10話 不死の魔女と暗殺者になった弟子



 ノクスが私の元を去って、五年が経った頃。夜の食事を終えてくつろいでいると家の扉を軽くノックする音がした。この家を訪れる者がいることに驚きながらそちらに顔を向ける。鍵のかからない扉を開いて現れた顔は、成長していたが見覚えのあるものだった。



「……ノクス?」


「久しぶり、ララニカ。この扉、ノックするだけで壊れそうだよ。 まあ、ララニカからすれば誰か来る想定はしてないのかもしれないけど」



 ニコニコと笑って私を見るノクスに何か異様な雰囲気を感じる。彼はもう十五歳となったはずで、背が随分と伸びて私より目線が高くなっており、輪郭も子供らしい丸さがとれて大人に近づいていた。

 ただそういった成長とは何かが違う変化がある。以前のノクスにはない異様な空気を纏っている。



「……貴方、何してきたの?」


「言ったでしょ、俺はララニカを殺す方法を探すって。今は人を殺す技術を高めてるところだよ」



 息を飲む。私は彼に一人で生きていけるだけの知識と、技術を教えた。それは自分の身を守る方法、生き抜く術であると同時に――使い方によっては、他者を害し、命を奪うことに応用もできる力だ。



「…………人を殺したのね。私が教えた知識を使って」



 低い声が出た。人の命は死ねるからこそ尊いもの。限りあるからこそ大事にするべきもの。それをいたずらに奪うなんて到底許せることではない。私の教えをそれに使ったなんて、あってはならないことだ。自分でもノクスを見る目が冷たくなるのが分かる。

 私にとって生と死がどのようなものかを彼は知っているはずだ。私は死を羨んでいるが、だからこそ命を大事にするようにと彼に教えてきたつもりだった。……この五年で彼は私の教えを忘れたらしい。


(失望してしまうわ。……あんなに、いい子だったのに。人殺しになるなんて)


 しかしそんな私の視線を受けたノクスはとても傷ついたような顔になった。まるで雨に打たれて震える弱弱しい子猫のような風情で、こちらがたじろぎそうになる。



「俺は悪いやつしか殺してない。そういう仕事をすることにした。俺やララニカみたいな目に遭って、死ぬ人間が減れば……人を簡単に死なせるような奴を殺すなら、助かる命だってあるでしょ……?」


「それは……」



 ノクスの言葉を否定しきれなかった。たしかに「いなくなった方が助かる命が増える人間」は存在する。何人も奴隷をいたぶって死なせる金持ち、罪のない人間を無差別に襲う殺人鬼、他人の資産を狙って時には命をも奪う強盗など、多くの人間から「いなくなればいい」と望まれるような生き方をする人間。

 しかし、それは。……殺しの依頼を請け負う暗殺者とて、同じようなものだ。たとえ悪人しか殺さないのだとしても、悪人から恨まれて死を望まれる。そういう存在に彼はなってしまったというのか。



「ララニカ、俺のこと嫌いになった? 俺は……ララニカの教えは忘れてないつもりだよ。嫌いにならないで」



 今にも泣きそうな顔でそんなことを言われてはこれ以上叱ることもできない。一度は膨れ上がった嫌悪感も小さくしぼんでしまった。

 人殺しに、暗殺者に育ってしまった弟子に失望した気持ちはまだあるのに、私の望みを叶えたいと言って一途に私を殺す方法を探し続けているらしい彼を完全に拒絶する気にもなれなかった。……扱いに困るというか、接し方に迷う。どうしてこうも拗れた成長をしたのか。


(私の育て方が悪かったのかしら……まあ、それもありそうね。不老不死だなんて真っ当な人間じゃないんだもの。……私の責任でもあるわ)


 ため息をついて椅子から立ち上がり、彼に背を向けた。背中に突き刺さるような視線を感じる。今振り返ったら泣いているかもしれないので、そちらは見ない。



「…………もういいわ。こんな時間に来て、食事はすんでるの?」


「いや……ちょっと迷って遅くなったから。森の仕掛け、増やしたでしょ」



 私は人間がこの家にたどり着かないよう、森の中に仕掛けをしてある。例えば熊のような危険動物のマーキングを模した傷を樹木につけたり、認識を阻害する幻覚キノコを栽培したり、倒木などで進行方向を狭めたりといろいろだ。

 ノクスが出て行ってからそういう仕掛けを増やしたので、彼は久々に戻ってきたはいいものの、道に迷ったらしい。明確に家の位置を理解していなければ辿りつけなかっただろう。



「二度と人間を拾わないようにと思ってね。……食事が少し残ってるから、分けてあげる。座りなさい」


「……うん」



 以前ノクスが使っていた器を取り出し、まだ熱の残るスープを注いだ。森の恵みのごった煮スープである。

 ノクスは私の言葉に従って大人しく座っていたのでその目の前に器と匙を置いた。戸惑うように私を見上げてくる彼に頷き、食べるように促す。ゆっくりと一口を口に運んだノクスは、それを咀嚼すると私の知る少年の面影の残る顔で笑った。



「ララニカの味がする。懐かしくて、おいしい」


「……そう」



 この家で、質素なテーブルを囲んで、定番のスープを飲んでいる姿を見れば五年前の姿を思い出す。けれど彼はもう、あの頃の少年ではない。


(……私は、普通の幸せを手に入れてほしかったのに)


 不老不死の魔女のことなど忘れて、普通の暮らしをしてほしかった。それが彼は今や、不死の魔女を殺す方法を探して、人殺しの仕事を受ける暗殺者。何故こうなってしまったのだろうか。……私の存在が、彼の歩む道を間違えさせたのだろうか。



