第24話

城壁の門を出た所に誰が捨てたのか羊羮の皮が落ちていた、最近は甘い物を口にしたことのない我々は食欲をそそられる。

もし故国に変えれる日があるならば饅頭を百個食うとか、羊羮を四~五十本食うとか、呑み助の方は四斗樽を家に据えて毎日呑み明かすなどと言って空想に耽っている。

山岳地帯を下り終われば、また道なくして河原だ、河原の水は綺麗で冷たくて腰の深さで流れている。

この川を右に渡り、左に渡って部隊は下って行く。

誰かが「支那という所は水の無い時は一滴も無く、ある時は水の中ばかり」とこぼしている。

この夜は河原村なる部落に泊まる、村の名にふさわしく河原の側にある。

家の中で火を焚いて暖をとり、馬の毛布を被って寝る。

目覚めれば午前四時、暗い中で出発準備を始める。

炊飯のため皆の米を研ぎに行った時、足を滑らして川の中に落ちる、寒い朝で流石に震え上がった。

夜が明けるのを待って出発、昨日と変わらず川を右に、左に渡り歩く。

午後一時に塔街駅になる部落に到着まで十五回も川を渡った。

その夜は早く準備も終わり、ゆっくり休むつもりだったが南京虫の攻撃にあう。

火をつけて見ればアンペラにうようよいるのに驚いて飛び上がってしまい、とうとう寝れなかった。

明けて行軍、午前中は前日と同じく川越。

正午、川辺に大きな城壁のある町で大休止する、近所に馬糧が無くて遠くまで高粱を刈りに行く。

原隊で同班だった川端一等兵が数日来の下痢とのことで青くなっている、クレオソード十粒をやり「一度に飲むように」と言うと「十粒も飲むのか」と驚いていたが「大丈夫だ」と飲ませる。

後で会った時「クレオソードで下痢は止まった」と喜んでいた。

見た目にはこの町の城壁は見事なもので、川に影を落としている姿は実に綺麗で如何なる宮殿なんだろうと思ったけれど、城壁の中を歩いてみたら全くの廃墟であった。

支那の文化は城壁にありと言っても過言ではないだろう、秩序の維持されてない民族は各集団で一致団結して外敵を防御しなくてはならない。

この城を抜ければ山また山と幾峰も越えて行く。

小休止の時に色づいた柿が見えたので疲れた足も忘れて走って行き、あやし落として食べれば渋柿で口は動かなくなる。

上棟駅に着き、珍しく近所には甘藷の畑があったので、掘って動けなく程食べた。

夜は寒いので土間で焚き火をし南京虫防御の為、戸板を外して高台を作り、その上で寝る。

明ければ同じく行軍、今日は一望十里の平野で安心する。

後方を見れば数日来、苦心惨憺して越えて来た山が幾重にも聳えている、山砲はいくら山の大砲でも、もう山は懲り懲りだと皆こぼす。

今日からは広い畑の中の行軍と解ると皆、生き生きとしてきた。

正午頃に清の何とか皇帝の陵に参拝する。

黄色の瓦が松の木の間に見え隠れして大きな松の木を幾つか通り抜ければ、奥には大理石の石門があり、石門を通り抜ければ最奥に直径二十メートル位の大きさで、高さ四~五メートルの石の大塔があり、その中に皇帝は永遠の眠りについているとのことだ。

周囲は荒れてはいるが階段には大理石に龍の彫刻がある、名工が彫刻したものだとか。

この陵には支那巡査が汚れた紺の綿服を着て煤けた家の中に居た。

このように荒れ果てた前皇帝の陵を見て我々、日本人には異様な感じがした。

午後より雨となる、北支に於いては雨は珍しい、ある部落に宿営し、明ければ行軍。

数日来の行軍で身は綿のように疲れている、午後三時に易県到着。

ここには相当な食糧が来ていて霊邸以来の日本米を食べる。

この地方は星野鉄夫少佐なる人が支那事変以前より宣撫した所で、支那人は平常業務に服し砂糖、野菜などを治安維持会で売っていた。

勿論、占領した地方は速やかに治安維持会を作らせ宣撫して「皇軍は断じて無道のことはしない」と説いて平常業務に服せしめるのだが、この地方は特に行き届いていた。

支那人達は星野少佐を神の如く尊んでいるとの事である。

十月三日は滞在し休養の予定だったが、突然夜中に変更になり、目覚めているのは歩哨ばかり、夜中に易県城を出発。

我らが越えた来た川を遥か後方に眺め、広い畑の中を行軍中、敵飛行機一機が飛来するも山砲でもって対空砲撃していたが敵機はそのまま去る。

保定の二~三里手前から物凄い陣地が掘ってあった、外堀として第二防御線は深さ一間、幅二間位の塹壕が幾里となく遠くまで続いていて、敵や、味方の重、軽機関銃の薬莢があちら、こちらと山と散らばっている。

