第28話

この度の上陸作戦は最小限度の所用人員で馬は一頭もいないので、少数の人間で大砲を引っ張り、弾薬も運ぶ、身体には他にも多くの装備を着けており行軍は遅々と進まない、細い道では大砲を分解して人力で運ぶ。

自分達、観測小隊の人間は各人で各々の機材のみを持って行くので割合に楽である。

私の出で立ちは軍服の上に水筒、防毒面背嚢を左右の肩に吊るし、食糧、飯盒等の毎日の絶対必需品を天幕に包んで腰に巻き、その上に五~六貫ある砲隊鏡と

その脚を背負い左手に鉄兜にを下げている。

これくらいの持ち物は軽い方で、戦砲隊の者は十二発もいった十五~六貫もある重い弾薬を背嚢の上に担っているために動きが遅いので、観測小隊の我等が常に中隊の連絡などに出る。

誰も、この重い荷物を一匁でも

軽くしようと思って食料の米まで捨てる始末だ。

戦場に於いては先の事は考えていない、先ず現在の苦痛を脱出することのみを願う。

先々の事を考えてやっていたら、今現在の苦痛に耐えることが出来ないので、また先々は生きているかは知れたものではないではないか。

自分達は中隊長の命令により集結地である金山衛に向けて出発する。

途中、曇り空は雨となり秋深き平野に降り始め、軍服を濡らすが重い装備のお陰で体が温もり寒くはなかった。

道を進んで行けば友軍の軽、重機関銃の薬莢、銃弾を包んであった紙の箱が今尚、硝煙の香りを止めて散乱し先刻の奮戦を物語っている、所々には敵のチエッコの薬莢が山とある。

途中で金山衛に歩兵部隊の後を追って連絡をしてきた小隊長に出会う、歩兵部隊と連絡がついたとのことで、雨が降っているので民家に入り火を焚き暖を取りつつ中隊の到着を待っ。

この待っ間に弾薬を運ぶのに車両があれば探して持ってこいとの事で、三~四名の者と探しに行く。

全くまクリークの多い所で、向かいに見える家に行こうと思って行けば忽ちクリークに阻まれ、橋のある所まで回らねばならず、見た目は近くとも遠い所になってしまうのだ。

クリークを伝って行くと家が五~六軒ある所に小舟が人のいない軒下に淋しく影を水に映して浮かんでいる。

多分、何か町に売りに行くために準備したのであろう。

探せど車らしき物は一つも無い、水牛が多くいるので鞍が有れば持ち帰り、水牛に鞍を乗せ弾薬でも載せようと思えど鞍の形をしたものは無い、いったいこの地方は物の運搬は何でしてるか不思議になってくる。

見てみれば各家には家の軒辺りまでクリークを引き、小舟を二~三隻は持っていて運搬は全て小舟で行われているようだ。

家の造りも北支と全く趣を異にしていて、北支の家は土ばかりで出来ていて、小さい家の中には半分はオンドルを仕込んだ土の床なのに、この地方の家は窓が大きく光を十分に入れてあるので明るく、全部木の寝台で年中蚊帳が吊られていて蚊帳の中には羽毛の扇がそなえてある。

後で解った事だがマラリヤが流行するので蚊帳を年中吊ってあるのだ、こんな光景に南国をしみじみと感じる。

この地方の家は田園の中に点々としていて林の中にも存在している、集団で自衛する北支と違い、秩序と平和が維持されているのだろう。

車両を探しに行った帰りに家の側を通った時「ウン、ウン、ウン」と薄暗闇が迫る中に苦しそうな唸り声が聞こえてくる。

人気の無いこの町に何事だろうと戸口に立てば、血が点々と土にしみて家の中へと続いている。

敗残兵かと思い、どかどかと家の中に入り奥まった部屋を見れば、六十歳を越したかと思われる親父が骨と皮ばかりに痩せ、顔色も青ざめた体を寝台に横たへ意識も朦朧として断末魔のうめき声を漏らしている。

良く見れば胸に胸に血の付いた黒木綿を当てているので、取り除けば胸部貫通していて大きな傷が開いている。

可哀想だが我々は薬も持たないので、どうしょうもなく部屋を出ると、左の部屋からも微かにうめき声が聞こえてくるではないか、布戸を潜って入って見れば十五~六歳と思われる可憐な少女が腹に血の付いた汚い黒木綿を載せている。

顔色は無いが意識は明瞭で、我々が部屋に入るのを見て手を合わせて哀願するのでいじらしくなる、通じぬ支那語で話すけど相手は苦しんでいるので、わずかの単語で話しても通じるはずもない。

可哀想に、この少女は腹部貫通の致命傷を受けて、戦場の真っ只中で治療してくれる人も無く、唯いるのは年老いて傷付き僅かに生命を保っている父か祖父か知らないが、いるだけだ。

可憐な蝶は戦禍の暴風の中に巻き込まれ、哀れや羽は破れて傷付き春を待たずに散ってゆくのだ。

我々は治療してやる術も無いので「元気な体になれょ」と祈って家を出る。

薄暗闇の中に悲惨なうめき声が聞こえ、敵国の民のはいえ憐憫の情、切々と我等の胸をえぐり、その声は何時までも、何時までも耳からさらなかった。

察するに、この親子は闇をつんざく銃声に安眠を破られ、驚いて逃げて行こうとする時はすでに遅く、急進する我が軍と、支那軍の間に入り暗夜のなかで見分けがつかず、狙われて傷ついたのであろう。

広い戦場に於いては。このような事は数知れずある事であろう、戦争が無ければもっと生きていけた命だ、戦争の犠牲者と言っていい。


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