第26話
慰問袋も戦線で貰えると聞いていたが、本日初めて頂く。
畏れいったのは慰問袋が一個小隊に一袋とは情けない、自分は鉛筆一本を頂戴した。
北京から移動するらしいとの噂を聞いて、気の早い者は凱旋と決めて土産など買った者もいたが、その期待に反して中隊は次期戦闘準備を整えた。
馬の整理があり、使用困難な馬は全部病馬収容班に預けることになり、自分も馬の手綱を引いて行く。
鞍傷で肉が出て骨まで現れている馬を数十頭を引いて通れば、支那人は如何なる思いをして見ているのか知らないけれど仕事の手を休めて、通りに出て憐れな馬達を眺めている。病馬収容班でも我が大隊全部で百数十頭を持って行ったので、困った顔をして不機嫌である。
しかし我々の戦闘を物語る傷ゆえ、
仕方なく引き受けてくれた。
病馬は収容所に入れて、替わりの馬を受け取る。
帰りは支那人の人力車に乗って帰り、城門を潜った時は人の顔も見分けのつかぬ夕暮れ時だった、町は煌々と電灯が灯り美しかった。
十月二十一日零時、昔日の清帝国の首都、北京は静かな眠りについている、我々は粛然と宿舎を去る。
駅に至り汽車に線備品を搭載し終わり北京の町が眠りから覚める頃、汽車はホームを離れ出発した。
北支の平野は既に秋声深くプラタナス、ポプラは美しく黄葉して、吹き来る風に名残を惜しむ様に中空をひらひら舞って落ちてゆく何処も同じで秋は寂しい。
高粱は刈り取られ広大な畑は遠くの方まで見通しがきく。
汽車は東へ東へと走って行く、天津の駅は相変わらず賑わっていた。
郊外の飛行場には何処かへ空爆に行くであろう飛行機が銀翼を並べている。
出征以来、三ヶ月にわたり奮戦した思い出多き北支の地を去りつつある、我等は北支の景色に別れを惜しみつつ眺めている。
唐沽駅に着いたのは午後七時であった。
明日は午前二時出発とのことなので駅前に馬を繋ぎ、町に出て歩いてみると見違えるほど変わっていて、日本人の多いのに驚かされる。
酒を買ってきて入部上等兵をはじめ小隊の面々と気焔をあげる、止まるところを知らず四~五名の戦友と町に脱出して酒屋で飲む。
皆、各自が我が大将になっていて、あたるべからざる勢いである。
十一時、十二時、一時となり刻々と出発が迫る時間も忘れていると、川上が呼びに来た、時計を見るとまさに一時をちょっと過ぎていて、慌てて帰って準備をする。
北支の町に秋の夜が更けてゆく。
我等は埠頭で乗船準備を終えて、静かに夜の明けるのを待って乗船を開始する。
我々、砲兵隊の乗船は百頭数の馬を起重機で吊り上げ、多くの機材も乗せるので苦労したが正午頃には全部終了する、しかし出発はせず日は暮れて夜になる。
夜になって、漸く船は岸壁を離れ黄海の黄色の海を白波を蹴立てて何処へ行くのか、暗夜の海上を幾隻かの船が一列縦隊で一切の光を消して海の中を進んで行く。
なんと気楽なものである歩かなくてもよい、バタバタと炊事をしなくてもよい、甲板の弦にもたれて潮風に吹かれて、果てしなき海を眺めていればよいのだ。
十月二十四日の朝、水平線上に島影を見る船員に聞けば朝鮮、木浦沖とのことだ、島影は次第に大きくなり湾に入る、行けども行けども湾は尽きず島影や、朝鮮の陸地を両舷に眺めつつ進む。
何の為にここに来たのか、何処へ行くのか全く不明である。
だから色々な憶測を以て私物命令が飛ぶ、凱旋といって喜ぶ者もあれば、満州出兵と覚悟する者もいる。
その日は湾内に投錨し、明日の上陸演習の日課を申し受ける。
戦場に来て、今さら演習とは何を以ての事だろうと理解に苦しむ。
大発が来て我々最小限度の移乗演習が始まる。
演習は縄梯子を伝って船の舷を降りる水筒、防毒面、大きな砲隊鏡に浮き袋まで背負うので舷のぶらぶらする縄梯子を登り、降りするのは実際楽ではない、冷たい汗が額に滲む、大発に乗り船の回りを一周して再び縄梯子で乗船、これが毎日の日課だ。
干満の差が激しい、潮流の速い木浦湾の中を何の為か知らないが毎日、船は位置を変える。
この間、演習以外は上甲板に上がることは禁じられる、軍隊の集結を誰にも知られない為だ、軍機密が何処から漏れるか知れぬため万全を期している。
天気は毎日良い、湾内といえども波が高い、高い時は五千トンの龍山丸も多少上下する。
そんな時の大発の揺れは大変だ船上に立っておれない、大半は青くなって元気が無くなってしまう。
そんな時は本船に帰って風が止むのを一刻千秋の思いで、頭を枕につけて待っ。
自分は子供の時からどんなに海に憧れていたか、洋々たる大海で小舟に身をやつし、魚を山のように捕るんだと夢を抱いていたが本当の海はちょっと違う、船と聞くだけで嫌になった、早く陸上の人になることを願ってやまない。
馬は半月にわたり船内で箱詰め状態になり馬の脚は弱ってきている。
船は夜、大きな船と腹合わせして水、食糧を補充し出航準備をする。
その時、隣の船に乗り移り羊羮を二十本買って隊員と食べた。
十一月二日の夜、船は準備を終わり重い錨を上げて木浦湾を離れる。
航行中に杭州湾での敵前上陸する旨が伝えられ、諸注意を受ける。
十一月三日、この日は明治節であつたが我等は何の変わりもなく船中で過ごす。
二列縦隊の大軍船団は駆逐艦、巡洋艦に護衛され終日、白波を蹴立てて黄海を進む。
我等が乗る龍山丸には山砲、歩兵、工兵とお門違いではあるが、約半月間の船上生活で顔見知りになり、朝夕は互いに挨拶をしあっていた。
船は星なき夜を機関の音も旋律正しく響かせて、煙突からは煙を龍の如く吐き、黒煙は長蛇となり黄海の波の上に残ってゆく。
「ざざー、ざざー」と白波を蹴立てて刻一刻と船は敵に近づきつつある。
十一月五日の敵前上陸では生死は知れぬと言うことである、敵前上陸は非常に苦戦の予想で三分の二は斃れるであろうとのことだった。多くの者は遺言を書いた、明日の戦闘を怖れる者は一人もいないのだ、君国の為に笑って死ぬ覚悟は皆出来ている。
正に日本男児の本懐はここにありと言うべきであろう。
敵前上陸前の連合娯楽会では、明日をも知れぬ命のことを忘れて各々、十八番の芸に興じる。
詩吟あり、流行歌あり、唄あり、都々逸あり全兵士は和気あいあいとして夜更けに至るのを知らず。
娯楽会の光景は中甲板に入れず、上甲板から見て知らずに熱き血は五体に波打つのを覚える。
この光景はまさに詩だ、君国の為に笑って死ぬ覚悟の光景は終生忘れ得ぬ思い出であろう。
この夜は出演者には船長から酒が振る舞われた。
今日は笑っていても、明日はこの内の幾十人かは護国の鬼となる者がいるのだ。
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