3話 十六番が捨てられた日
親の顔は覚えていない。物心ついた時には貴族の子供の玩具だった。呼び出される時は「十六番」で、それ以外は「おい」とか「お前」とか、そんな風に呼ばれる。だから自分の名前は十六番なのだろう。
その十六番は今日も持ち主の玩具として、その子供の部屋に呼び出された。
「おい、お前。今日のゲームだ。選べ」
「……はい」
自分を玩具にしている貴族の子は、テーブルに六つのグラスを並べた。紫色の果実のジュースだが、六つのうちどれか一つには毒が入っている。この中から一つを選んで飲まなければならない、というゲームだ。ここのところ毎朝このゲームをやらされている。断る権利はない、許される答えは「はい」の一つだけ。
(……これだ)
その中から一つのグラスを選んで飲む。これだけが余計なにおいがしなかったからだ。貴族の子はつまらなさそうに舌打ちをして、残りを使用人に下げさせた。
六つの内の一つが毒入りなのではなく、六つの内の一つだけが無毒なのである。しかしルールが違うなんて口が裂けてもいえない。貴族に金で買われている奴隷は、主人に逆らうことなど許されない。
「またそんな遊びをしているのか」
「父上!」
彼の父親、つまり屋敷の主人である男が何やら小さな肖像画を使用人に持たせて彼の部屋を訪れた。父子の会話が続く中、自分はただ静かに待ち続ける。
ただの道具である自分は人としてカウントされない。主人たちの興味がほかに映ればその場に放置されるのもいつものことだった。
「ほら、お前の欲しがっていた“天族”の肖像画だ。まあ、これはレプリカだがね。それでもなかなかお目にかかれない代物だ」
「ありがとうございます、父上!」
子供に贈られた肖像画に描かれているのは少女とも女性ともとれぬ美しい人物。金色の髪と金色の瞳をしていて、無表情に彼方を眺めていた。ドレスを着ているが、首枷と手枷をはめられて鎖につながれている。
きっと肖像画の彼女も奴隷だ。だって、とても美しい人なのに絵でも分かるくらいに目に生気がない。奴隷部屋で見る、同類と似た目をしているのだ。
「わあ、これが天族かぁ……」
天族。それはこの息子がとても気に入っている伝承の存在である。天高く聳え立つ台地に住み、不老不死の祝福を受けた特別な一族。しかし遠い昔に滅んでしまった。不老不死の力を狙った人間がその力を手に入れようと船で彼らのを侵略しはじめると、彼らは祝福を返して全員が自決し、絶滅したのだと言われている。
『不老不死なら何をしても死なないんだろ? それならいろんなことをして楽しめるのになぁ……まあ、でも滅んだんじゃ仕方ない。お前で我慢するさ。お前も、何か祝福を受けてるから丈夫なんだろ?』
歪んだ笑みを浮かべる子供の顔。子供特有の高い声でありながら、粘着質で強く悪意のこもったそれはとてもおぞましい。
神は天族の悲劇からたった一族にだけ祝福を授けたことを悔いたのか、それから血を問わずに人間へと祝福を与えるようになった。千人に一人の確率で、何らかの祝福を受けた子供が生まれてくる。例えばそれは動物の気持ちがわかるとか、身体機能が人一倍優れているとか、不老不死に比べれば微々たるものだが、何もない人間なら羨む力だ。
どうやら自分にも祝福が授けられているらしい。人より強くて丈夫な体、高い回復能力。おかげでこの屋敷に買われたほかの奴隷たちが死んでいく中、自分だけが生き残っていた。
(死んだ方が、楽かもしれない……)
回復の早い体でも、毎日暴行を受けて新しい傷を作っていれば常に傷だらけにもなる。痛みに慣れたのか、痛くてもここに来たばかりのころのように泣き叫ぶことはなくなった。理不尽な暴力も、仕方ないものなのだと受け入れられるようになった。けれどだからと言って苦しくないはずもなく、早く終わりたいと願っていた。
しかし、そんな日々も終わりを告げる。どこかに遠出するらしい主人の道中の暇つぶしにと馬車の荷台へ載せられ連れ出されたが、主人の機嫌が悪い。馬車の乗り心地がよくない、車が良かったと不満を募らせていた。
「地方はまだ道が舗装されてないからな。仕方ないだろう、こういった場所の視察も領主の仕事だ。お前も将来のためにしっかり経験しなくてはな」
父親の言い分を納得したのかしてないのか、息子の不満は募り続ける。そんな道中でいつものゲームが始まった。
並べられた六つのグラス。歪んだ笑みを浮かべる主人。朝一番に行われるゲーム。
「さあ、一つをえらべ」
「…………はい」
いつも通りでなかったのは、ここが屋敷ではないことと、六つのグラスのすべてから異質なにおいを感じ取ったこと。いつまでも毒を避け続けた奴隷に、主人はとうとう痺れを切らしたらしかった。死ぬような毒ではないはずだと、逃れられないゲームの負けを飲み込んだが――出発して小一時間程経った頃、休憩に入った主人はその毒物の作用で倒れ、荷台の荷物を汚した奴隷を見つけ、それがお気に召さなかったようだ。
「もういらない。森の奥にでも捨ててこい。ここには魔女だか怪物だかが住んでるらしいからな、人間の子供がいたら食ってくれるさ。……父上、新しいのを買ってください」
「やれやれ、仕方ない子だな。……人目につかない所に置いてこい」
生気のない目をした使用人によって馬車から運び出され、通りがかった森の中へ捨てられた。人気のない場所なので誰にも見つからないだろう。死んでも動物たちが肉を食らうので、処理の必要もない。
(捨てられた……でも、これでもう……)
これでもう、一方的にののしられて暴力を振るわれることも、毒を飲まされることもない。とてもほっとして、地面に力なく横たわったままでいた。しかしふと、思いつく。
(……もしかして……これで、自由に……なれた……?)
