おはようの挨拶③

 都会へ行く電車は今の時間混むものの、反対っていうのは混んだりしないもの。そう知ったのは今日が初めてだった。



「意外と電車って混まないものなのね」



 私はトランクを引っ張りながら、また乗り換えをするために長い道を歩いていた。乗り越えは既に二回目ぐらいで、都会からだいぶ離れたことで人は少ない。



「全部ん席座れとーしラッキーってやつやなあ」


「そうね。とても助かるわ」



 事前に寮生活に必要な大きめの荷物は送っているものの、それでも当日分の荷物というものは存在し、これが結構重いのだ。大きめのトランクは移動だけでもかさばる上に、使う頻度が高いものはショルダーバッグに入れているので、さらに動きにくい。なので運良く座れるのはだいぶ嬉しい。



「次ん乗り換えするためん道は……」



 凪茶が少し離れた場所にある、案内板を確認するために顔をあげると、ぐうぅぅぅという大きな音が鳴り響いた。

移動で座っていても腹は減る。私はちらりと腕時計を確認すると、既に十三時を回っており少し遅めのお昼ご飯の時間。



「お昼ご飯にしましょうか。少し遅めの」



 本当ならば気を使ってあげるべきだった。

 今日の朝、出発する寸前まで凪茶は西條家の側仕え。ご飯の時間は私よりもずっと早く、お腹が空くのは必然的。私が起きる前から仕事をしていたなら、それはもうずっと前からぺこぺこなはずだっただろう。



「何か希望はあるかしら」


「う、うちの……?」


「凪茶以外いるかしら?」



 私はショルダーバッグからスマホを取りだして、現在いる駅名+ご飯所という単語で検索をかけてみると、想像以上にヒットしてくる。この駅にはご飯所が多いらしく、選択肢の幅が広がってやりやすいものの、迷う可能性が高くなるし凪茶のお腹が心配である。



「たまには贅沢しましょ。せっかくのスタートの日なんだから」


「……で、でもっ」



 凪茶は両手を前に出して自分自身の顔や姿を隠すように前かがみになって、私の方を見ないようにした。

 凪茶はこういう時に自己主張が本当に無い。元々山花家の人間というのは西條家に絶対的な忠誠があったからこそ成り立っている関係。凪茶はその忠誠が家ではなく私の方に強く向いてるからわかりにくいものの、何事も私優先に考えて行動してしまう。

こういう手は使いたくなかったものの、凪茶にイエスと言わせる方法が存在していた。



「主人の願いは?」


「……絶対」


「分かってるならよし。はい、どれにする?」



 凪茶の両手がゆっくりと下がり、私は凪茶との距離を詰めると、検索結果を見せるようにスマホを傾けると凪茶は慣れた手つきでスクロールを始めた。

 本当ならこうやって強制的に願い事を聞かせるべきではいとは分かっているものの、せっかくなら私も凪茶の好きな物が食べたかった。たまにはこんなわがままも面白いだろう。



「えっと……えっと…………」



 凪茶は楽しそうにスマホのスクロールを続け、とあるところでピタッと止まった。そこのお店の詳細をタップし、お店の外観がドアップで表示された。



「ラーメンとかどげんな!?」


「……ラーメン?」



 そこにはラーメンと書かれた、今にも潰れてしまいそうなほど古びれた……いや、趣のあるお店が表示されていた。



「あれ、姫里お嬢様食べたこと無かったっけ?」



 私の疑問の言葉が凪茶にはひっかかったのか、私の顔を覗き込むようにして確認してきた。

 ラーメン。

 起源は中国の麺料理。それが日本に流入し、日本の食文化と融合して生まれた料理がラーメンという存在、らしい。

麺、ダシ、タレ、具材、脂といった要素を組み合わせることで、無限のレシピ、バリエーションを生み出すことが出来き、多くの人に好まれ愛されている食べ物である、という話を聞いたことがある。



「えぇ、聞いたことはあったけど、実物は見た事ないというか」



 テーブルマナーをしぬほど叩き込まれる西條家では、何品にも渡るマナー教室が毎日のように開催されており、ラーメンという手軽に食べれると噂されているものは家では出てきたりしないのだ。



「ほんなこつ!?そげなと人生十五割損しとーばいっ」


「……十五割って、計算どうなってるのかしら」


「そ、そげんことどげんでんよかけん!早う食べに行こっ」



 凪茶は私の手首をいつもよりも力強くグイッと引っ張ると、私のスマホに入っている地図機能を使って足早に移動を始めた。



(凪茶は本当にラーメンというものが好きなのね)



 私といる時は私に対して自己主張がほとんどないのに、こうやって意気揚々に歩き出している後ろ姿を見ると、そのラーメンと言うものが凪茶にとって本当に好きなものなのだろう。私はまだ食べたことなんてないから、凪茶の熱意なんてものは分からないものの、この熱意をみるとラーメンというものを食べるのが楽しみになってくる。

