9話 不死の魔女と弟子の変貌
寿命が違う。生きる時間が違う。死ねない私は常に見送る側になる。そう伝えたら弟子はどういう考えの飛躍をしたのか「
彼はきっと、自分の感情を誤認している。自立してきたと思っていたが、どうやら私に依存しているようだ。離れたくないばかりにそのようなことを言い出したのだろう。……しかし、自立させなければならない。ノクスはまだ人間の世界に戻れるはずなのだから。
「あのね、ノクス。私は死ねないのよ」
「うん。だからそんなララニカを殺す方法を見つけるんだ。……ララニカは、死にたいと思ってる。俺はララニカにいろんなものをもらったから、今度は俺がララニカの望みを叶える」
どうしてこうなってしまったのだろう。そんなありもしない方法を探すために、彼の時間を使わせる気などなかった。けれど一晩で決意を固めたらしいノクスの黒い目には、簡単には曲がらない意思が宿っている。
(どうにかして説き伏せないと……)
私は今まであらゆる方法で自分を殺せないか試してきたのだ。百年で無駄だと悟りやめたけれど、人の一生以上の時間である。その経験を語って聞かせればノクスは諦めるだろうか。
「あのね、ノクス……」
「じゃあ俺は朝食の準備するから、ララニカは日課の水浴びに行っていいよ。時間は有限、のんびりしてたら人間の人生はすぐに終わる。……でしょ?」
それは私がノクスに伝えたことのある言葉だ。たしかにぐずぐずしていたら一日はあっという間に過ぎてしまうし、森の生活はやるべきことが多い。話すのは夜の勉強の時間にするべきだ、と納得してため息をついた。
食糧庫からせっせと食材を運び出しているノクスの目は、なんだか昨日までとは違うように見える。今まで以上にやる気に満ち溢れているというか、なんというか。
(人間は本当に思い通りにいかない。……経験が少ないから、分からないのね。子供ならなおのこと)
その日もいつも通り過ごした。ノクスと共に森に入って狩りをし、彼は今まで以上の集中力で初めての獲物を仕留めた。野鳥と兎をそれぞれ一矢で仕留めたのだから充分な成果だ。もう一人で狩りができるし、私がついていく必要もないだろう。
私が何か指示を出そうとすると、それより先に行動に移っている。私が口を出さずとも自分で必要なことが分かるらしい。
(もう教えることはない、わね。……なら説得のほうに集中しましょう)
このままでは何か、ノクスは間違った道に進んでしまいそうな危うい気配がして心配だ。私のため、なんていって無茶をしそうでいけない。存在しない物を探すなんて無駄なことをさせないためにも彼を納得させなければ。
「ララニカ、勉強の時間だよ」
「……そうね。じゃあ、今日は……私が今までどれだけ死ぬ方法を試して、無駄だったかを教えるわ」
「うん、わかった」
そんなもの必要ない、と嫌がるかと思ったけれどノクスは真剣に私の話を聞いた。人間の死因となるものはすべて試してきたこと。人間にあらゆる方法で殺された時のこと。刺殺、絞殺、焼死、失血死、溺死、窒息死、服毒死――すべてを経験してもなお私は今ここに居ること。
「この世の毒も研究しつくしたし、もう手がないわ。私は死ねないの、分かった?」
「うん、分かった。今ララニカが言った方法以外を見つけないといけない。でもララニカの一族は滅んだんだから、ララニカにもその方法が……」
「ノクス。……無理なのよ。祝福を返す方法ごと、一族は滅んだんだの」
一族が滅んだと知った、あの日の光景を忘れることはできない。忘れたくても忘れられない記憶。……ノクスには、それも語った方がいいのかもしれない。
「私たち……天族と呼ばれた一族が、天の台地に住んでいたのは知ってる?」
「うん。人が見上げても見えないような、雲に届くような場所にある台地なんでしょ?」
「ええ。私たちだけが暮らせるように、神が作った場所よ」
地面から巨大な柱が天に向かって伸び、雲と同じ高さに人の住む台地。まるで柱の上に盃を乗せたような形をしたそこが、私たちの住処。もちろんそのような地形は自然には生まれない、祝福と同時に授けられた私たちだけの安息の地。人間の身体能力では登れるものではない。誰にも侵されることのないはずの聖地――だった。
「私たちの一族は百人くらいしかいないけど、不老不死である限り減ることも増えることもない。あの場所では、すべてが完結していたの。……でも、何もかもあるって退屈なのよ」
死なず、老いない一族。しかし新しい命が芽吹くこともなく、停滞しているともいえる環境。そこでしか育たたないたった一種の野菜は、それさえ食べていれば体を損なうことはないという完璧な栄養食。味はいいが百年も同じものを食べ続けたらどうだろうか。……飽きがくるというものだ。
その植物からは服を作ることもできたし、家の材料にもなった。苦労することなく私たちは生きていけた。しかし何も変わらない、何の変化もない。そうなると人々は暇を持て余す。だからそんな私たちが生きることに飽きた時のために、祝福を返す方法が一つだけあった。
「最期の果実って呼んでたわ。それを食べると、祝福を返すことができるの。結婚したくなったら果実を持って地上に降りて、普通の人間として暮らす。私たちが地上に降りるのは、不老不死の祝福を返すと決めた時だけ。……そういう決まりがあったのよね」
「……じゃあ、ララニカは?」