捨てられた奴隷だ。あの主人は捨てたものをわざわざ探して、もう一度自分のものにしようとは思わないだろう。もし、このまま生き延びれば。主人を失った自分は、奴隷仲間の皆が望んでいた「自由」を手に入れられるのではないか。
毒でまだ震える体に力を入れて、起き上がる。このままでは獣の餌になるかもしれない。どこか身を潜める場所を探して――。
次の瞬間。体が何かに跳ね飛ばされた。視界の端に映った茶色い毛の塊を見て、何かしらの獣に体当たりでもくらわされたのだと理解する。そして運の悪いところに、跳ね飛ばされた先は小さな崖となっていて、力の入らない体は急斜面を転がり落ちた。
(……しにたく、ない……まだ……)
ようやく、初めて、つかみかけた希望が遠のく。体の痛みと暗くなる視界。もう目覚めることはないのだろうか。……それは、嫌だ。
『生きたいなら頑張りなさい。私もできる限り手伝うわ』
当たりは真っ暗で、何も見えない。そんな冷たい暗闇の中で、遠くから誰かの声がした気がした。淡々として冷たいようで、しかし励ますように優しくて、不思議な声だった。
生きたいなら頑張りなさい。その言葉はそれから何度も消えそうになる自分の意識を引き上げて、声の主が誰なのか、気になって目を覚ましたいのに、目を開くことができない。時間をかけて段々と冷たい暗闇があたたかなものに変わっていく。そうしてようやく、目を開けることができた。
ぼんやりとした視界にキラキラ光るものが入る。そちらに目をむけると金色の髪と金色の瞳の、美しい女性がいた。
「天族……?」
元主人が持っていた、肖像画に描かれた女性と瓜二つの姿。死の間際に見る幻覚なのかと思ったら、その表情が苦しそうに歪んだ。……何か、言ってはいけないことを言ってしまったような。
「……いいから、まだ眠りなさい」
温かい手のひらで目を塞がれて、すぐに眠りに落ちた。励ましてくれた声の主は肖像画の天族によく似た人だったらしい。
次に目を覚ました時、その人はいなかった。やはり幻だったのかと思いながら体を起こすと、額に載せられていたらしい濡れた布がポトリと落ちた。それを傍に置かれている、水の張られた桶にかける。……改めてあたりを見ると、まったく見知らぬ場所であることが分かった。ひとまず主人に連れ戻された訳ではないらしい。
(誰の家だろう)
石造りの質素な壁に様々な植物や道具が掛けられている。保存食らしい干した果物や肉もあるので、人が住んでいる場所なのは間違いない。貴族の屋敷で見るような装飾品は一切なく、この場にあるのは生きるために必要な物ばかりだった。
自分の体を確認すると、異様なにおいがする。悪臭ではないが、薬臭いと表現するべきか。布が巻かれて丁寧に手当てされていた。
(……助かった。じゃあ、これで自由……)
死の瀬戸際に望んだもの。しかし改めて思う。やりたいことなど何もない。自由を手に入れたい、という望みが出来てそれが叶ったら。今度は何をすればいいのか分からない。
物心がついた時から、自分の意思など許されない奴隷だったのだ。命令がなければ何をしたらいいのかも分からないことに気が付いた。そのまま何をするでもなくぼうっと動かずにいると、ギィっと音を立てて扉が開く。
「もう起き上がれるの? 回復が早いわね」
現れたのは、扉から差し込む光に照らされる美しい金色の髪を持つ女性。……どうやら幻ではなかったらしい。
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