暗殺者は不死の魔女を殺したい
Mikura
プロローグ 不死の魔女と暗殺者
暗く湿った森の奥。そこに家を構えて暮らす私、ララニカを人々は「魔女」と呼ぶ。そんな私が住んでいるためにこの森は「魔女の森」と呼ばれ、普通の人間は一切近づかなかった。
私が暮らし始めたときはそうでもなかった家の隣の木はいつの間にやら巨大に成長し、石造りの家を巻き込む形になっている。たしかに不気味な魔女の家といった雰囲気で、妥当な名称かもしれない。
それに私は、本当に普通の人間とは違う。不老不死の
だからこそ人間のコミュニティの中で生きるのは諦めた。普通の人間の中で過ごせば過ごすほどこの異質さは浮彫となり、迫害を受ける。珍獣扱いで金持ちに飼われたり、魔女狩りに遭ったりと色々あったおかげで、拷問や魔女の火刑など、あらゆる死に方を既に経験済みだ。それでも死ねない私を、人々は本物の化け物として忌み嫌い、恐れ、近づかない。
こうして森の中に引きこもっているのは誰とも関わらないためである――というのに。そんな私を訪ねてくる変人が一人だけいる。
「こんばんは、ララニカ。この毒なら絶対に君を殺せるから、結婚しよう」
そろそろ叩けば壊れるのではないかというほど古い木の扉をノックもなしに開いて入ってきた人物は、今晩の食事を煮込んでいる私の眼前に小瓶を突き付けた。
紺色の髪に漆黒の瞳という色彩の上に服まで全身黒で統一した常夜のような男。彼の名はノクス。この男が、十年ほど前から私の回りをうろつくようになった。出会った頃は少年だった彼も今や立派な青年の姿となっているのに、口から出る言葉は昔から変わらない。
もう百度は聞いた告白にため息を吐き、ノクスが掲げる小瓶に目を向ける。どろりとした緑の液体で、金粉のような輝きが混じる独特の見た目の薬が入っていた。
「無理ね。それは試したことがあるもの」
「……俺が開発したのに?」
「毒の類はもう試し終えたって言ったでしょ。それも作ったことがあるわ。ヤヤラの根とカサミガエルの毒を主成分としたものじゃない?」
「……合ってる」
私も自分を殺す方法は何度も試してきた。毒の研究もして、新たな毒を作り出しては自分に使って、苦しんで意識を失っても目を覚ました時には全快している。そんな経験を繰り返してきたのだ。
毒以外も何でも試した。一番きつかったのは水死を試した時だろうか。水の底で目が覚め、肺に入った水に苦しめられて死んで、もう一度目が覚めて――その繰り返しとなる。水上に這い上がるのに文字通り死ぬほど苦労したのだ。あれは二度とごめんである。
結論として、私を殺すことは不可能だ。すべてを諦めて大人しく森の奥に引きこもって暮らしているというのに、ノクスは私のそんな穏やかな日常にずかずかと土足で踏み込んできた、唯一の人間である。
「……ようやく君を殺せると思ったのに、駄目か。毒がダメなら、何が効くかな……他の方法を考えないと……刺殺も絞殺もだめ出血死も窒息も不可毒も無効……」
ノクスはふらりとよろめくと丸太の椅子に座り込み、力なく机に突っ伏して落ち込みながらぶつぶつと人の殺し方を上げ連ね始めた。これも見慣れた光景である。彼には私がどれほど死ぬための努力をしてきたか、その手段を語ってきた。今までにない毒を作り出せればあるいは、と考えたのだろう。暫く姿を見せなかったのは今日持ってきた毒の開発をしていたかららしい。……その時間も無駄だったわけだが。
(人間の時間は有限なのに……私のために生きる時間を無駄に浪費するのはよくないわ)
せいぜい八十年の寿命しかない普通の人間。その中でも元気に、そして自由に動き回れる時間というのは限られている。その大事な時間を、死ねない魔女のために使うなんてもったいない。だからノクスの行動をやめさせたいと常々考えているのだけれど、彼は何年たってもその行動を改めなかった。
煮込み終わった鍋の料理を二人分の器に注ぐ。ノクスが食事時に来た時は食べさせるのもいつものことだ。森の恵みのごった煮スープはその日に採れたものを適当に切って煮込み味を調えるだけの料理だが、毎日味が変わるので飽きることもない。そんなスープの入った器を机に二つ並べた。
「だから全部無駄だって言ってるでしょ。私のことなんて諦めてさっさと普通の人間と――」
