7話 不死の魔女と優秀な弟子
ノクスは身体機能が人より優れているようで、子供とは思えぬ体力や筋力を発揮し、怪我や病にかかっても回復がはやい。その上に頭も悪くないようで、教えたことを貪欲に吸収していき、数年かかると思っていた内容は一年ほどで学習し終えてしまったため、森の生活に必要な知識はすでに実体験しつつ復習するだけの段階に入っている。だから季節があと一周したら彼には外に出るように促すつもりだ。
(ほんと、優秀な……生徒? いえ、弟子……かしら)
私が教えてノクスが学ぶ。私たちの関係は師弟と呼ぶのがしっくりくるのかもしれない。
夜、食事を終えたあとの勉強の時間。森の中の知識はすべて終わってしまったので、最近はこの森にない動植物の話をしている。森の外に出た後に必要になるかもしれない知識だ。そんな時間が終わった後に気になっていたことを軽く雑談として振ってみた。
「ノクスは本当に優秀よね。今の人間ってそんなに優れているの?」
私が不死であることをノクスは知っているため、こういった話も訊けるようになった。この森に棲み始めて正確な年数は覚えていないが、百年以上は経っている。私の知識は古いもので、外の動植物の分布などは変わっているかもしれないし、人間の世界なんてどのような変化をしたか分からない。
「さあ……俺は祝福を受けているかもしれない、とは聞いたけど」
「……祝福?」
嫌な単語が聞こえて思わず眉を寄せた。私にとってそれは、不幸の象徴である。まさかノクスも神の遣いを助けたことがあるのだろうか。
しかし彼の回復力は私には到底及ばない。不老不死の祝福を受けている用には見えないのだが。
「うん。人より身体が優れている、っていう祝福じゃないかって」
「……今の人間は誰でも祝福を受けているの?」
「ううん。千人に一人くらいだって言われてる。ララニカみたいに大きな祝福じゃないけどね」
神は気に入った人間に祝福を授ける。つまるところ特別扱い、贔屓するのだ。しかしそれを
それを聞いてつい鼻で笑ってしまったのだが、そんな私をノクスは不思議そうに見ていた。
「ララニカは、もしかして神様が嫌い?」
「……常識が違う高位の存在に好きも嫌いもないわ」
人間が神をどう思おうと、神にとっては関係がないのだ。神は自身が望んだように行動し、世界に影響を与えている。自分たちに近い形をしている“人間”という種を気に入っているらしい、というのは祝福を与えられるのが人間だけであるという歴史が証明しているものの、その人間たちに起きた悲劇の数々を止めてくれたことはない。人間とは違う価値基準で動いている上位存在に、どんな感情を抱いても無意味である。
私からすれば神とは避けようのない自然災害と同レベルのものだ。神が与える影響を、人間は甘んじて受け入れるしかない。神に関われば良くも悪くも人生が大きく変わることだろう。
「そうなんだ。俺は祝福なんていらないって恨んだことがあるよ。……身体が丈夫だから終わらないんだって、ずっと痛くて苦しいんだってさ」
その気持ちは痛いほど理解できた。同時に、小さな子供がそんなことを考える環境に居たことに同情した。神は気まぐれで、人間のためを思って行動している訳ではない。救われたと思う者もいるかもしれないが、神の手で不幸に叩き落されたと思う者もいるだろう。少なくとも私は後者である。
「でもそのおかげで俺は今生きてて、ララニカに会えたんだったら……悪いことばかりでもないなって思うようになった」
「……そう」
「もっとなんでもできるようになって、はやくララニカの役に立てるようになるから」
恩返しのつもりなのだろうか。ここに来たばかりの頃では考えられない、はにかむような笑みを浮かべてそういうノクスを微笑ましく思う。
もう本当に、人間らしい表情だ。熊に襲われて私が死ぬと思った時に大きく感情が揺さぶられたのか、あの一件からノクスはとても感情豊かになった。彼は本当に戻れたのだ、と思う。あと一年ほどかけて得た知識と経験をすり合わせていけば、どこでだって一人で生きていけるようになるだろう。
「私のことは気にしなくていいわ。貴方が一人で生きていけるだけの力を手に入れたら、貴方は人間の社会に戻るべきよ」
「……え?」
ノクスは非常に驚いた顔をして私を見た。予想外の言葉を訊いたと言わんばかりだ。……もしかすると彼は、今の生活がずっと続くと思っていたのだろうか。それならば、早いうちに訂正しておかなければならない。
「私は不老不死の魔女。人間とは生きていけないわ」
本来は関わるべきではなかったのだ。それでも私はノクスを助けてしまった。死にかけでぼろ雑巾のようだった子供が、少しずつ成長していく。直に私の与える知識を吸収し、よく話を聞いて、慕ってくる。可愛い弟子、と言っても過言ではない。すでに情も移ってしまっている。
だからこそ私は彼とともに居たくない。たった一年でこれなのだ。それが一生を見守ればどうなるか。……その最後を看取ることになったら、私はどれほど苦しいだろうか。