 そのまま淡々と早歩き、初めて見る凪茶の熱意は凄まじく、あっという間に着いてしまった。

本日の仮メインである昼ごはん。その昼ごはんを食べるというラーメン屋は写真で見るよりもずっと古びた外観だった。



(こういうもの、なのかしら。ラーメン屋って)



 しかし、凪茶や周りの人は違和感がないようで、スマホ片手に外で待っている人が数人いる。凪茶にその列に引っ張られるように並んだ。



「楽しみやなあ!ラーメンっ」


「そうね。……凪茶がこんなに興奮しているところ、初めてみたわ」


「そげん興奮しとった!?」


「私のスマホを持って、道案内に走るぐらいには興奮してたと思うわ」


「……はっ!」



 凪茶は自分自身の手にある私のスマホに気づくと、勢いよく私に差し出した。この感じはどうやら、本気で気づいていなかったようだ。



「そ、そん姫里お嬢様ごめんなしゃい!久しぶりにラーメン食べるーて思うたら、我ば忘れとって」


「別に構わないわ。珍しい凪茶を見れて面白かったもの」


「そげん面白かったと!?」



 凪茶は少し大きな声で驚いな表情を見せた。くりっ大きく目を見開き、これでもかというほど大きく口を開ける。そのちょっとアホズラっぽい表情筋は、申し訳ないけどびっくりしている表情というよりも、とても可愛らしい表情に映る。

 私は凪茶からスマホを受けとると、ショルダーバッグの中に戻した。



「それはもうもちろん。私としてはもっと色んな凪茶を見たいから、これからもこんな感じでいてくれると……ふふっ、面白いわ」


「うわぁ……ばり恥ずかしか。ばってん、姫里お嬢様が褒めてくれるなら、そりゃそれで嬉しか、ような?」



 凪茶は両手を頬に当てて、頬をりんごのように真っ赤に染めた。

恥ずかしいけど、喜んで貰えて嬉しい。そんな自分自身の気持ちを納得はしてないけど、無理やり私の言葉を納得させようにしている姿だった。



「にしても、ラーメン楽しみね。凪茶は久しぶりと言っていたけど……やっぱり私の家で食べてる人はいないの?」


「メイド達でも食べよー人は見たことなかねぇ。……毎日朝は早かし、疲れて即寝ちゅう生活で」



 メイドたちの業務は私が思っているよりも忙しい。凪茶は学生という身分だから、他の人に比べて忙しさはそこまででは無いと言っていたものの、私からしたら凪茶の業務もなかなかのものだった。

凪茶が住んでいる大人数部屋の掃除から始まり、庭園の手入れ。私が起床してからは、私につきっきりの生活になる。寝る頃には部屋に戻るものの、基本的に私第一。小さい頃は特に、寂しいとわがままをついて一緒に遊んでもらってた。私は凪茶という人間が今日この頃まで、一緒に食事を取ったりすることもなかったからこそ、こうやって山花凪茶を知るタイミングを得られるというのは、転学して良かった点とも言える。



「確かに普段の食事は、家にある食材で作るものね」


「そーそー。昔はよう、夜食として食べよったりしたっちゃん」


「夜食で?」


「普段から三食支給しゃれたご飯やけん、自由に食べるーんって夜食ぐらいやったけん。……そして夜に食べるラーメンって、特別うまかとばいっ」



 家にいる料理人が作ったご飯を家のもの達は食べる。私や家族、そして家で働いてるもの達。ラーメンという、私には届かないものをコソッと食べるにはそういう方法しか無かったのだろう。



「もちろん普通に食べたっちゃ超絶うまかっちゃけどね!?夜食は夜食で別に美味ししゃがあるちゅうか……」


「夜に食べるからこそというやつね。こっそり食べる夜のお菓子が美味しいのと同じ理由に近いのかしら」


「そう!そうばい!!流石姫里お嬢様、大正解ばいっ」



 私も昔、料理人に駄々を捏ねて夜にクッキーを作ってもらったことがある。

初めて夜という時間に食べた甘いクッキー。親に見つかったら怒られるがわかっているのに、私は必死に駄々を捏ねて作ってもらった。こっそり食べたクッキーは、普段の何百倍も甘くて美味しかったのだ。

 あれは私にとって特別な経験で大切な思い出だ。

 これから体験するラーメンにも同じぐらいのものが秘めていると教えられたからには、ワクワクが止まらない。早く列が進まないか、わくわくしている気持ちが抑えられない、そう思っているとその気持ちに答えるように、私たちの前に並んでいたおじいちゃんがくるりと振り返った。



「――――お嬢ちゃん、ラーメン食べるの初めてなかい?」

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