第18話 リープ3回目(2)

「タイムリープをしないためには、あの雨の日にあの現場に行かないようにしなくちゃいけないわけでしょ……」

 

 頭が痛い。夏希は頭を抱えて布団の中にうずくまる。もう何も考えられないほどにショックを受けていた。三度も不倫現場に出くわしたのだ。目を閉じれば、三度のどの場面も克明に瞼の裏に映る。

 

 はらはらと流れ出る涙を掌で拭う。手の甲も掌も涙でびしゃびしゃだ。濡れた掌を見つめ、夏希はあることに気付く。

 

「これ……」

 

 左手首にしっかりとつけられたそれだ。

 

「茜……」

 

 なぜだか分からない。分からないが、夏希の左手首には茜からプレゼントされたミサンガがついていた。英明と結婚しない選択肢を手にした今、茜の存在は身が引きちぎられそうになるほど、夏希を悩ませる。

 

 英明と結婚しないと茜に出会うことはできない。

 

「茜……」

 

 夏希はミサンガを抱きかかえるようにして、左手首を胸に当てた。そこに茜は居ないが、茜と繋がっているように感じる。「腹を括るしかないか」と夏希は思った。答えは一つしかなかった。

 

「絶対にあの男に一泡吹かせてやる……」

 

 燃え滾る黒い感情に名前をつけるとしたら「憎悪」である。「なにもなかったこと」になどできるはずもない。ぎりぎりと奥歯を噛み締めていると、夏希のスマホがメッセージを受信した。こんなに朝早くからメッセージを送ってくる人物など、今のところ一人しかいない。

 

 LINEを開くとやはり憎き相手であった。

 

<夏希おはよー!今日は9時に迎えに行くね!>

 

 どんな顔をしてこのLINEも送っているのだろうと夏希は思った。今、この瞬間も、英明には浮気相手がいるのである。突発的な連絡も、お願い事も、全部断られたことがない。だから夏希は安心しきっていた。「この人なら浮気などすることはないだろう」と思っていた。

 

「女のためならなんでもできるってだけのことだったのね」

 

 虚しさばかりが胸を占める。夏希が信じていたものはすべて虚像だったのだ。夏希に一途な英明など、初めからどこにも居なかった。取り戻そうとしていたものこそ存在していなかったのだ。

 

「おはよう、夏希」

「おはよう」

 

 約束通りに英明が迎えにやってきた。家の前に横づけされたセレナを見て「そういえばこの車に乗っていたな」と夏希は思った。

 

「迎えに来てくれてありがとう」

「当り前だろ。どうぞ乗って」

「ありがとう」

 

 夏希の持っていた旅行鞄は英明の手によって後部座席へと入れられる。その間に助手席へと乗り込む。

 

 今日のデートは別府への温泉旅行だ。何か月も前から夏希も楽しみにしていたことを思い出す。この時に撮った写真を結婚式のスライドショーで流したはずだ。皮肉にもあんなに楽しかった思い出の時にタイムリープするなんて、と夏希は嘲笑した。

 

「じゃあ出発します」

「よろしくお願いいます」

 

 ゆっくりと車が動き出す。

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