第28話 やり直し(3)
「……ありがとうな」
ぼそりと告げられた感謝の言葉に「え?」と夏希は聞き返す。
「茜があんな風に素直に育ったのは夏希のおかげだよ。だから、ありがとう」
「そんな」
当り前じゃない、と思ったが、それは言葉に出さなかった。
「それに。俺や父さんと母さんともちゃんと節目節目で会わせてくれてありがとう」
シングルマザーとして戦ってきた二十年だったが、茜とその父との関係を断絶させてはいなかった。茜にとっては父であることには変わりないし、その祖父母もそうだと思ってきたからだ。
「たくさんの人に愛情をかけてもらうことが、茜にとっても良いことだと思ってきたから。それ以外にはないわ」
「そっか。でも、ありがとう」
英明は夏希との約束通りに養育費と慰謝料を一括で支払い終えていた。それだけではなく、その後の援助も続けていた。父としての役目を果たそうと、彼なりの努力であった。すっかりと、ただの茜の父となっていた。
若い頃はあんなに色々とヘアスタイルも変えていたというのに。最近では彼女ができたという話も聞かない。
「どういたしまして。まあでも、あなたが父親でよかったなと思うことはあったから、私もあなたには感謝しているわ。どうもありがとう」
「夏希……」
茜の二十歳の節目に、日頃は言えない感謝の気持ちを夏希も口に出すことにした。気持ちに一区切りがついたからだ。
「それで。お金の件なんだけどさ。茜が大学を卒業するまではさせてくれな」
「そんな。元々、一括でもらったんだから大丈夫よ」
「いや。父親としてこれくらいはしたいんだよ」
「……ありがとう」
ゆっくりと頭を下げた。英明に対してこんなに深々と頭を下げるのは初めてのことだったかもしれないと、夏希は座敷の畳の目を見ながら思った。
そろそろお開きにしようということで、七人でぞろぞろと店を出る。「それじゃあ」と挨拶をして、夏希の両親、英明とその両親、夏希と茜の三手に分かれてそれぞれの帰路へと着く。夏希と茜は店の前でしばらく佇んでいた。
「夏希!」
そんな二人の元に、両親と帰ったはずの英明が中年太りの腹を揺らしてこちらへと走ってやってきた。
「どうしたの?」
「お父さん走って大丈夫なの?」
肩でぜえぜえと息をする英明を二人は心配する。息を整えると、真っすぐに夏希へと視線をやった。
「こんなこと、俺から言うことじゃないと分かっているんだけど。夏希には茜をこんなにも素敵な女性に育ててくれたことに本当に感謝している。言葉では言い表せない。改めて、夏希がどれほど素敵な女性なのかということを身に染みて感じた。……だから俺たち、やり直さないか?」
夏希も茜も目が点になった。それには気づかず、英明は饒舌に言葉を放った。
「お互い、老後のことを考えたらいつまでも一人というわけにはいかないだろ。茜もこんなに立派に育ったんだし、そろそろ二人のことを考えてもいいのかと思って」
夏希は言い知れぬ恥ずかしさが、地の底から込み上げてくる。茜は間抜けにもぽかんと口が開きっぱなしになっていた。
「つまり、俺は夏希のことを愛しているんだ。だから俺とやり直してほしい」
英明は夏希へと手を差し出した。夏希はそれを見つめる。そしてゆっくりと視線をあげて、英明の瞳を射た。英明はこくんと頷く。
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