「私もそうよ。結婚の決まった相手がいて、その人と地上に降りる予定だった」
今思い出しても腹立たしいことだ。神の遣いを助けてしまった私の結婚相手は、族長の息子しかいないとされていた。周囲が恋愛結婚を望む中で、私たちだけは立場の結婚だったわけだ。だがそれでも族長の息子は愛を口にしたし、私もそれに絆されて彼を愛するようになっていた。
「でもその人は私以外の人と結婚したかったみたいね。私を天の台地から突き落として、二人分の最期の果実を持って……別の女性と、大地に降りたんでしょう。詳しくは知らないわ、私は落ちていたから」
周辺の山よりも高い台地から無事に降りるため、結婚する二人は専用の気球を使って地上へ降りる。二人乗りであって、それ以上は乗ることができない。最後の果実を食べてしまえば人間になってしまうため、それを食べるのは無事に二人で地上に降り立ってからだ。
それに乗る寸前で私は大地から突き飛ばされて、この身一つで地上に落ちた。……最後に見た、婚約者の顔は忘れない。私に対する情のかけらもない、落ちる私を見てほっと安堵したようなあの表情。
体を襲う浮遊感ととてつもない恐怖。目も空けられないほどの圧迫感。一瞬で全身に走った衝撃と痛み。それが私の初めての死だった。忘れられるはずもない。
「落ちて死んだ私は、偶然その場に居合わせた奴隷商人に蘇りを見られて捕まってね。そこから百年くらいは人間のおもちゃとして飼われていたわ」
「…………やっぱり」
「やっぱり?」
「俺、ララニカにそっくりの天族の肖像画を見たことがある。……あれはララニカだったんだ」
「そうでしょうね。絵を描かれた記憶はあるわ」
死にかけのノクスを拾って看病していた時、彼が私を見て「天族」と呟いたのはそのせいだろう。もう七百年は前に描かれたものが残っているとは思えないので、当時のものではなく絵を見た人間が模倣して受け継がれてきたものだとは思うが。そっくりだ、というからにはよほど正確に模写されているようだ。
「酷い目に遭ったし、もう死にたくて。どうにか故郷に戻って、最後の果実を食べようと思ったの。場所も分からなくて暫くさまよったけど……それで故郷にたどり着いたら……全部、なくなってたわ」
故郷の場所を調べてようやくそこへたどり着いた時。私が見たのは崩れてただの土山となった天の台地と、燃やされたのか炭と化した最期の果実の木片だった。あれを見たときの絶望を超える感情は、いまだに感じたことがない。
周囲の人間に何があったのか聞けば、事態は飲み込めた。人間は技術で空へと届く方法を編み出し、空を飛ぶ船によって天の台地へと到達した。そこで不老不死の人間を見つけ――欲望を満たそうとする者が現れるのは時間の問題だった。私の身に起きたことを考えれば、想像は難くない。
天族は抵抗し、やがて敵わないことを悟ると自分たちを弄ばれるくらいならば――とそこに残っていた一族全員が最後の果実を口にして、侵略者どもに何一つ渡すものかと自分たちの街に火を放った。……そういう話だけが、悲劇として語り残されていた。
「そうして不老不死の祝福を返す方法ごと、全員滅んだのよ。……地上に取り残された私を除いて、ね」
一族の中で私はどのような扱いだったのだろうか。私が地上に落とされたあの日、収穫した最後の果実は二人分で、消えた人間は三人のはずだ。一人は外で生き続けていると、考えてはくれなかったのだろうか。
私が死ぬ方法を失ったと知った時「許さない」と叫んだ。けれどその「許さない」相手も、この世にもういない。あの時の絶望も、もうずっと昔の話。……今はただ、死にたくても死ねないことを受け入れて生きている。
「だからどうしたって無理よ。ノクスも無理なことに時間を使う必要はないわ」
「いやだ。俺はララニカと結婚したい。ララニカが、好きだ」
真剣な表情でそう言う彼に、私は戸惑った。子供の恋というのは、強い感情を誤認している可能性が高い。彼は私に恩を感じていて、私に面倒を見られたことで親への信愛のようなものも持っているのだろう。それを恋だと勘違いしているのではないだろうか。
(子供の気持ちは大人になれば変わるもの。……だけど、否定をしたら傷つきそう)
私と結婚したいと慕っていてくれたけれど、大人になったら魔女だと罵った子供を思い出す。ノクスは私が不老不死であることをすでに知っているのでああはならないだろうが、この感情は一時的なもののはずだ。外の世界に出て、多くの人間に関われば変わるだろう。
しかし今真剣に好意を伝えようとしている彼を否定すれば、傷つきなおさら意固地になるかもしれない。
何も言えないでいるとノクスは笑った。安心させようとするような、そんな笑顔で。
「ララニカが見ていない間に、外の世界はすごく変わってる。ララニカが死ねる方法だって、きっとあるはずだよ。……だから俺は、ララニカを殺す方法を探しに外へ出る。必ず見つけてくるから、待っててね」
「……ノクス。殺すということが、どういうことか分かってる?」
「分かってるよ」
「……絶対分かってないわよ」
私がどれだけ語っても、ノクスを説得することはできなかった。そうして彼はしばらくすると森を出ていって――次にここを訪れた時には、血と死のにおいを纏う人殺しになっていた。
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