エフェクト
1
帰宅すると回覧板が届いていた。
ポストには入りきらないので、玄関の前にある甕の上に蓋をするように置いてくれている。
以前からやめてくれと近所には、伝えていた。
甕にはメダカを数匹飼育している。訴えは、いまだに聞き入れてはもらえないみたいだった。
納得できないまま、松宮が回覧板を開くと次のような指示が書かれていた。
今月もエフェクトの日があります。
以下の日時に、以下の指示に従って自宅内の配置変更や設備設定の変更を 必ず行ってください。
5月23日午前11時
一、1階のトイレの扉を開けたままにしておくこと。(上記時間に使用す る場合は必ず扉を閉じないこと)
一、テレビのリモコンを見えない場所に隠すこと
一、風呂場の換気扇を切ること
読み終えると、松宮はそのプリントを躊躇いなくクズかごに捨てた。
彼はいつもそうしていた。
松宮はこの地区に一軒家を購入してからというもの、エフェクトという風変わりな習慣を初めて知った。
区長がエフェクト の数日後にやってきて、指示に従ったかどうかを確認するのだが、いつも守っていると嘘をついていた。誤魔化していたのである。
ただ、そんなことはどうでもいいことだと思っていた。
2
ある日のことだった。
近所の小学生の男の子が、行方不明になった。
忽然と消えたのである。数人で下校していたのだが、一緒にいた子供たちが振り返ったら、もういなかったという。それまで、ずっと一緒に話をしていて、「うんうん」という声もしていた。
捜索活動が行われた。
しかし、捜索活動が進行している最中にも、今度は小学生の女の子が失踪した。その3日後に松宮の愛犬が、朝起きるといなくなっていた。
3
松宮の愛犬ボロンは、ここに家を購入して以来のパートナーだった。
こんな喪失感は初めてだった、
突然どこからか戻ってくるかもしれない。
そんな気配は微塵もなかった。
警察に行ったが、届出を出すことしかできない。
今はそれどころではない、という印象で警察官にあしらわれた。
警察官から、エフェクトをしっかり順守していたのか、と尋ねられた。
一瞬、松宮は躊躇った。
警察官は見逃さなかった。
そこで事実を告げられた。
行方不明になった子供たちの親は、エフェクトを守っていなかったという。
それは警察だけが把握している事実だった。
地区長や地域住民には公表はしていないという。地元民にこのことが知れてしまえば、エフェクトに関する取り組みは、今以上に過激化する。警察官はそんなことを話してくれた。
4
だとすると、エフェクトを信奉している地域住民によって、子供たちの誘拐が企てられたのではないか、と松宮は邪推した。
ボロンも近所に監禁されているのかもしれない。
そんなことを考えていると、恐ろしかった。
子供たちが行方不明になっていることは、まだ公開されていない。
なので、このあたりは静かなものだ。
小学生が2人もどこかにいなくなってしまったなんて事実はなくて、夢の中のできごとにも思えた。信じられないくらい平和だ。いつもと変わらない。
5
そんなことを思いながらボロンの写真付きの手配書を自作して近所へ配ったり、張り紙ができる場所へ掲示した。
喪失感は、増していった。
肩身の狭い思いもした。
住民は皆、優しくて親切だった。手配書を手にして歩いていると、すれ違う人はそれを見て必ず声をかけて励ましてくれるのだった。
行方不明になった子供たちの手配書の横に、松宮はボロンのそれを貼り付けた。
剥がれかけている手配書があるときは、誰かがすぐに修正してくれていた。
子供たちの笑顔の写真を見ると、松宮は感情が追いつかなかった。知らず知らずに、泣いていた。
こんなことは初めてだった。まるで自分の子供のように思えた。
そして、エフェクトを守っていたら、こんなことは起きなかったのではないだろうか。
そんなふうに考えるようになった。
やがて、その考えは膨張した。膨張すればするだけ、罪悪感は縮小していった。ついでに、後悔も軽減する。すると気持ちも前向きになっていく。
6
エフェクトの日が訪れた。
回覧板には、次のように書かれていた。
一、今夜、自分を喪失すること
一、午前0時に決行すること
一、自宅は、だれがいつ戻っても使える状態にしておくこと
この3つが書かれていた。
松宮は、その指示に感謝している自分に気がついた。
まるで、衰弱した自分を気遣ってくれている誰かが、松宮のためだけにエフェクトを考えてくれた気がしたからだった。
午前中のうちに、キッチンとトイレと浴場を清潔にした。
午後、必要はないと思ったがフローリングに掃除機をかけた。
それから、ボロンの餌入れと水のみを洗浄した。
それだけで十分な気がした。他に手入れして綺麗にしておくところはないように思えた。
午前0時が近づくにつれ、松宮は特に計画もなく自宅を出た。
無心で歩いていると、人の流れがあった。
人々は列を作るようにして、山を目指していた。
誰も言葉を交わさないので、松宮もそうした。
地域住民は、やがて山頂へたどり着いた。
山頂には洞穴があった。
洞穴へ入るには石段を下っていかないといけない。
石段は不規則だった。
若い者は老人の手をひいて歩いていた。石は湿っていて、歩きにくかった。
地区長の声がした。
「皆さん、次にあの街に住む人たちのために、ご自宅は清潔にしてきましたか?」と元気に言った。
皆、まばらだがそれぞれに答えた。暗がりに声は響いた。とても、聞き取りにくかった。
「わたしたちのエフェクトは失敗に終わってしまいました。いったんリセットということで、お願いします。次にあの地へ居住する人たちの幸せを祈って、わたしたちは消えましょう」地区長は言った。穏やかに笑っていた。少しだけ、申し訳なさそうだった。
松宮は、この先にボロンや行方不明になっている子供がいるような気がした。
彼の背中は、洞穴の深い闇に沁みるようにして、見えなくなった。
それから、すべて喪失した。
LIFE 鷹宮スイ @suitakamiya
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