第10話 てめーらこそ、夢語んな
剛速球。
強烈な回転を携えて、人の間を石が疾駆する。撒き散らかされた突風が人々を押しのける程の球威が宿っている。
豪胆とは裏腹に、精密機械の如きコントロールで人には当たらない。クラミナを捕縛する結界の剣に近づいてはいるものの、軌道からしてズレている。
「な、なんだ!?」
しかし事に気づいた兵の一人が、食い止めようと立ちはだかる。魔術では迎撃が間に合わないと悟ったのか、手持ちの剣を掲げて見せた。
奇しくも打席に入ったバッターが重なる。その兵士に野球の才能を見ながらも、颯爽と駆け始めていた和夢は確信を言葉にする。
「打ち返せるものなら打ち返してみろ」
それは“魔球”。
“
石の軌道が、直角に折れ曲がった。
「ま、曲がっ……!」
当然、構えていた刀身から余裕で逃げていく。
折れた軌道の先に、立方体を司る媒介の剣。
そして、石は剣を斬った。
剃刀。
折れ曲がるほどの強力な回転が、
「全然曲がらねえが、まあ
“結界”が消えた。だが、クラミナはダメージのせいか動けない。
一方で、失せた結界に兵たちはたじろぐ。突如降って湧いた魔球に、理解が追い付いていない。
「結界剣がただの石で千切れた、だと!? どうなってやがる!? 強力な強度が付与されてるんだぞ!?」
「気をつけろ、奇妙な魔術を使う!」
「魔術じゃねえ、魔球って言ってんだろ」
何も知らない観衆に舌打ちしながらも、悠々と駆ける。
夢という名のマウンドへ、一番乗りしたがっている子供のように。
ホームベースを踏もうと、全力疾走する野球選手のように。
「来るぞ! 早くそいつを捕まえろ! 否、殺せ!」
マッドの檄が響くと、兵士達が群れになって襲い掛かってくる。
いくら足が速くても、この密度は擦り抜けられない。
だが、止まってなんかいられない。
「試したことねえから、どこまで変化するか分かんねえが……」
目くらましがもう少し必要だ。
だから、青空へと拾った石を投げた。
彼方へ放られた石は、当然の摂理に従って放物線を描き、落ちてくる。
「“
ただし。
降り注ぐ。
二十もの、隕石となって。
破壊のゲリラ豪雨として、兵達の頭上を制圧する。
「ぎゃああっ!?」
「ぎっ、ぐっ!?」
怒涛の鈍い音達。真上から衝突する石の連打に騎士たちが怯む。
十分に兵達の間に動揺と隙間は出来た。
クラミナまでの道が見えた途端、疾駆は過熱し、ギアが切り替わる。
「は、速い! 誰かさっさと捕まえろ!」
「遅えよ」
疾駆。
MLB最多盗塁率の韋駄天。
韋駄天の韋駄天たる所以。
誰も追いつけない。阻む前に擦り抜ける。
しかも、一週間前のゴブリンよりも圧倒的に速く走っていた。
そのままスライディングして、クラミナを抱えて奥へと滑る。背中に掛けたバットケースに張り付いた泥を見て、溜息を吐く。
「ちっ。バットケースが汚れちまった。咄嗟だったから庇う余裕もなかったな……」
「カズ……ナリ、くん? どうして……!? だって君、今頃
「何者だ!」
馬上からマッドが忌々しく睨みつけてくる。
先程の
ここは打席。逃げ場はない。剣がバットだ。
助けに来た和夢に後悔はない。武者震いのような小さな笑みが浮かんでいた。
「……助けに来てもらってごめんなさい。でも逃げて下さい」
弱弱しい声が、打席の後ろでした。
「あのクロスボウは人間の魔力を矢に変換する魔道器です。撃たれれば、一溜りもありません。私の胸元に煙幕があります。それを使えば、君の足なら逃げきれます」
「なんで自分が逃げる為に使わなかった」
疑問だった。クラミナは今日まで、大多数に追われた経験はあったはずだ。幾らでも逃げられた筈だ。煙幕を用意していたなら猶更だ。
原因があるとすれば、自分の存在だ。