「俺は君以外なんて考えられない。……いつになったら分かってくれるの?」
「私は貴方をこんなに小さな時から知っているし、その頃から同じことを言っているじゃない」
「……もう少し大きかったよ」
自分の腰のあたりの高さに手を持ってくると文句を言われた。思い出してみるが、であった頃は本当に弱っていて、とにかく小さかったという印象が強い。
そう、出会ったばかりの頃の彼は本当に子供だったのだ。私が歳を取らないまま、彼だけが成長した。……そして、やがて彼だけが老いて死んでいく。
(だから誰とも関わりたくなんてなかったのに……かといって、助けられるものを見捨てられもしないし)
森の中で死にかけの子供を見かけ、放って置けずに手当てをした。一命をとりとめたノクスはそれから私にすっかり懐いて、頻繁に「大人になったら結婚して」などと子供らしい求婚をしていたものだ。彼を森から追い出してもそれは変わらず、現在まで続いている。
「子供の頃から本気なんだよ。俺は君一筋」
私を見つめる暗い色の瞳に、その色と反するような強い熱が込められている。彼がこのような目をするようになったのはいつからだっただろうか。子供のころはまだ、こんなに強い欲は感じなかった。……私を置いて成長していく彼はいつのまにか、こんな目をするようになっていた。
「何度も言っているけど私は、寿命の違うものと結ばれる気はないの」
ノクスの視線を気にせずに彼の向かい側の椅子に腰を下ろし、匙を手に取ってスープを口に運ぶ。そんな私を目の前の黒い男は不満そうに見つめてくるが、そんな目をされても私の考えは変わらない。
私と同じ時間を生きるものなど、もうこの世に存在しないのだ。同族と共に不老不死の恩恵を受けた時は祝福であったのに、それもたった一人となってしまえば呪いに変わる。……祝福を解く方法だって、失ってしまったのだから。
「俺が必ず、君を殺してみせる。……だから、殺す方法を見つけたら結婚して」
「……できるのならね」
できるはずがない。私が死ぬ方法は永遠に失われたのだから。私はこの先もずっとただ一人、この世界を彷徨い続ける運命だ。それが変わることなどありえない。
「約束だよ。俺が必ず君を殺してみせるから……待っててね、ララニカ」
「……分かったから、冷める前に食べなさい。人間は栄養が足りないだけでも死ぬんだから」
「うん。いただきます」
私の内心など知らぬノクスは、太陽を待ちきれず日が届く前にほころぶ蕾のように、暗い色の瞳に光を宿して柔らかい笑みを浮かべた。
人を殺すことを生業にする暗殺者とは思えぬ顔。私のために、私を殺そうと躍起になっている男。情を移せば苦しくなると分かっているのに、私は彼を拒絶できないでいる。
(今更拒絶したところで遅いわ。……いえ、この子を拾った時からもう、こうなることは決まっていたようなものね)
いつかノクスの寿命が尽きるまで、彼がこの森の小屋を訪れなくなる日まで。“
そうして彼が夢を諦めるにせよ、寿命が尽きたにせよ、終わりを迎えた時にまた孤独を突き付けられて、絶望するのだろう。
(……私だって死ねるなら死にたいわよ)
それは叶わぬ望みだと分かっている。死を諦めた私に、死を運ぼうとするノクスは鮮烈な光のようなものだ。まぶしくて、目を焼いて痛いほど。遠ざけたいのに向こうから押しかけてくるので手に負えない。もてあます感情の苛立たしさをぶつけるように、器の中の芋を匙で押し割った。
「ララニカ」
「……何?」
「好きだよ」
存在しないはずの熱を感じそうなほど感情のこもった、愛の言葉。彼に出会う前にも聞いたことはあったのに、それが偽りだったのだと心底突き付けられるような、本心の言葉。それは私の胸を突き刺すようで、何度聞いても慣れはしない。
「……何度も聞いたわよ」
「でも伝わってない気がするから」
「ちゃんと分かってるわよ。貴方は子供のころから変わらないわ」
子供のころから繰り返された告白。その言葉を払うように手を振った。
……彼と出会った時のことは、よく覚えている。あれがすべての始まりだったのだ。
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