2話 不死の魔女と夜の名



 薄暗いホールの舞台の上。ホールを見下ろす客席には、仮面で顔を隠した人間たち。舞台の上でライトに照らされた私は、逃げられぬようにと鎖で繋がれて、一身に値踏みするような嫌な視線を集めている。



「本日の目玉商品! 商品番号二十番! 不死の体を持つ娘です! その力を今、御覧に入れましょう!」



 私の倍以上も体積のある大柄の男が、巨大な鉈をもって舞台に上がってくる。私の前にやってきた大男は、その鉈を振り上げて――。


(……また嫌なことを思い出した。番号で呼ばれるってことは、この子ももしかして……)


 人間を珍品と同列に扱い商品として売りさばく闇の市場。奴隷商人に捕まってそこに出品され、しばらく金持ちに飼われていたことを思い出した。名前を持たず、番号を名乗るこの子ももしかしたらそのような場所にいたのかもしれない。詳しくは分からないがまともな暮らしはできていないだろう。

 森の中で死にかけていたのは逃げ出してきたか、捨てられたか。何にせよ彼に帰る場所はないに違いない。


(……でもここで暮らさせる訳にもいかない。私は普通の人間じゃないから……この子を、人間の世界に返してあげないと)


 まずは治療し、それが終わったら一人でも生きていけるように知識や技術を教えて、人の世界に戻るように諭すとしよう。せいぜい数年の期間でいい。しかしその間「十六番」と呼ぶのはどうかと思う。



「ノクス、と呼ぶのはどう?」


「……ノクス?」


「夜という意味のある言葉よ。名前がないと不便でしょう? でも私がそう呼ぶだけだから、いつか自分で好きな名前を付けなおすといいわ」



 夜の帳が下りた空のような髪の色に、漆黒の瞳を持つ少年。まるで夜を切り取ったようにも思えるから、夜を表す名がふさわしいと思った。

 少年はじっと私を見つめながら十秒程度黙り込んで「分かりました」と答える。その名を気にいったのか、不服なのか。それすらも分からないほど、彼の顔や声には感情というものがない。

 しかし瞳の奥に揺らぐものが見える。まだ、完全に精神が壊れた訳ではない。


(……取り戻せるかしら)


 心に深い傷を負っているのだろう。それ以上傷つかないように、感情が奥底に隠されてしまっている状態なのだ。こういう状態になる人間は見たことがある。私が人間に飼われていた時、同じように飼われていた奴隷という人間が、ちょうどこのような感じだったから。

 その人間は結局、死ぬまで元に戻ることはなかった。いや、死ぬ瞬間にむしろ安らかな表情を見せていた。……死が救いであることは、私もよく知っているけれど。彼はまだ子供なのだ。数十年と生きる時をこのような、何も感じない状態で過ごすべきではない。


(死ねるからこそ生きている間の時間は特別なんだから……取り戻してあげたい)


 私にはもう得られないもの。生の実感、永遠でないからこその日々の充実。それを他人に奪われたであろう少年に、同情してしまった。

 人間と私では生きる時が違う。だから情など移さぬように、そして普通の人々を脅かさぬように、一人でひっそりと生きることを選んだ。それでもこの時私は、彼を見捨てるという選択肢をとることができなかった。



「貴方の傷が癒えたら一人で生きていけるだけの知識を教えるわ。出ていきたくなったら出て行ってもいいけれど、とにかくそれまでは私が面倒を見ましょう。……私はララニカ。短い間だけどよろしくね、ノクス」


「……はい」



 そうして私とノクスの生活は始まった。

 まずは傷を癒すことだが、ノクスは常人より体の回復が早いらしく一週間も経てば動き回れるようになり、二週間もする頃になると全快と呼んでいい状態になっていた。

 栄養失調でやせ細っていた体は一月も経つ頃には健康的になり、暗い目を除けば実に子供らしい生命力にあふれている。私の食事を削ってでも食べさせたかいがあったというものだ。



「ララニカ。……寝ましょう」


「そうね。明日は貴方も体を動かす予定だし、早めに休んだ方がいいわね」



 私の家にはベッドが一つしかないので私とノクスは一緒に眠る。この体は死なないとはいえ疲労はたまるので、寝台は広くしっかりと休めるものを作っていたのが幸いした。小さな子供一人増えたところで悠々と眠ることができる。

 綿をたっぷり詰めた反発の少ない敷布に二人で体を横たえて、この辺りに棲む動物の中でももっとも手触りがよくあたたかな毛を持つヤギを素材に使った毛布を被れば寒くなってきたこの秋の季節でもとても温かい。



「……あたたかい、です」


「そうでしょう。この毛布はね、ロモコモヤギという動物から作るんだけど、その特徴は――」



 ノクスが眠るまで、森の中の動物や植物の話を聞かせるのはいつものことだ。こうして森の知識を一か月以上教えてきた。明日はようやく彼を森に連れていき、簡単な狩りの作法や食べ物の探し方などを教える予定である。



「……毛布じゃなくて……ララニカがあたたかい、です」


「貴方の方が温かいわよ? 子供は体温が高いのよね」



 月明りしか差し込まない暗い室内では、真っ黒なノクスの目は見えない。しかし彼が私を見つめているであろうことは分かった。

 彼はあまり感情を表に出さないが、最近は何かを訴えるかのように私を見つめることがある。今もそのような目をしているのかもしれない。



「……おやすみなさい」


「? おやすみなさい」



 諦めたのか、視線は感じなくなった。代わりに小さな手が私の腹のあたりの服を掴んできたので、体を彼の方に向けて腕を回し、その背中をとんとんと規則正しいリズムで叩く。こうすると子供は安心して眠るからだ。


(何か要求があるのに、上手く言語化できないとかそんな感じ?)


 しかしいい傾向だろう。まるで人形のように感情を見せなかった子供が、何かを伝えようとしている。私は辛抱強くそれを待てばいい。やがて感情を取り戻せば人間の社会でもやっていけるようになるはずだ。


 ノクスがどのような環境で過ごしていたかは聞いていない。聞かずとも彼の状態を見れば酷い暮らしだったことは察せられる。いつか彼が話してくれるかもしれないが、話さなくても構わない。思い出したくもないという気持ちはよく分かる。


(私にとっては数百年前の記憶だし、今でも思い出すのは嫌だけど昔ほどじゃない。でもこの子にとっては、まだ新鮮な記憶だから)


 辛い経験は新しい経験で上書きをしても忘れられるものではない。しかしそれでも、多くの経験をすれば嫌な記憶を多い隠せるものが増える。忘れられない傷は簡単に噴き出すこともあるけれど、それでも耐えられるようになるかもしれない。……私のように。


(……まあ、私は……精神の死も、迎えられないのだけど)


 絶望してもこの心は死なない。精神が傷つくとやがて何も感じなくなるらしいが、私はそうならない。常人なら壊れてもおかしくない経験を繰り返してきたが、絶望して心が死んだと思ったら、正常な精神状態に戻ってしまう。……狂えない、というのもまた不幸の一つなのかもしれなかった。何度でも絶望を繰り返し味わうことができるのだから。


(貴方は戻れるといいわね、ノクス)

 

 人として得られる当然の権利を、幸福を、取り戻せる道へ。まだ幼い彼ならば大人になるまでに戻れるかもしれない。私は人の道を肉体的な意味で完全に外れてしまったのでどうあがいても戻れないが、彼が戻れるよう手伝うことはできるはずだ。

 静かに寝息を立てているノクスの頭をなでて、私も眠りについた。



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