1話 不死の魔女と死にかけの子供



 いつものように差し込む朝日で目を覚まし、今日も何も変わらぬ日々を送るであろうことにため息をついた。まずは体を洗うために近くの泉へと向かう。この泉に湧き出ているのは人肌程度に温かいぬるま湯で、冬でも身を清めるのに苦労しないため、この泉の近くに家を構えたのだ。

 現在は夏。しかし森の朝は夏でも涼しいし、泉の湯が温かくて気持ちいい。


 まずは顔を洗おうと泉をのぞき込み、そして水面に映る自分の姿に顔をしかめた。腰にまで届く輝くような金の髪と同じ色の瞳。十代後半のまま時が止まったように変わらぬ姿。すでに千年近い時を生きているのに、私の容姿は髪の長さすら変わっていない。


(こんなもの、呪いでしかない)


 元々は私もただの人間だった。都市から遠く離れた地方の集落に住む、百人程度の部族の一人。それがある時、傷ついた神の遣いを助けたことで祝福を授けられた。

 百人程度の同族すべてが不老不死の祝福を受け、老いたものは最盛期まで若返り、幼きものは肉体の最盛期を迎えると年齢が止まった。はじめのうちは誰もがその祝福を喜び、自分たちは特別なのだと悦に浸っていが迎えた結末は悲惨なものだ。……私を残して、彼らは滅びた。自分たちだけ祝福を返して、その方法ごとこの世から消えた。


(忘れたくても嫌な記憶は薄れないものね。……汚れみたいに洗い流せればいいのに)


 身を清め、ついでに洗濯をする。服を干したら軽く朝食をとり、次は食料を探して森の中を歩く。死なないとはいえ苦痛は感じるので餓死の苦しみを味わいたくはないし、食料探しは大事な日課だ。

 仕掛けた罠を見て回り、動物がかかっていないかを確認する。肉は栄養価が高いし腹が膨れる上に、毛皮は服にも使えるので捕れたらありがたい。


(それにしてもなんだか、今日は鳥が騒がしいような……)


 怪我をした動物でもいるのかもしれない。弱って動けない動物がいれば肉食鳥たちが襲い掛かる。今日は罠にかかっている動物もいなかったし、私でも狩れる状態なら横取りさせてもらおうと音のする方へと足を向けた。

 卑怯というなかれ、この世は弱肉強食だ。私とて熊相手なら獲物を譲るのだから、これは自然の摂理である。


 しかし鳥たちが騒いでいる原因は森の動物ではなかった。鳥が集っているものの姿を視界にとらえた時、私は思わず「離れなさい!」と怒鳴りながら駆け出して、驚いて飛び上がった鳥たちがついばんでいた獲物を抱き起した。

 それは弱った森の動物などではなく、人間の子供だった。土に汚れて血まみれで、顔色も真っ白だったがまだ息がある。


(今ならまだ助かるかも)


 深い傷をとりあえず縛って止血して、すぐにその子供を連れて帰った。子供を寝台に寝かせ、傷口を消毒し、症状を診る。彼が死にかけているのは傷のせいだけではなく、やせ細った体には強すぎる毒のせいでもあるようだ。

 私に傷薬も解毒薬も必要ないのでストックはないが、それを作るための知識はある。自分を殺すためにありとあらゆる薬物の知識を蓄えたおかげで他人を救えるとは皮肉なものだ。


(薬ができるまで、いえ……薬ができても回復するまで持つかどうかはこの子次第ね)


 うめき声一つ上げず、浅い呼吸を繰り返す子供を見下ろした。顔にかかる紺色の髪を払い、額に手を当てる。



「生きたいなら頑張りなさい。私もできる限り手伝うわ」



 人間の寿命は短い。死ぬことができる彼らを羨ましく思う。しかし死んでしまう彼らだからこそ、生が輝かしいものだと知っている。

 人間は嫌いだ。死ねない私を疎んで、痛めつけたこともある。自分たちは死ねるというのに、不老不死を求めて私の体をいじくった奴もいる。けれど私を憐れんで助けてくれた人間もいる。憎しみと羨望とどちらも持ち合わせていて、人間に対する感情は複雑なものだ。……だから、嫌いだけれど見殺しにするほどでもない。


 毒の症状から解毒剤を作り、並行して傷薬や増血効果のある薬湯も作る。寝ずに子供の看病をして、三日が経つ頃には症状が落ち着いた。……まだ発熱はしているが、このままなら回復するだろう。回復力の高さは子供故だろうか。


(これならもう大丈夫ね。ずっとついている必要もないか……)


