第2話 素敵な夢の幕開け

何とも不思議な心持ちだった。

さっき会ったあの男、死神と言ったか。


物語で描かれる死神と言えば、暗く冷たい死の匂いを纏っているものだ。

しかし、あの男はその種の存在とは違って感じられた。


確かに得体の知れなさや底知れぬ深みはあったが。

むしろ、それが私には美しくも感じられた…


十分に思考がまとまらないまま、気づけば見知った通りに戻ってきた。

いや、戻ってきてしまった。


できることなら、あれを皮切りに異世界に迷い込みでもしていたかった。


「やっぱ逃がしてくれないよな」


現実とは何とも無情なものである。

例えどんな物語の世界に入り込んでも、本を閉じれば現実へと引き戻される。


先程までの不可思議体験も、結局私を連れ出してはくれない。


「はあぁー…」


素敵な夢から醒めた後のような落胆と切なさを込め、精一杯の反抗にこれ見よがしな溜息をついた。



その時だった。


「峰守くん」


妙に聞き覚えのある声が、聞き覚えのないトーンで投げかけられる。


「は…」


反射で出かけた返事は、全身を駆け抜ける衝撃に搔き消された。


…なぜ、彼女が目の前にいる。


どうやら素敵な夢はまだ続いていたらしい。

だが、私にはこの先の展開が素敵なものには成りえないという確信に似た直感があった。


なぜなら過去の遺物に魅入られることは、身の破滅を招くのが物語の典型なのだから。



***



その瞳に、私は一瞬にして囚われてしまった。


周りの音は悉く消え失せ、背景は霧の海に沈むように鮮明さを失った。


その瞬間、世界にはただ彼女と私の二人しか存在しなかった。


二人の時間だけが引き延ばされた世界で。

素敵な夢のような世界で。


君の眼が形作る微かな曲線美を、私は今でも忘れられずにいる。



一夏の恋と呼ぶには、余りにも短く。


されど、私の心が愛で溢れかえるには十分な永遠だった。


最愛の人。

そんな表現ですら憚られる。


そんな形容ですら、彼女を陳腐にしてしまいそうなほど。


彼女は私の心の全てだった。



***



 「…なん、で」


「なんで、生きて…る?」


無限に脳内を埋め尽くす疑問符のうち、私の口を突いたのは彼女の存在への疑問であった。


亀を追いかけるアキレスのように、思考が永遠に現実に追いつかない。


いや、そもそも現実であるはずがない。

普段の数倍の時間を要してその考えにたどり着く。


そんな私を引き離すように、彼女はさらに訳が分からない態度をとった。


「どうしたの?

溜息なんかついて、幸せが逃げちゃうよ?」


言って、彼女は口元を緩ませながら、私の顔を下から覗き込む。


「…行こ?」


「ど、どこへ?」


「いつものとこ。

嫌なことあったんでしょ?」


私の手を引っ張る彼女の手に、確かな温もりを感じながら。


間抜けな顔に呆けた頭を引っ提げて、私の素敵な夢物語は幕を開けた。

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