1章エピローグ:君はまだ、野球少年の夏を知らない。
後日譚。
「そういえば、ずっと背負ってるその長いのって、一体何なんですか?」
火を起こしていると、クラミナが和夢の背中を気にし出した。
クラミナが和夢を最初に見た時も。
一週間の潜伏期間も。
マッド達から助けに来た時も。
いつも、肌身離さず身に着けている革で出来た藍色のケースを。
「バットだよ。野球はこれで、ボールを打って、点を取るんだ。“鑑定”してみるか?」
すんなりとチャックを開け、取り出した藍色のバットをクラミナに差し出す。
煌々と炎に照らされ、夜闇においても十二分にシルエットが明らかになっていた。
「えっ? 大事なモノなんですよね?」
「ずっとケースの中にいる方が息苦しいだろ。偶には外の空気吸わせてやらないとな」
まるで人間でも扱っているような雰囲気に、只ならぬ気配が前触れとしてあった。
だが、“
■ ■
「え?」
とクラミナが声を出した場所は、この世界ではなかった。
「これ……“アスファルト”?」
地面は緻密な計算によって舗装されていた。その地面を辿ると、あのジェット機よりも堅牢そうな巨大な建物が佇んでいた。
「“ドリームススタジアム”……!?」
少女の背筋に冷たいものが走った。
何故、知っているのだろう。
何故、道がアスファルトで舗装されている事を知っているのだろう。
何故、未知の建造物の名称を知っているのだろう。
何故、満ち溢れた光を放つスタジアムが、野球の会場である事を知っているのだろう。
そもそも、和夢の隣で“
和夢が後生大事そうに抱えていた藍色の木製バットを、“
(“
明晰夢の如く、ふわふわした世界を自覚していると、足が勝手にスタジアムの中に向かっていった。
気付けば、“グラウンド”に到着していた。何故グラウンドを知っているのだろう。
「……うっ」
グラウンドは廃墟だった。
昨日まで戦場だったかのように、芝生は焦げ、壁は罅が割れ、観客席は座れない程に壊し尽くされていた。
目を引いたのは、横断幕。
野球という夢を破壊した、カズムという悪夢を許すな。
「どういう事……?」
生々しい傷跡に留まらない。それよりも異質だったのは、千人はいるだろうユニフォーム(また知らない筈の名称なのに)姿の男達が倒れていたり、項垂れている事だった。
死んではいない。だがいずれも、“生”を吸い取られている。
蝉の抜け殻の如く、乾ききった姿で、沈んでいた。
『――お前が次のピッチャーか』
大気の波が押し寄せる。
その方向――バッターサークルの中で、何度も素振りを繰り返していた。
「カズム、君?」
と言い終えて、和夢ではない事に気付いた。和夢よりも、その肌は日焼けしている。
なんだか一年だけ若返ったようにも見える。何より、剥き出しの表情が、駆り立てる闘争心を表現している。
和夢は青年だったのに。
素振りを繰り返す“和夢に近似した彼”は、少年だった。
『和夢は俺の弟だよ。弟って言っても双子だけど』
からから、とバットの先端が轍を作る。
バッターボックスの白い囲いを、スパイクが超える。
左肩を前に出し、パワーポジションを取った。
『クラミナちゃん、野球やろうぜ』
「野球を……? いや、私まだ野球はキャッチボールしか知らないんですが」
『それなら充分だ。俺達兄弟は物心着いた時からやってたぜ。公園と、ボールと、バットがありゃ野球ってのは出来るんだ。あと、ボールを投げてくれるダチがいれば、な』
クラミナの横を、光が掠めた。
光の先端には、白と赤で出来た野球ボール。
さっきまで項垂れていた野球選手たちが、怒りそのままに同時に投げた。
百。千。万。
あらゆる投球が、少年に集約される。
少年は、心の底から笑みを浮かべていた。
『俺の好きな異世界を教えてくれた礼だ。クラミナちゃん、教えてやるよ――いっちょ、ショータイム』
世界を吹き飛ばさん勢いの、フルスイング。
途端、景色が一変した。
星座の灯は、ホームランボールに全て打ち砕かれた。
夜の漆黒も、
真っ二つになった夜から、出てきた。
快晴の昼空が、大地を燦燦と照り付けた。
「えっ……な、何が起きたんですか」
『サイコーだろ?』
待ち侘びた蝉の咽び。照り返す蜃気楼。
夜の冬から、熱い夏へと変わってしまった世界の中心で、達夢は無邪気に笑う。
『これが野球だ。俺達の夢だ』
■ ■
クラミナは。
後ろに倒れかけた。
「おい、大丈夫か!?」
和夢に支えられたと同時、野球バットを手放したことによって意識が戻ってきた。
「すみません、まだ疲れがあるようです」と適当にお茶を濁しながら、野球バットが和夢のバットケースに収まるのを見つめていた。
だが、クラミナの脳裏から消えない。
この木製バットの中で見た、“夏”の事は。
“
人間の身で、生者の身で、あれを観続ける事は何か途方もない結末を生み出すかもしれない。
それくらいの混沌が、今の野球バットには練りこまれていた。
「そのバットは……一体、何なんですか?」
「このバットは、双子の兄のだった」
それを聞きたいのではないのだが。だが、先程も平然と和夢は触れることが出来ている。
しかし、バットに秘められた特異性を理解していないという風にも見えない。
ただ、慣れてしまっている。
「その、兄というのは……」
「達夢って言ってな。一年前に死んだけど」
「死んだ、のですか……それは、ご冥福をお祈りします」
「ありがとう。アイツは、俺のただ一人のライバルだった」
和夢が立ち上がる。
「薪でも拾ってくる」
バットケースごと、
一体、地球では何が起きたのだろう。
一体、和夢はどんな夢を壊してしまったのだろう。
一体、野球とは何なのだろう。
「カズム君と、タツム君……一体何者なんだろう」
そう呟いたクラミナの視界には、並んで歩く双子の野球少年が映っていた。
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