第26話「すやすや」

 幸雄ゆきおのバンド加入が決まってから、周囲の状況は目まぐるしく変わっていく。途中まで完成していたアルバムの、どのボーカルパートを差し替えて、新曲を増やすかの打ち合わせ。ライブに向けて既存の曲のアレンジ変更、そして練習に次ぐ練習。多忙な日々が続いていた。

 幸雄ゆきおは、まさかこんな大ごとになるとは思っていなかったようで、戸惑いを隠しきれない様子だった。無理もない。だがあの時影三えいぞうが言い出さなかったとしても、直斗なおとが声をかけていただろう。そのくらい、幸雄の声には魅力があったのだから。

 泥谷ひじや浩也ひろやには、相談もなく勝手をしたことを影三と共に謝った。だが、幸雄を交えてスタジオで音を合わせてみて、二人ともすぐに納得して受け入れてくれた。――、マネージャーには、後からこってりと絞られたのだが。

 ファンたちの間では、メインボーカルの交代に様々な噂が飛び交っているらしい。メンバー間の不仲説だとか、そんな話だ。だが、影三はというと、

「ユキが歌った方が絶対良くなるよ。ライブやれば皆もわかってくれるって」

 そう言って、期待に目を輝かせていた。

 今日は音楽雑誌に掲載する写真撮影のためのスタジオにメンバーが集まっている。幸雄は、撮影機材の準備をしている間でも曲を聞き返したり歌詞を綴ったノートを読み返したりと、必死に食らいついていた。

「ほれ、あんま無理すんな。根を詰めすぎると持たないぞ」

 直斗が、幸雄にミネラルウォーター入りのペットボトルを差し出す。受け取った幸雄は、

「やると決めたからにはやるよ。それに俺、今すげえ楽しいんだ」

 そう言いながら、目深に被った帽子から笑顔を覗かせた。

「なら良かった。俺も次のライブが待ち遠しいよ」

 横をちらりと見ると、影三が壁の端に背を預け、すやすやと寝息を立てていた。

「影三センパイ、昼寝に良さそうな場所見つけるの相変わらず得意っすよね」

 泥谷ひじやの言葉に直斗は苦笑を返す。

「暢気なもんだ」


 ところが、撮影用の服に着替える段階で、幸雄がヘアメイク担当と揉め始めた。「俺はこのままでいい」と、頑なな態度なのだ。

 幸雄はいつも長袖の服に手袋を着けた格好をしている。彼なりの拘りなんだろうくらいに考えていたのだが、そういえば帽子とサングラスを外した姿を、メンバーの誰も見たことがなかったと思い至る。

「どうした幸雄、用意された服が気に入らないのか?」

「いや、その……」

 直斗の言葉に返事を言い淀んでいた幸雄は、しばし逡巡した後で、意を決したように皆の前で帽子を脱ぎサングラスを外してみせる。幸雄の顔の左額から頬、そして首から左腕にわたって痛々しい火傷痕が広がっていた。

「幸雄、お前それ」

「俺、この通りだから。だから……」

 俯く幸雄に、皆どう声をかければ良いのかわからない。――スタジオ内が沈黙に包まれる。すると、

「うわっ、ユキどうしたんだよその火傷!?」

 いつのまに目を覚ましたのか、影三の大声に皆が振り返った。

「痛くねえか? 氷とかで冷やしたほうがいいやつ?」

 影三の狼狽えっぷりは、真剣に幸雄を気遣っていると誰の目にも明らかだ。だからこそ滑稽で、場に漂う微妙な気まずさが吹き飛んだ。

「それじゃあ俺は脱ぐ担当を頑張るので、幸雄さんは着る担当お願いします」

「泥谷君はライブ中、すぐ上脱いじゃうもんね」

 浩也と泥谷のやり取りに、周囲の撮影スタッフが笑いを零したところで、

「まあ、顔で歌うわけじゃないもんな」

 直斗がそう締めくくってみせると、幸雄は、ほっとしたように笑みを浮かべた。

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