おはようの挨拶④
振り返ったおじいちゃんは、いかにも七十歳後半という感じの顔立ちだった。
「こっちん姫里お嬢様は初めてなんやっ。おじいしゃまはここん常連しゃんやったりすると?」
「あぁ。ここのお店ができてからずっと通ってる常連の中の常連だ」
「わー、そりゃ凄かっ。それなら是非こんお店んおすすめとか教えちゃらんなあ?」
「それなら絶対に激辛ラーメン、だッ」
「激辛ラーメン……?」
なんだ、そのめちゃくちゃ辛そうな名前のラーメンは。
「色んな激辛ラーメンを食べたけどな、やっぱりここのが一番美味しいんだよ」
うんうんと腕組みをして力強く頷くおじいちゃん。そしてそのおじいちゃんの話に目を輝かせるのはもちろん凪茶だ。
「辛かラーメンっ!?うち、それ食べたかっ」
「おっ、嬢ちゃん分かってくれるかッ」
「うち、辛かラーメンがめっちゃ好きなんやっ。辛かラーメンって、カップ麺とかやとやっぱりパンチが足らんで……」
「ふふふ、カップ麺なんて比較にならないぞ。そっちのお嬢様は辛いの苦手か?」
おじいちゃんのターゲットがこちらに向く。私は少し悩んだあと「苦手、では無いと思いますけど……」と答えた。この曖昧な答えの理由は、そもそも食べたケースがほとんどないからだ。
家に出てくる料理はどれもよく分からないよ横文字料理。香辛料が使われていたとしても、そこまで刺激的なものはほとんどなかったはずだ。
「おいおい、天宮のじいさんよ。初心者にそっちを進めるのは早いんじゃねーの?」
「なんだとッ!?」
天宮のじいさんと呼ばれていた前の人の前に並んでいたおじいちゃんがひょっこりと顔を出した。名前を知っているということは、このおじいちゃんも常連という名の関係だろうか。
おじいちゃんは人差し指をピンッとたてた。
「ここの店の看板はもうひとつあるんだよ、嬢ちゃん。それは豚骨ラーメンだっ!」
「豚骨……?」
豚骨とは文字のとおり、豚の骨を煮込んだもの。豚骨をベースにした料理はいくつも存在しているものの、煮込む時間、煮込み方、そして仕上げに使う材料たちによって大きく味の出来が異なる。家の料理人も豚骨をつかった料理をいくつか作っていたけれども、全て美味しかった記憶がある。
「あぁ。ここの豚骨ラーメンは絶対だぞっ。激辛ラーメンよりも何千倍もな!」
「ここの看板は激辛ラーメンだぞ!?」
「いや、豚骨ラーメンだね。味のレベルが違う」
喧嘩勃発。めんどくさい事になったなぁなんて思うものの、凪茶はあわわと、慌てふためく姿でおじいちゃん二人を見つめる。顔横まで持ってきた手が小刻みに震えていた。
「お、おすすめ教えてもらおうて思うたらこげん展開に……はわわ」
「ラーメンというのは私が想定していた以上に毒されてる人、というのがいるのね」
凪茶の熱量も中々のものだったけど、凪茶のような熱を持った人間が、老若男女いることがびっくりだ。凪茶のような高校生から、こんなおじいちゃんまで、幅広く愛されているラーメンが楽しみになってきた。
慌てふためく凪茶を横目に、おじいちゃん達は何かが決まったようで、こくりと頷くとこちらに向き直った。
「「嬢ちゃん達が勝敗を決めてくれ!どっちが美味しいかを!!」」
前言撤回、楽しみよりもめんどくさいのが勝つ。
そのまま私たちはお店に入店、おじいちゃんのご好意に甘えて凪茶と私分を奢ってもらうことになった。注文を頼める機械で食券というものを買い、私は豚骨ラーメン、凪茶は激辛ラーメンを頼んだ。
初めての経験で、浮き足立ちながらも案内された席に着席し、少し待っていると「お待ち」という声と共に、凪茶と天宮のおじいちゃんの前にラーメンが降りてきた。
「わぁっ!」
私は凪茶へと届いたラーメンを覗き込むと、ギョッとしてしまう。
凪茶の頼んだ激辛ラーメンは、まさに豪華の地獄、びっくりするほどに真っ赤色である。
「……真っ赤ね、すごく」
「うん。ちょっと食べるんえずうなってきた……」
パキンッと、割り箸をわると、スープの中に入っていた麺をすくい取る。
(これ、人間が食べれるものなのかしら)
麺までスープが染みているのか、軽く赤っぽくなっており、食べていない私でも口の中がピリッとした辛さに襲われる感覚がある。
「甘いな嬢ちゃん、これが美味いんだよ!熱々のうち食べな!!」
天宮のおじいちゃんは頼んだ激辛ラーメンを、勢いよくすすりながら先に食べる。……にしても、顔色一つ変えずに食べているのが本当にすごい。
