第30話「握手」

 打ち上げ会場に貸切った飲み屋の出口で、二次会に行くひとを募るスタッフたち。

 そこから少しだけ離れた喫煙スペースでひとり、タバコを吸う直斗なおとの目の前に手が差し出された。

「なんだよこれ」

「ギターのピック」

「いや、見ればわかるって」

 にっと笑う影三えいぞうは、まるで大きなカブトムシを自慢する子供のようだ。しかし直斗に向けて差し出したギターピックは、ただ見せびらかしたいだけというわけではないらしい。

 紫煙と共にため息を吐いた直斗は影三からピックを受け取った。真っ赤な地に黄色でバンドのロゴマークが描かれている。影三と直斗、そして泥谷ひじやの三人で始めた高校の軽音部。あれから七年、浩也ひろやが加わり、そして幸雄ゆきおが加わって、随分と大きくなったものだと直斗は感慨に浸る。『歌舞伎Ageかぶきえいじ』だなんて、ふざけた名前だと相変わらず思っているが。

 何気なく裏に返すと、黒マジックで影三のサインが書かれていた。こんな小さなところに器用なものだと思いながら、ふと視線を感じて顔を上げると、何やら期待に満ちた顔の影三と目があった。

「……なんだよ」

「俺さあ、ガキの頃からバンドのロゴ入りピックってのに憧れてたんだよ」

「お、おう」

「それをさ、マイクスタンドのとこにズラーっ! と並べてさ、一曲終わるたびに客席に投げたのをファンが群がって拾っ……直斗、聞いてる?」

「あー聞いてる聞いてる」

 直斗はわざとらしく耳掃除する振りを見せるが、影三は大して気を悪くした風もなく話を続ける。

「つまり、俺は今回のツアーで夢が叶ったってわけよ」

「『このバンドでライブツアーを回るのが夢だ』、『CDを出すのが夢だ』、『公会堂クラスのハコでライブをやるのが夢だ』、あとなんだっけ?」

「ドームでライブ!」

「夢だなんだと言っておきながら、着実に叶えてきたんだ。お前なら、いや俺らならドームでライブも叶えられるさ」

「おう!」

「で、このピックは何だ?」

 話を元に戻すように直斗が尋ねると、

「これはバンドオリジナルピックの、箱から取り出した記念すべき一枚目。俺のサイン入りで将来プレミア間違いなし! 多分!」

「そんなプレミア品かっこ笑いを俺に?」

「ああ、直斗が持っててくれ」

「俺は指弾きなんだけどなあ」

 そう言いながら、直斗は短くなったタバコを灰皿に押し付けると、家宝にするよと笑ってピックをジーンズのポケットにしまい込んだ。そして、右手を影三に向かって差し出す。

「何?」

「ファンには握手するもんだろ?」

「直斗って、俺のファンだったんだ」

「知らなかったのか? 俺は高校の頃から、ずっとお前のファンなんだぜ?」

 ニヤリと笑ってみせる直斗と、影三が握手を交わす。改めて握手なんて、ちょっとこっぱずかしかったけれど。

 影三が握った直斗の手は、少し骨ばっていて、温かかった。


「じゃあ俺は先帰るよ、またな」

「ああ、またな」


 壁際に立て掛けてあったベースを背負うと、直斗は軽く手を挙げて駅へと歩いていった。


 人波に紛れていく直斗の後ろ姿を何気なく見送ってから、影三は飲み屋向かって歩き出す。

 ライブツアーも無事終了。三日ほど休んだらまたスタジオでリハやって、次のライブは――



 影三の背後で急ブレーキの音が響いた。

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