第5章 やり直し
第26話 やり直し(1)
雪が降っていた。年に一度の大寒波と言われ、地面も雪で覆われていた。外に出れば耳までキンと冷え、心臓がきゅっと狭くなった。息を吐けば当然のように白い靄が立ちのぼる。まだ夜も明けきらないうちから、夏希は車を運転していた。後部座席には起きているのかいないのかよく分からない娘が乗っている。
「ほら、茜。もう着くからしゃんとしなさい」
「ん~~~~」
茜の気持ちもよく分かるのだが、少しイラっとせずにはいられない。夏希だって早起きをしているのだ。目的地へと到着すると、茜もさすがにぱちりと瞼を開けた。朝日が昇る前から、煌々と明りがついている。
「おはようございます」
茜を連れて飛び入ると、そこは戦場のようだった。夏希たちのような母娘連れが何組かおり、がやがやと賑わっている。
「5時に予約の川添様ですね。お待ちしておりました。お母様はこちらでお待ちください」
夏希は母親たちがずらりと座っている待合の椅子へと案内され、茜は大きな鏡の前へと案内される。その姿を見て「ああ。今から変身するのね」と夏希は思った。まだ泣くところじゃないのに、感慨深い気持ちが込み上げてくる。いよいよ、茜の振袖姿が見られるのだ。
ヘアメイクの終わった茜は、カーテンで仕切られた奥の方へと移動した。着付けが始まるのだ。すでに着付けを終えた他の娘たちが、母親と共に美容室を出て行く。「私ももう少しであんな風に茜と出て行くんだわ」と思いながら、この二十年間を反芻する。
茜との二人きりの生活は決して楽なものではなかった。シングルマザーとして周りの人に支えられながら、なんとかここまでやってきた。
茜が幼い頃は、仕事に行くことさえ大変だった。熱を出すたびに保育園から呼び出され、職場での肩身は狭かった。少しずつ成長して茜は一人での留守番が増えた。寂しい思いをさせていることに胸が痛んだ。
思春期になると何度もぶつかった。「お父さんと離婚しなければよかったじゃん!」と言われた日は、茜が寝ている隣で枕を濡らした。茜が学校で人間関係に悩んでいたことに気付けなかった日は、リビングで声に出して泣いた。茜が進路を決めた日は、二人で抱き合って泣いた。
茜との思い出にはたくさんの涙がある。楽しくて笑っていた日もきっとたくさんあったはずだが、思い起こすのはいつも苦労をした日のことだ。苦労をした分だけ、胸を痛めた分だけ、母親として成長させられてきたように感じる。
茜と幸せになろうと決めた三度目のタイムリープ。今回の人生は、今のこの瞬間まで、タイムリープすることはなかった。なにがトリガーとなっていたのか。夏希には今でも分からなかった。
「お母さん。お待たせ」
はにかんだ茜がぴょんこぴょんこと夏希の元へとやってきた。下駄が歩きにくいらしい。選んだ振袖は新緑の華やかな色合いだ。朱色の半衿とよくマッチしている。大人びた娘の姿に「ほお」と溜め息が零れた。
「茜。素敵よ。よく似合ってる」
「ありがとう」
「それじゃあ帰ろうか」
「うん」
車へと乗り込む。細心の注意を払わなければならない。「帯が崩れないようにちゃんと背筋伸ばしてね」と注意すると、「分かってるってば。車の乗り方も教えてもらったから」と茜が答えた。
「お父さんは何時にくるの?」
「二時頃よ。お店に直接くるって」
「そうなんだ。おばあちゃんたちも?」
「そうよ」
二十歳を祝う会が終了した後、家族でのお祝いをするために店を予約していた。茜の振り袖姿を一目見たいと夏希の両親からの要望があったのだ。そういうことならと、お祝いの席を設けることになったのだ。
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