(実はこのおじいちゃん、人間じゃないのかも)
凪茶もおじいちゃんの押しと勢いに飲み込まれるように、おそるおそる麺を口に運びラーメンを飲み込んだ。
「んんっ……うまかばってん、ばり辛か」
凪茶はうっすらと涙声になりながらも、声を絞り出しながら答える。どうやら凪茶の中では結構厳しかったようで、目元をちらりと確認するとうっすら涙目になっている。
「……私も一口食べていい?」
「も、もちろんっ。辛かけん気ばつけんしゃい」
興味が出てしまった。大人しく食べない方が全然に良いと思うものの、あの凪茶を涙目にするぐらいの辛さ、どのぐらいのレベルだろうと考えてしまえば、必然と好奇心が勝ってしまうのは必然であり、仕方の無いことだ。
凪茶が激辛ラーメンを私の方にスライドしてくれているその間に、丁寧に割り箸を割る。「ありがとう」とお礼を言い、麺をすくうとそのまま口に放り込んだ。
麺を噛むとスープがじっくりと時間をかけて口に染み込んでくる。スープ自体はかなりあっさりしているものの、辛みという刺激が時間をかけて襲ってくるから、何度噛んでも飽きがこない。
「普通に美味しい」
想像以上に美味しかった、いや……なんなら結構好きだ。
香辛料を使った今までのものとは違う。喉を焼けるような辛さなのに、苦くなったりせずに食べやすい美味しさ。香辛料は入れすぎると苦くなるという話があるものの、辛さがありつつ苦味などはなく旨味が圧倒的に勝つ。
「普通にってなんだ!世界一美味しいだろっ」
「んなわけねーだろ!ほら、豚骨ラーメン来たぞ!!」
どちらも食べ比べをしていない現在は、このラーメン屋での世界一を決めるには情報が無さすぎるので、一旦無視を決め込む。予想に反して好印象であった激辛ラーメン、こんなに美味しい辛さを演出できるのであれば、これからいどむ豚骨ラーメンにも大きな機体が生まれてしまう。「お待ち」という声がかかると、いそいで激辛ラーメンを凪茶に返却し、自身が頼んだラーメンが置かれワクワクした気持ちを抑えきれずに勢いよくのぞき込むと、そこには少し茶色みがかった乳白色をしたラーメンが置かれていた。
「豚骨ラーメンってこんな色をしているのね」
豚骨料理はいくつ食べたことがある。でも記憶にあるどの豚骨味のものよりも、濁った色味の印象が強すぎる。スープには先程の激辛ラーメンよりも脂が浮いており、想像以上のこってりしたものが来てしまったようだ。
「凄く、その……こってり、してそうね」
「その通りだぜお嬢ちゃん。この豚骨ラーメンはこってりが売りなんだ」
……是非とももう少し早く言って欲しかった。
勘違いして欲しくないのだが、別にこってりとしたものが嫌いなわけでない、寧ろ逆でとっても大好きなのだ。しかし、家の者的には太るという行為に大きな抵抗感があったのだろう。社交界という場は家柄も大事になってくるものの、外見主義な部分も多々ある。だから、跡取り娘であり良い婿を見つけなければならない西條家では、肥満防止対策というかんじで、家ではあっさりとした物ばかり出ていた。もちろん、料理人が時々お菓子なんかを作ってくれていたものの、こってりとしたものは絶対に出してこなかった。
「麺に絡む最高のこってりスープは、他の店には無い最高の品だ」
おじいちゃんは、麺をすくい口に運ぶ。激辛ラーメンとは違って、スープが予想以上に滴る訳ではなくスープに絡みついて離れない。麺を食べることでスープも一緒に摂取できてしまうこってり具合なのだ。
(……美味しそう)
スープが滴ることを許さない、そんなこってりとしたスープに絡んだ麺は一体どんな味なのだろうか。
「熱々のうちに食べちゃいな」
興味がある。こんなにこってりとしたものを食べていることが家にバレたら物凄く怒られるに決まっている。けれどもそれ以上に憧れというものは、規則を破る理由に値してしまう。
私はスープから拾い上げるようにして麺をすくい、スープが落ちてしまわないように慎重に口に入れた。スープが濃い、想像以上にこってりして、上手く噛み合ってしまっている。
「美味しい」
ちょっぴり悪い事をした気がした。けれどもそれ以上に美味しかった。
家での規則を破って食べてしまったこってりとした豚骨ラーメン。けれども、規則を破ってまで食べて美味しいと思ってしまったのだ。
悪い子になってしまったなぁと思いながらも、美味しいものには屈してしまうのが人間という生き物である。