「今日は君に渡したいものがあってきたんだ」


「……何?」



 簡素な食事を終えるとノクスは自分の荷物から包みを取り出した。何やら可愛らしい色の紙に包まれている。



「昔さ、俺が熊に襲われてララニカが庇ってくれた時のこと、覚えてる?」


「ええ、覚えてるわ」


「……その時、ララニカの服をダメにしたから。お詫びの品」


「そんな昔のこと……気にしなくていいのに」



 しかしあの件はノクスの中に大きく刻まれているのだろう。私は彼の前で初めて死んで、彼は自分のせいで私が痛い思いをしたと罪悪感を抱いたようだし――おそらく、そのせいもあるのだ。ノクスが私を願いを叶えると、殺す方法を見つけるなどと無謀なことを言うのは。

 とりあえず服というのを受け取った。中身を見ると、見たことのないような素材でできている。手触りがよく、丈夫そうなのに引っ張ると少し伸びだ。



「……え、今この服伸びたわよね。どうなってるの?」


「外の世界じゃ当たり前だよ。動きやすい素材ってやつ。ララニカは森で採れるもので作った服しか着てないけど、外にもいいのはあるからさ。……鍋だってすごく古い。というか土器だよねそれ。今度は新しい鍋でも持ってくるよ。他にも、いろいろ……持ってきていい?」



 おそらくこれは口実だ。彼がこの家に訪れるための理由。私は誰も愛したくないと彼に伝えてある。だから自分の好意を理由にこの家を訪れるのを、ためらったのだろう。

 数秒考えてため息を吐いた。そんな理由がなくても私は彼の訪問を断らない。いや、断れない。


(……久々にノクスの顔を見て……嬉しくないといったら嘘になる。私にとって、可愛い弟子には違いないものね)


 彼がこの家を出ていったあとは元気にやっているのかとか、私を殺す方法なんてありもしないものを探しているのかとか、ふとした瞬間に気になっていた。ノクスはもうすでに、私の心の中に棲んでしまっているのだ。今更拒絶したところで、もう遅い。



「分かったわ。好きにしなさい」


「……うん」



 安心して嬉しそうに笑う顔は、やはり昔の面影と重なる。彼がこの家で過ごしたのは八歳から十歳までの約二年の間で、私の長い人生においてはほんの一瞬のような時間だけだったが、それでも毎日一緒だった。

 ここ百年でこんなに濃密な時間を過ごした相手は彼以外いないのだから、強く印象に残っていても仕方のないことだろう。



「もう外は暗いわ。今日は泊まっていきなさい」


「え、いいの……?」


「いいわよ。貴方は大きくなったけど……うん、まだ余裕があるわ。前みたいに貴方が壁際に寝なさい」



 私の家のベッドは広い。何なら彼が居ない間にもっと良い物にと作り変えて更に広くなっている。成長したノクスと一緒に眠っても余裕があるだろう。

 しかし私の言葉を聞いたノクスは固まって、何故かじわじわと顔が赤くなっていった。



「……ララニカ。俺はもう子供じゃないから、一緒に寝るのは……」


「十五歳は子供でしょう。何言ってるの?」


「い、いや……でも……俺は、床でいいから」


「駄目よ。人間は弱いんだから、ちゃんとした場所で休みなさい。風邪をひいてこじらせて死んだらどうするの」



 反抗期が続いているのか妙な我儘を言うようになっている。前は私に抱き着いて眠っていたのに、何がそんなに不満なのかと考えてふと気づいた。人間の十五歳といえば思春期の多感な年頃だ。異性が気になる年齢でもある。


(……私に結婚して、と言っていたあれは子供の愛情の勘違いだとしても、そういう年頃だものね)


 私が千年近い年齢を生きる年寄りとはいえ、見た目はまだ若い女だ。ノクスとしては一緒に寝るというのが落ち着かないのだろう。それならば私が取る選択は一つだ。



「分かったわ、じゃあ私が床で寝るから」


「いや、それはダメだ……!!」


「私はどうせ体調を崩したって問題ないもの」


「それなら俺は帰る。ララニカにそんなことさせたくないし」


「罠の配置も変わってるのに暗い中この森を出られるとでも? 死んだらどうするの」



 そんなやりとりがしばらく続き、ノクスは髪をくしゃくしゃに搔き乱してから机に突っ伏した。かろうじて見える耳が赤く染まっている。



「……分かったよ、ララニカ……俺もベッドに寝るからララニカも寝て。次から寝袋でも持ってくるよ……」


「分かったならいいの。えらいわね」



 顔を伏せたままのノクスの頭を撫でる。子供の頃の柔らかい毛質のままで、さらりと流れて手触りがいい。そんな私を、ノクスは文句を言いたげな黒い目でじっと見上げてきた。



「……俺がララニカと結婚したいの、分かってる?」


「ええ、出ていくまでも何度も言ってたから」


「……今も変わらないからね。俺が君を殺す方法を見つけたら、結婚して」


「そんなものはないから諦めなさい」



 その夜、以前のように抱きしめて背中をたたいてあげようかと提案したら全力で拒否された。ノクスは完全に自立してしまったらしい。……私はそれがちょっとだけ寂しく感じた。

 やはり以前の彼ではない。私も、昔の素直な弟子として扱うべきではないだろう。間違った道に進んでしまった、元弟子だ。


(……実は……私の方が、人のぬくもりを求めているのかしら)


 いつか失うと分かっているのに。私も馬鹿だ。……ノクスがまた会いに来たことを、喜んでしまっているのだから。


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