11話 不死の魔女と子供のような暗殺者



 朝目覚めると、私の体はぬくもりに包まれていた。しばしぼんやりとした頭で何が起きているのか考えて、どうやら眠る時は背を向けていたノクスが寝ているうちに私を抱きしめる体勢になったのだと気づく。


(……やっぱり子供ね。無意識に甘えが出るなんて)


 目を閉じて小さな寝息を立てている彼の顔はまだあどけなさが残っていて、やはり人を殺しているなんて信じたくなかった。

 私や彼のような目に遭う人間を減らしているということは、奴隷をいたぶる趣味の金持ちを殺しているのだろう。彼自身の恨みもあるのかもしれない。……幼少期に負った心の傷は、そう簡単に癒えはしないから。



「ララニカ……」


「何?」



 呼びかけられたので目覚めたのかと思ったが、ノクスの目はまだ瞼の中に隠されている。どうやらこれは寝言であるらしい。……夢でも私を見ているのだろうか。



「……すきだよ……ずっと一緒に居て……」



 いまだに目を開けていないノクスが、かすれた小さな声で呟く。これは彼の、別れたあの日から変わっていない願いだ。しかし私はそれに応える気はない。私の考えもまた、五年前から変わらないから。



「……だめよ。私と貴方は、生きる時間が違うもの」



 離れていた五年間、彼は何を思って、どう生きていたのだろうか。外の世界にでて、たくさんの人間と関わったはずだ。それでもなお、私に執着し続けている。森の外はそんなに酷い世界になっているのだろうか。

 そう思いながら彼の顔を見ていると、目が合った。どうやら目を覚ましたらしい彼は数秒私の顔を見つめ、ばっと音がするほど勢いよく私から離れた。



「お、おはようララニカ。ごめん、俺……」


「別にいいわよ。昨日は寒かったし、貴方もまだぬくもりの欲しい年頃よね」


「いや、ちが……っ」



 ノクスは恥ずかしいのか赤面して言葉を詰まらせていたが、深呼吸をひとつして自分を落ち着かせた。離れている間に一瞬で心をなだめる技術を身に着けたらしい。

 森の外には、私以外の師もいるのかもしれない。……彼に人殺しを教えた、師が。


(余計なことを……って、私は何を考えてるのかしら。ノクスは森を出た。追い出したのは私。……そのあと、どうなっても私が口を出すことじゃない)


 森の中の閉じた世界ではなく、森の外で他の人間と関わって、外の世界で生きるようにと彼を追い出したのは私だ。外の世界で私の想像とは違うことが彼の身に起きたとしても、私が何か言えるような立場だろうか。



「私は水浴びに行くけど、ノクスも行く?」


「……行くわけないでしょ」


「……前は一緒に水浴びしたじゃない。そんなに嫌がらなくてもいいのに……」


「出ていく頃にはしてなかったよ」



 たしかに、熊に襲われた後に一緒に水浴びをしたのが最後だったような気がする。最初の頃は私が体を洗ってあげていたのに、その頃からは一人でできるようになったからと水浴びの時間までずらすようになっていたことを思い出した。同時に、自分の手の届きにくい背中などちゃんと洗えているのかと気になっていたことも思い出す。



「久々に背中でも洗ってあげようと思ったのよ。ちゃんと手は届く?」


「……あのね、ララニカ。俺はもう子供じゃないんだから子ども扱いはやめてよ」



 子ども扱いはやめて、とベッドの上で胡坐をかきながら拗ねたような顔をする彼がどうしても可愛い子供に見えてしまう。私からすれば十五歳は本当に子供なのだ。その年齢は私がまだ、普通の人間だったころである。懐かしすぎて記憶が朧げなほどであり、自分が何を思って日々を暮らしていたかも覚えていない。



