはいまだに彼の中で尾を引いているようだった。
(どうせ死なないんだから、守る必要なんてないのに)
私には危機感が欠如していた。それが、いつか後悔を招くなど考えもせずに。
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