「いやだ」
「……ノクス?」
「いやだ。俺はララニカと居たい。ララニカと居るために、俺は……」
先ほどまで笑っていた顔が今は泣きそうだった。私を慕ってくれているのは分かるけれど、私たちは生きる時間の違う、別の生き物。深く関わればどちらかが、あるいは双方が不幸になる。
「ノクス。……私は貴方が一人で生きていけるように、知識を与える。けれど一緒に生きていくことはできない。私は貴方を愛したくないの。……いえ、誰も愛したくないわ。だってみんな私を置いて逝くか、私を嫌いになるもの」
長い人生を振り返れば、憎んだ相手も愛した相手もいる。特に私を貴族の屋敷から逃がしてくれた男には、五百年以上の月日が過ぎた今も感謝している。……しかし私を逃がしたせいで殺されてしまったのだと時が経ってから知って、その罪悪感はいまだに消えていない。
(彼のおかげで屋敷を逃げ出せたのに……
同族が滅んで新しい居場所を求め、とても温かい人達の住む田舎に暮らしたこともあった。しかし私が歳をとらないせいで、優しい彼らは豹変して私を魔女と恐れ罵るようになり、最終的に火刑されることになった。
「痩せているのだからたくさん食べなさい」と食料を分けてくれた女性が老婆になり、「人ではない化け物め」と石を投げつけてくる。「大人になったら結婚して」と言っていた少年は、青年になって「魔女にたぶらかされた」と言いながら木の槍で私を突き刺した。
(……それでも優しい思い出が多すぎて、憎み切れない。でもただひたすらに悲しかった)
私の存在は優しい人ですらこのように変えてしまうのだと。長く同じ土地に留まるのをやめて旅人になった。しかし大怪我をしてすぐに治ってしまう体を見られて、また化け物と呼ばれる。もしくは理解してくれた人間と出会っても、その人間の最期を見送ることになる。
その繰り返しに疲れ、今度は自分を殺す研究を始めた。思いつく限りの自殺を実行してそれも不可能だと結論付け、穏やかに暮らせる場所を探して人のいない場所を転々とし、ここ百年ほどはこの森に住んでいるという訳だ。
「……俺は……ララニカを嫌いにならない」
「でも貴方は私より先に死ぬわよ。私は死ねないから」
そう言うとノクスはハッとしたような、何かに気づいたような顔をした。そうしてじわりと目に涙を浮かべて、ゆるゆると首を振る。
「……ララニカが“死なない”じゃなくて“死ねない”って言う意味が、分かった」
「……そう」
ノクスはもの言いたげに黒い瞳で私を見つめている。何度か言葉を紡ごうと開かれた口は、結局声を発することなく閉じられた。しばらく俯いて無言のままだった彼はやがて「もう寝よう」と言って、一人でベッドに潜っていく。
(……分かってくれたかしら)
いつの間にか彼の願い、望みは「
ろうそくの火を落として明かりを消し、ベッドに入る。ノクスはこちらに背中を向けて丸まっていた。
「……貴方はまだ、戻れるわ。私とは違うもの。……人間の社会に戻って、人間らしく生きて。誰かと結婚して、幸せに暮らしなさい」
「……けっこん……」
「そう。好きな人と結ばれて、同じ時間を生きるの。子供も生まれるかもしれないし、そうしたらその子の成長を見守る楽しみだってある。……私にはできないことよ」
肉体の時が止まっている私は、妊娠しない。一族全員がそうだった。だから好きな人と家庭を作り、子供が欲しいと心底願った時は二人で祝福を返し、それからは普通の人間として暮らすというのが私たちの一族の「結婚」だった。
私には叶わなかったことだ。婚約者はいたけれど、それに裏切られた結果が今である。
(私にはもうその幸せを手に入れることはできないけど、ノクスは違う。……普通の幸せを手に入れてほしい)
そう考える時点で私はもう、この子供に充分情を移してしまっている。くるりと反転してしがみつくように私の腰に腕を回したノクスの背中を、苦笑しながら叩いた。胸元に涙のしずくが染みていく。……ノクスはかしこい。きっと分かってくれたのだろう。
そうして互いを抱きしめながら、やがて眠りにつく。いつか失うこの温度を、今だけでも大事に想いながら。
「おはよう、ララニカ」
「ええ、おはよう。ノクス」
翌朝、涙で少し腫れた目で笑ったノクスが明るい声であいさつをしてくれた。やはり分かってくれたのだ、と思う反面何故だか奇妙な違和感を覚える笑顔である。
「俺、分かったんだ。俺がララニカを殺せればいいって。それなら生きるのは同じ時間になるから、一緒に居られるでしょう?」
絶句した。一晩で彼はそのような結論を出したらしい。私は笑顔で「殺す」という言葉を使う彼に、悪意のかけらもなく好意から出たその言葉に、なんと返していいか分からなかった。
「だから……俺がララニカを殺してみせるから、俺と結婚して」
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