 汗を拭き、解熱作用のある薬草を煎じて飲ませ、額に濡れた手ぬぐいを乗せる。その冷たさのせいか、子供の瞼が震えてゆっくりと開かれた。視線の定まらない黒い瞳はやがて私の姿を捉え、ぴたりと止まる。



「……天族……?」



 その呼び方に顔が強張った。たしかにそのような呼ばれ方をした一族ではあったが、今はもう関係ない。



「……いいから、まだ眠りなさい」



 私を見つめる黒い瞳から逃れるように、その目を手で覆って塞いだ。そうするとまた意識が落ちたのか、寝息が聞こえるようになる。

 この子供が次に目を覚ました時のために、消化に良い食料を用意しておくべきだろう。看病の間私もろくなものを食べていなかったし、状態は安定してきているのでしばらく離れてもよさそうだ。


(……この子のために食べ物を探してくるだけ)


 まさか子供の口から一族の名前が出るとは思わなかった。背後から鈍器で突然殴られた時のような衝撃で、少しばかり動揺している。逃げるように家を出て、無心になりながら消化に良い食べ物を中心に探した。

 

(モヌル芋が取れてよかった。これなら栄養価も高い)


 山芋の一種で、熱を加えるととても柔らかくなる芋だ。これをどろどろに溶かし、消化促進効果のある薬草を加えてペースト状のスープにすればいいだろう。 

 そうして家の扉を開けると、子供はベッドの上で体を起こしていた。



「もう起き上がれるの? 回復が早いわね」



 声に反応して真っ黒な目が私を見つめた。その瞳には何の感情も映し出されていない。子供らしさのない、冷たい無表情。……いったいどんな目に遭ったらこんな目をするようになるのだろう。


(……心が死ぬ寸前の顔ね)


 これは見覚えのある表情でもあった。同族が私を残して祝福の返還方法ごと滅んだことを知り、絶望した時に水面に映った私はこのような目をしていたと思う。

 今でも明るい顔はしていないが、あの時ほど酷い状態でもない。そのせいだろうか。なおさらこの子供を放っておけない気分になったのは。



「今から食べられるものを作るから貴方はまだ寝て体を休めなさい」


「……はい」



 淡泊で、力のない声。子供は私の言葉に従うようにベッドへと体を倒したが、その黒い目はじっと私を見ていた。気が付けば知らない場所で知らない人間に看病されているのだから気になるのは当然だろう。

 その視線を受けながら料理を始める。とはいっても芋を崩れるまで煮込んで味を調えるだけの芋粥なので簡単なものだ。出来上がったものを器に移し、子供の元までもっていく。



「食べられるだけ食べなさい。味はそこそこだけど、栄養はあるから」


「……はい」



 あまりにも従順だ。まるで自分の意思などないかのように、言われたことへ「はい」と答えて実行するだけ。この少年は一体、どうしてこんなにも無気力なのだろうか。

 多めに注いだはずの器の中身を食べ尽くしたのを意外に思いつつ「お代わりは?」と尋ねると「分かりません」と返ってきた。……彼の反応でふと、一つの考えが頭をよぎる。



「……まさか、私が食べなさいと言ったから無理して食べてるんじゃないでしょうね」


「……分かりません」


「お腹は苦しくないの?」


「痛みと吐き気はありますが、まだ入れられます」



 「食べられるだけ食べろ」というのは具合が悪くなっても入るだけ腹に入れろという意味ではなかったが、彼はそのように受け取っていたらしかった。しばらく他人と関わらなかったせいなのか、うまく言葉が通じていなかったらしいと気づいて慌てる。



「っそれを無理と言うの! ちょっと、大丈夫!? 気持ち悪くなったら吐いていいから、ええと、その時はこれを使って」


「……はい」



 寝台の傍に空の桶を運ぶ。吐き気がするなら背中をさすった方がいいのだろうか。……こういう時はどういう姿勢にすればいいのかいまいち分からない。



「楽な体勢は分かる?」


「はい」


「じゃあその体勢で、休んで」



 彼はゆっくりと体を寝台をつけている壁に背中を預けた。しかしそれにしても、妙な子供だ。まるで自分の意思がないようにも見える。

 先ほどは慌てたが冷静になって考えてみると、私の言葉がうまく伝わらないのは人との関わり方を忘れてしまったからではなく、この子が変わっているからではないだろうか。



「貴方、名前は?」


「十六番」


「……十六番?」



 それは番号であって、人の名前ではない。……肌を虫が這うような、ぞわりと湧き上がる嫌悪感。私はまだこの少年のことを何も知らない。それでも何か、とても嫌な気分になった。



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