第2話 あれはゴブリンらしい。兄貴がそういっていた。

 いつか、兄とこんな話をした。


『また投球のフォームをチェックしてんのか、和夢。息抜きも大事だぜ。何事も全力投球しすぎだ』

『俺には野球しかない。食う、寝る、野球だ。で?  達夢兄貴は何読んでんの?』

『異世界転生モノのラノベ。クラスメイトに借りた』

『ラノベぇ? はっ、空想が何を齎してくれるってんだ』

『先入観は学習の大敵だぜ? お前の魔球こそ、空想科学の領域に入りそうじゃねーか』

『……その魔球を全て打ち返す天才が言うかよ』

『だからお前も数多のラノベを読破し、魔球のアイデアをインプットするこった』

『はっ。本当に異世界に飛んだら読んでやるっての』


■    ■


「ぐっ!?」


 走馬灯。これが走馬灯。


 和夢かずむは籠を揺さぶられる虫の気分を味わっていた。搭乗していたプライベートジェットが上下左右に振動し、自分を固定しているベルトだけが頼りな状態だったのだから。

 窓に映る黒雲に、閃光のイルミネーションが迸る。それに相応しい轟音が和夢かずむの悲鳴を上書きする。

 “墜落”。和夢かずむの脳裏には絶望の二文字が過る。 

 手元にあった藍色の宝物バットケースを抱きしめながら、目を瞑って連続する衝撃に耐える。


「がっ!」


 詰まっていた息をすべて吐き出したと同時、非常に強い振動が全身を攪拌する。だがそれっきり、景色の停止に合わせて、一人しかいない客室内も静まり返っていた。

 生きている。その事実を理解するだけで長い時間が過ぎた気がする。

 不時着したのだろう。ジェット機からの景色には釣り合わない、鬱蒼とした木々からそう判断する。ベルトを解き、バッドケースを肩にかける。


「パイロットさん! 無事か!?」


 開いていた扉から操縦室へ駆け込むが、操縦桿の前は空席だった。

 さては飛行中に自分一人だけ逃げたか。

 堕ちる前に一人でパラシュート降下した姿を想像したら、怒りを通り越して褒めたくなるくらいに笑える。


「にしてもここはどこだ……?」


 外に出て、改めて青一面ががっていることに疑問を覚える。先程まで黒雲の中に居た筈なのに、雲一つ見えない。


 さてはアマゾンの森林にでも放り出されたか。圏外のスマートフォンも役に立ちそうにない。状況把握すらままならないでいると、数人の足跡が聞こえてきた。

 深い茂みに隠れて、訪れた人影を唖然としながら観察する。

 

「なんだあのファッション……」

 

 古さを感じる。民族衣装だろうか。

 しかし、どう見ても南米人には見えない。

 全員、宇宙人にでも出くわしたように、数々の大樹をへし折って鎮座するジェット機を見上げている。


「英語でもねえ。ヨーロッパ圏の言語でも無い……」


 どよめきと共に耳に入る言葉が、暗号にしか感じられない。“理解できないのになぜか意味が分かる”言語から情報が耳に入る。


『気をつけろ。 “結晶堕天サンキャッチャー”の力は健在だ』

『こんな鉄かも分からぬオブジェを作るとは……奴は“錬金術”も使う。真正面からは戦わない方がいい。半分は内部の探索、もう半分は辺りを探せ。見つけたら連絡しろ。“魔術”で一斉攻撃するぞ』

「魔術? 錬金術? 何を言ってんだ?」


 不可解な会話をする彼らの剣には、わずかに血がこびりついていた。過去、人を斬ってきた形跡に見える。

 真正直に飛び出たら斬られる。そう確信して然るべき雰囲気がある。

 バット以外の荷物は全て機内だ。だが取りに行くのは得策のようには思えない。


「お前! そこで何をしている!?」

「やべっ」


 声が背中から突き刺さった。同じく剣も突き刺さろうという位置にある。


「さては、“結晶堕天サンキャッチャー”の手先か?」

「手先? ってか“結晶堕天サンキャッチャー”って何だよ!? おたくら何なんだ!?」

「お前みたいな異分子を斬る事が仕事の兵士だ」


 絶望的に話が嚙み合わない。

 和夢は野球のプロだ。向かってくるのがボールなら、どうにも打ち返しようはある。

 だが、剣を持つ兵士に後ろを取られた時の対処法までは知らない。


「怪しい奴め……とにかく一緒に来てもら、がっ!?」


 短い悲鳴。反射的に振り返ると、緑色の残像が兵士の頭に絡みついていた。

 倒れた兵士の上に馬乗りになり、棍棒を振り上げた“それ”は、明らかに人間じゃない。


「しまっ、ゴブ、リン……」


 ぐちゃ、と弾ける頭蓋の中身。

 その言葉を最後に、むき出しの顔面に棍棒が叩きつけられた。陥没した顔面は、ピクリともしない。


「なんだコイツ……ご、“ゴブリン”……?」


 両肩で息しながら、異形の名を繰り返す。 

 兵士の遺骸から立ち上がった緑色が、こちらを向く。悍ましさを感じる風貌。赤い目は自分も獲物だと見定めている。


「ってゴブリン? これがゴブリン……はっ、おいおい、流石に、笑えねえぞ。人、死んでんじゃねえか」


 血の気が引いていく中、兄がやっていたゲーム画面上の名詞を思い出す。

 “ゴブリン”。架空の、魔物という存在。


 ここにきて和夢かずむはようやく理解する。

 血塗られた剣を携えた兵士。不可解な言語。そして魔物ゴブリン


「は、はは」


 殺されそうだというのに、不気味にも笑みが零れる。


達夢兄貴のラノベ、読んどくんだった。異世界じゃん、ここ」

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