第一章

第4話 新たな生活

けたたましく鳴り響く目覚ましが、私を微睡みの底から引きずり上げる。


また、朝が来てしまった。

現実と向き合わざるを得ない憂鬱に息苦しさを覚えつつ、身を起こす。


しかし、吐き出した溜息は長くは続かなかった。


目の前には、懐かしい下宿の光景が広がっていた。

部屋に差し込む朝日が、暖かく私を包み込む。


そこで脳内を記憶が駆け抜ける。


死神との邂逅という不可思議体験を境に、過去に戻ってきたらしいということ。

そして、亡くなったはずの結夏が生きていること。


与えられたチャンスを掴み、今度こそ結夏を救うと決意したこと。


昨日の出来事が鮮明に思い起こされた。

いつもの堤防で結夏と過ごした後、記憶を頼りに下宿に帰ってきた。


歩くうちに、世界がどんどんはっきりとしていったことを、よく覚えている。



…全て思い出した。


その上で、まず私を襲ったのは解放感であった。


呼吸をするにも痛みを伴うような、あんな生活をしなくて良い。

今なら何だってできる気がする。


大学三年生の夏、思いっきり就活の季節だが、そんなものは放っておこう。


どうせ第三志望群の企業にしか引っかからなかったんだし。


今は結夏を失わないために、全ての時間と労力を費やそう。



***



まず、これからすべき事を整理しようとした。


だが、幾秒も経たずに行き詰った。


結夏が亡くなる未来を回避するため、まず亡くなった経緯を思い出そうとした。


しかし、そこで一切の思考が止まった。



…全く思い出せないのだ。


亡くなった時の記憶に半透明なベールが何枚も被せられているような感覚。


脳を攫う追憶の網に引っかかるのは、結夏が亡くなった日付のみ。


8月26日の夜。

晩夏という暦を嘲笑うかの如く、蒸し殺されるような熱帯夜だった。


卓上のスマホを手に取ると、ロック画面に8月5日の文字が表示された。


それは即ち、運命の日まで三週間のタイムリミットであることを意味している。


三週間のうちに、結夏が亡くなる原因を突き止め、解決しなければならないということだ。


「なかなかハードな案件だな…」


しかし、泣き言を言っている暇はない。


手探りで事を進めなければならない以上、一秒たりとも無駄にしたくない。


私は、当時ヘビロテしていたコーデを身にまとうと、蒸し暑い外へ飛び出した。


自転車に跨り、ペダルに全体重を乗せる。


行先は、八ツ橋大学。

私と結夏の母校である。



***



「全くなんでこのクソ暑い中、野郎とデートしなきゃなんねえんだよ」


30分後、私はむさくるしい筋肉男とキャンパスを歩いていた。


別に変質者に絡まれた訳では無く、この男は私の親友であった。


「そう言うなよ。

どうせ彼女もいないんだし、ちょっと付き合ってくれてもいいだろ」


男の名前は、五里守 祭。

筋肉ゴリラで陽気なこいつにはピッタリな名前だ。


「ンだとコラ、これでもそれなりにモテてんだよ」

「動物園の中でだろ」


まあ、顔は男前だから、過剰な筋肉さえなければモテそうだが。



ムキー、とか言ってる祭を尻目に、私は気を引き締める。


祭には、全ての事情を打ち明けるつもりだ。


限られた時間の中で結夏の死を回避しなければならない以上、信頼できる友人の協力は大きな力になるはず…。



まずは祭を口説き落とすところからだ。



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