「そうね、もう十五歳だものね」


「……ねえ、まだ子ども扱いしてるよね」


「私からすれば人間なんてみんな子供みたいなものよ。じゃあ、水浴びに行ってくるけど……貴方は帰ってもいいし、残るなら朝食でも作ってもらえると助かるわ」



 そうして日課の水浴びに出かけ、洗濯を済ませてから帰ると家から空腹を誘う、いい匂いが漂ってきた。どうやらノクスは帰らずに朝食の支度をすることにしたらしい。

 しかし嗅ぎなれない香りがする。外から持ち込んだ食材を使ったのかもしれない。



「ただいま、いい匂いね」


「おかえり。……食べる?」


「ええ、頂くわ」



 いい香りのスープと茶色く楕円形の物体が出された。見慣れないその茶色の物体を手に取ってみる。固いが香ばしくていい匂いだ。力を入れると音を立てて割れ、表の色と違い中は白い。それでこれが、何であるかを思い出した。



「これは……パン、かしら。久々に見たわ。こんな形はしてなかったと思うけど……色も違うし」


「……ララニカは世間から切り離されてるからね。スープは固形のコンソメを使ったよ」


「コンソメ……そう。人の世界は、変化が激しいものね。私が知らないものも増えてるでしょう」



 コンソメのスープにも、変わった肉が刻まれて入っていた。それはベーコンと呼ばれる肉の加工品で、生肉よりも長持ちするという。

 私が引きこもっている間に、外の世界は大きく変化しているのだろう。この森に引きこもって百年だが、それ以前もそもそもほとんど人間と関わらないように人里離れた場所に暮らしていた。人間は知恵のある生き物なので、文化や技術の変化が目覚ましいことは理解している。私は完全に、時代に取り残されているようだ。



「でもララニカしか知らない、古い知識もある。植物から作る薬の知識なんて大部分が失われてるみたいで、暗殺者の中でも俺が一番毒に詳しいくらいだ」


「そう。……人間の生は短いものね。受け継ぐのに失敗すると、失われるものも多いわ」



 だから人は記録を残すのだが、時代によっては時の権力者にとって不都合な歴史が闇に葬られたり、知識を悪として燃やしたりするため、後世では分からなくなってしまったということがままある。

 薬草術の知識はそうしてどこかで途切れたようだった。まあ人を殺すための毒の知識など受け継がれない方がいいのかもしれないが。



「……私たち……天族って、外ではどういう扱いなの?」


「おとぎ話の存在かな。本当に存在したって信じている人間の方が少ない」


「そう。まあ……生き残っているのは私だけだし、私もずっと人前に出てないからそうなるのが自然ね」



 ノクスによると天族の話には脚色が加えられ、翼が生えていて空を飛ぶだの、実は神の遣いだったのに人間が欲を出したからこの世から去ってしまっただのと言われているらしい。くだらない話だ。

 私たちは不老不死なだけで、それ以外の特別な力はない。身体能力は普通の人間と変わらないため、大勢で攻められたら叶わない。だから侵略に対し、自決という方法をとるしかなかったのだ。



「ララニカの存在が公になったら大変なことになる。……俺は絶対に誰にも言わないけど、俺以外が心配だよ」


「人に知られたらまたどこか、人のいない場所を探して暮らすだけよ。人間に捕まるなんて二度とごめんだわ」


「うん。……貴族がララニカを見つけたら大変だ。酷いことをするのは間違いない。……まあ、そうなったら貴族を殺してララニカを助け出すから安心して」



 そう言って笑ったノクスは、何かを上手にできたときに褒めてほしそうにこちらを見る子供の時の様子によく似ていた。しかし私が、人殺しそんなことを褒めるはずがない。軽く眉を寄せて、小さくため息をつく。



「貴方がいなくなった後に捕まるかもしれないでしょ」


「俺がいなくなる前にララニカを殺すから大丈夫」


「……ノクス……貴方は……そんなことに一生懸命になる必要はないわ。人の時間は短いの。死ねない魔女のために、有限な貴方の時間を使わなくていい」



 私を殺す方法など存在するはずがない。しかし諦めるように諭す度に、彼の黒い瞳の中で熱のようなものがうごめいて、強くなるように感じるのは何故だろうか。



「俺は諦めないよ、ララニカ。……ララニカのために、ララニカを殺す。だから……待ってて。それと、俺以外と結婚しないでね」


「……するわけないでしょう」


「うん。じゃあ、安心した」



 貴方とだって結婚できない。という言葉を続けるには、ノクスがあまりにも嬉しそうに笑っていて、それを壊すのが無粋に感じられた。私は言葉を飲み込んだ代わりに、一つため息をこぼした。



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