「下手に逃げて、奴らにアジトに駆け込まれたら、俺が危ないと思ったからか。おたく、囮になっていたのか」
「……それは」
「こんな訳分かんねえ異世界人放っておいて、夢を優先しろよ。“
“
その単語を放し飼いにした途端、広場は引いた波のように静かになった。
「はっ」
「ぷっ」
直後、溜めに溜めた笑いが町中から押し寄せた。
笑い。
嘲笑。
嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。
「はははははははははははははははははははは!!」
「ひーっひっひっ」
嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。嘲笑。
街中から、隙間なく歪曲した雰囲気が駆け巡る。
兵士からも、街人からも、平等に。
悪意無き悪意が、亡霊の後ろ指となってクラミナと和夢に突き刺さる。
「カズム君。これが世界の、“
「……」
「私の夢は、こんなにも虚しくて、笑われる程度のものだったんです」
枯れて小さくなった声は、薄情すぎる哄笑の津波に呑まれて消え入りそうだった。
クラミナの心は、完全に磨り減ってしまっている。
「クラミナよ、まだ貴様、
抱腹絶倒と言わんばかりに大笑いしながら、肥えたマッドが大きな馬に乗って出てきた。きっと太った巨体を十全に支える馬も、金の力で得たのだろう。
「世界の始まりなど本当に在ると、神にとって代わる石など本当に在ると、生命の根源など本当に在ると、心の底から信じていたというのか……」
嘲笑は、自分勝手に憤怒へと様変わりし、突如爆発する。
「どれだけ我がモーニンググローリー家を侮辱すれば気が済むのだ!! 貴様のせいで我が家の品位が! 錬金術という学問が蔑まれていると何故分からんのだ!! 良いか。人には生まれ持っての役割ってもんがある。俺は男に生まれ、そしてモーニンググローリー家という偉大な一族に生まれてきた!」
「……」
「貴様は女で! “
再び、冷たい嘲謔が蚊のように辺りを飛び交う。
これが、ずっとクラミナが受け続けてきたものなのだろう。
彼女の夢には、確かにあまりにも障害が多すぎた。大きすぎた。
こんなものは夢じゃない。
悪夢だ。
(ああ、そうか)
(今、クラミナの夢は、壊れそうになってんだ)
クラミナは、どこかで悪夢の終わりを求めていたのだ。
夢の終わりを求めていた。安堵の現実を求めていた。
傷つくしかない日中から、泣くしかない夜中から、逃げたかったのだ。
“壊れてしまった夢”の痛さは、和夢も良く知っている。
野球という夢が崩壊する様を特等席で見てきたから、良く知っている。
だから、分かる。
今、クラミナの胸がどれだけ張り裂けそうなのかを。
「貴様のは夢とは呼ばん! 貴様が夢を語るな! 夢とは、選ばれた人間のみが挑戦し得るものだ。この俺のようにな! 者ども、蒙昧な乱入者を仕留めよ!」
「カズム君、逃げ――」
クラミナの声も間に合わず、兵士たちの手に握られたクロスボウが、同時に光った。
“魔術”。
辺りが歪むほどの業火の玉。沈め潰しそうな深海の塊。目視可能なほどに濃密な空気の渦。
あらゆる色の光が、兵士たちの体から発せられ、クロスボウの矢として装填された。
直後、一斉に光の雨が和夢とクラミナへ襲い掛かる。
その数、十。
四方八方から、握りつぶしにかかってくる。
「おい。さっきから安全地帯でうるせーぞ」
けれど、和夢は。
瞼を細める事さえしない。
過熱する感情を、今更どこに仕舞えというのだ。
「てめーらこそ――」
力のままのフルスイングに籠めるくらいしか、使い道がないじゃないか。
「――“夢”、語んな」
そして、全ての魔術は打ち返された。
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