第3話 ゴブリンをホームランにする

 かつて、兄とこんな会話をした。


『例えば、ナイフを持ったやべー奴が襲ってきたとする。お前は偶々愛用のバットを持っている。さて和夢。お前は野球の魂で反撃するか? それとも事ここに至っても野球道具は人を傷つける為にある訳じゃないと、素手で何とかするか?』

『なんつー質問をするんだ、ウチの兄貴は』

『真剣に考えておくべきだ。いつ誇りと命の二者択一を迫られてもいいように。俺が次に進むMLBアメリカってのは、そういう銃社会だ』

『はっ。ラノベの読み過ぎだ。住居と振舞いに気を付けてれば何とかなるだろ』

『異世界に飛んだ時どうすんだ? 魔物や敵兵は待ってくれねえぞ』

『話が飛びすぎだ』

『ジョークが通じねえな、ウチの弟は』

『やべー奴が襲ってきたらどうするって? 答えは簡単だ。逃げりゃいいだろ逃げりゃ』


■   ■


「のわあああああああああああ!!」


 逃げられない。

 根に足を引っかけ、傾斜を転げ落ちる。かなりの距離を回転した。殆ど無傷なのは奇跡だ。

 だがゴブリンはまるで庭のように、枝から枝へと飛び移って追いかけてくる。

つい先程一人の兵士を打ちのめした棍棒で、和夢の頭蓋を砕くまでは止まりそうにない。


「待て、待て! 待て! 待てだぞ、待て! 俺は敵じゃない!」

「シャアアアアアアアア!!」

「うおおおおおおおおお!!」


 叫んでも無駄だった。

 長く立派な耳があるのに、聞く耳では無さそうだ。


 ゴブリンが飛んできて、血塗れの棍棒を大振りにする。再び転がって距離を取るも、身の毛もよだつ冷や汗が、背中合わせの死を雄弁に警告する。


 御馳走でも目前に揃ったような涎が、ゴブリンの口から垂れた。

 次で和夢を仕留める算段を着けたのだろうか。


「あー、真剣に考えときゃ良かった。やべー奴に襲われた時のこと」


 ライオンが同居する檻に閉じ込められた気分だ。

 逃げられない。降伏もできない。

 なら戦うしかない。

 でも生憎と喧嘩の経験などない。

 ずっとマウンド上で相対する敵を、どう沈めるかのトレーニングしかしてこなかった――。


『お前は野球の魂で反撃するか? それとも事ここに至っても野球道具は人を傷つける為にある訳じゃないと、素手で何とかするか?』


 ふと、兄の問いが脳裏に過る。

 背中のバットケースに手が伸びる。

 何度も、場外ホームランを生み出したバットだ。


「ばーか、使えるわけねえだろ」


 電流に戒められたように、手を引っ込める。


「このバットは……だ」


 本能はこのバットを使ってゴブリンを振り払いたい。

 だが、心がバッターボックス以外で握る事を千切れるくらいに拒否している。


 野球選手としての矜持や美徳は、自分の命よりも優先して然るべきとは思わない。

 ナイフを突きつけられた状態で、『野球道具は誰かを殴る為にあるんじゃない』と綺麗ごとで殴りつける高潔さは、生憎と有していない。

 だが、このバットだけは。

 正真正銘、“魂”だけは――。


「ガアアアアアアアア!!」


 時間切れを示すゴブリンの襲来。死を予感した。


「……剣!? これなら」


 和夢は足元に転がっている剣を咄嗟に拾う。

 ゴブリンに殺された兵士が握っていた、血塗れの剣。

 バットより断然重い。グリップも手にやさしくない。

 もう、やぶれかぶれだ。


「“よろしくお願いいたしまーす”……」


 まるでバットを持って打席に入るような声が、自然と出た。

 剣の構えはとらない。

 場違いにも、体は勝手に打者の構えパワーポジションをとる。

 戦場ではなく、左打席に立つ。

 飛来する緑の球に対し、右肩を向ける。

 後ろに引いたバットに、全ての力を集約する。


 ゴブリンが最上段から思いっきり棍棒を振り下ろす。

 脳天まで数ミリまで迫る。

 デッドボール。死球。その直前。


 全身全霊でフルスイング。

 描くは半円。


「ビギ!?」


 腕に跳ね返ってきた衝撃は、ボールより重い。

 構わない。何人もフルスイングを止められない。


「っらあ」


 ゴブリンは、ホームランボールになった。


 剣は斬る凶器という当然を忘れ、腹の部分で“潰しつつ”、吹き飛ばした。

 バットとボールじゃないから、和夢にとっては全然ホームランではない。

 それでも大樹を超え、青空へ消えていく放物線アーチを眺めながら、ふと思う。


(そういえば達夢兄貴が言ってたな。ゲームやラノベだと、魔物を倒したらレベルが上がるんだって)


 少なくともそれを語る音は聞こえなかったし、何よりナンセンスだろう。和夢は魔物を倒したわけではなく、ただ野球をしただけなのだから。


「貴様見たぞ! 今のはなんだ!」

「やべ」


 すぐに現実に引き戻された。兵士に囲まれていたのである。

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