「あーっ、うちも一口くれん?!」
「いいわよ。はい」
私は凪茶に豚骨ラーメンを渡すと、凪茶は意気揚々とかぶりついた。
(こってりとした味付けだから、激辛ラーメンの口直しにでもなれば良いのだけれども)
少しだけ不安そうに凪茶の顔を覗き込むと、凪茶は宝石のようにキラキラとした瞳で私を見つめた。
「んーん!めちゃばりうまかー!!」
どうやら凪茶はこっちの方がお気に召したようだ。
こうして私たちはそれぞれ頼んだラーメンを美味しく平らげた。
「美味しかったわね。ね、凪茶」
「そ、そうやなあ!……ばってん、少しお水ば飲みすぎたけんやろうか、トイレお借りするっ」
凪茶は辛さを誤魔化すように何度も何度も水を流し込んでいたからだろう、店主に断りを入れると足速にトイレへと駆け込んでいった。
凪茶が来るまでどうしようか、とナプキンで口を拭いていると、隣に座っているおじいちゃん達が口を開いた。
「どうだ、お嬢ちゃん。美味しかったか?」
「えぇ、とっても。初めて食べたのだけれども、また食べてみたいと思うものだったわ」
想像以上にこってりとしていて、最後の方は少し苦しくなっていたものの、とても美味なものだった。胃もたれとまではいかないが、普段からあっさりとしていたものばかり食べていたからって言うこともあり、最後まで美味しく食べられた気はしない。少しもったいないと思うものの、美味しかったのは事実である。
(……まぁ、凪茶はそんな気がしないけど)
想像以上の辛さで、涙を流していたし誤魔化すように水を大量に飲んでいた。もしもまたこのラーメンを食べる時は、激辛ラーメンのほうに挑戦してみたいものだ。
「良かった良かった。なら今度食べに来いよ」
「えぇ。また来るわ」
これから全寮制の学校に通うから、その約束が果たされるのは随分と先になるのだけれども、合間を見つければまだ食べに来たい。
(ラーメン、すごく気に入ったわ)
凪茶にはこのような食べ物を食べるきっかけをくれたことに感謝しかない。あの強引さは初めて見たものだから、少しびっくりしたものはあるけど。
「それにしても、お嬢ちゃんたちの服装どっかで見たことあるんだよなぁ」
「お、天宮のじいさんもか。オレもどこかで見たことがあるんだよなぁ……確か」
おじいちゃん達が顎に手をやり、必死に私の制服を見ながら思い出そうとしていると、カウンターの奥からひょっこりと店主が現れた。
「――――うちの息子と同じ学校の制服だ」
「あー、そうだそうだ。零夜くんと同じ制服だ」
「最近は学校が忙しいみたいで、休日も帰ってきてないよな」
どうやらこの店主の息子さんが同じ学校らしい。
「今年から秋桜学園一年生の16歳」
店主は、奥にある写真を指差した。そこに写っている写真には店主と男の子が一人写っていて、少し高そうな額縁入れられていた。
(……にしても、息子さん凄く美形)
少し長めだけれども、ある程度切り揃えられている前髪に、ある程度伸ばしている後ろ髪。瞳がカチリと混じり合ってしまえば、瞳を逸らすことが出来ないほどに魅惑的な力を持つ深紅の瞳に、彼の良さをさらに引き立たせる長いまつ毛。
彼は左耳に銀色のピアスがいくつか付いている。
「息子さん、凄く顔が整っているのね」
「零夜は顔だけは恵まれたからな。喋ると残念な息子で友達出来てないみたいだけど」
店主はカウンターに頬杖を着きながら明後日の方向を見つめながら、ふぅっと溜息を零した。親的には友達がいない、というのはやはり心配になる要因なのだろう。
「お話してみたいわ。彼と」
店主の息子を心配する気持ちに感化されたわけじゃない。写真越しであるものの、彼という存在が気になったからこの言葉を零してしまっていたのだ。
もしかしたら既に友達が出来ていて、多くの人の輪に囲まれているかもしれない。それでも私は、彼と話してみたい……そう思ってしまったのだ。
店主は私の言葉が意外だったのか、一度目を大きく見開くものの、直ぐに目を細め口角を上げた、柔らかな笑みを零した。
「是非仲良くしてやってくれ」
「えぇ、絶対に声をかけるわ」
店主の笑みに釣られるように、私も自然と口角が上がっていくのがわかった。隣に座っているおじいちゃん達がにまにまとした気持ち悪い笑顔を浮かべていたのは見ないことにしておこう。
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