支那兵の死体は犬に食われたのか骸骨となって転がっているのもあれば、真っ黒で異臭を放っているのもある。

畑の中に土を盛り上げて日本兵の墓標が立ててあるのを見て、二度と故国の土を踏む事の無い勇士に思わず熱い涙が込み上げてくる。

激戦の様が偲ばれる。

保定の町には日が傾いた頃に着く、民家は砲撃で傾き人は誰もいない、いるのは野良犬ばかりで弾痕跡も激しい城壁は折からの夕陽に映えて妖気を漂わせている。

日が暮れてから城外に宿舎をとる。

酒保があるとの噂を聞いて戦友四~五人と出掛ける、タバコあり、羊羮あり、サイダーあり、ビールあり、酒あり、汁粉ありとのことだ。

何と言っても八月中旬の戦闘開始からタバコなるものは殆ど下給されていないのだ。

ただ我が小隊が霊邸の師団指令部援護の時、各人に二箱づつ貰っているのみである。

たから、ある者は新聞紙を丸めて紙の煙を吸っていたり、畑からまタバコの葉を取ってきて焚き火で気長に乾かし紙に巻いて吸ったりしているのでタバコの声を聞けば目の色が変わってくる。

タバコの値段は支那で平時一個二銭位なのが、二十五個入りで十円とのこと。

皆、いずれにしろ金は使い道が無いのであり、命は何時吹き飛んでしまうかも知れない運命なので「十円でも二十円でも買う」と頗る鼻息が荒い、ビールは一本が一円、サイダーは一本が五十銭とのことだ。

何でも良いのだ、飲めなければ見るだけでもして来なくては、気が収まらないのだ。

数日来の行軍の疲れも何のそので戦友四~五人と外出禁止を犯して出掛ける。

数十丈もあろうと思える高い城壁に沿って行くと大きな城門の所に出る、城門の両側には銃剣を煌めかした歩哨が立ち、楼門の上にも歩哨が立って城門を固めている。

場内には日本兵は入ってはいけないとの事だ、断じて出入りを止められている。

それは民衆に恐怖を与えない為の最高指揮官の心使いだ、その代わり支那人にも時間を切って出入りを許可しているの事である。

今、その時間帯との事で、道には汚ない黒い着物を着た民衆が、いっぱい道に溢れて往来している。

老婆あり、 婦人あり、子供あり食糧を交易所まで取りに行っているのだ。

やっと歩けるかと思われる子供や、こしの曲がった老婆までもが皆、重い石炭や小麦粉、野菜などを運んでいる。

この姿を見ると、弱小国の悲哀を感じ可哀想でならなかった。

城壁な外には各部隊が隙間も無いほど宿営している。

城壁を半周して一里ばかり歩いたところで酒保を尋ねれば「後、一里くらい」と答える者もあれば「後、半道くらい」と答える者もある、人間の感覚は曖昧なものだ。

部落を抜けて池の辺りを通り、林のなかを通って酒保へ、酒保へと歩き続けた。

やっと着いたが通りには兵隊がいっぱいいる、出征以来の皆の軍服はだいぶ綻び始めている、中には尻の所が全部無くなって、中の汚れた褌が公然と覗いている者もいる。

時計屋が三~四軒、住民が居なくなった家屋で店開きしていて、どの店にも人がいっぱいたかっている。

肝心のまタバコ屋も、羊羮屋も、ビール屋も既に店を閉めている、早々と売り切れたとのことだ。

これを聞いて一度に力は抜けてしまった。

ところが汁粉屋がまだ営業しているとの事で、走って行ってみると黒山の人だかりだ。

汁粉屋の親父が頭を下げて断っている、取って食った様なおかみさんも悲鳴をあげ頭を下げて断っている。

汁粉の材料は後二十杯分しか無いというのに百人近い人間が押し合っているのだ、

大の男が一杯の汁粉にありつこうと思って狂気の如くしてならんでいる。

命の保障がない戦線に金儲けの為とはいえ来ているのだ、日本人にも金儲けにこんなに熱心な人がいたかと感心する。

ついに我々は一杯の汁粉にもありつけずとぼとぼと帰る。

欲しい物を手に入れるには、朝早く行かないと手に入らないと解ったので、明日は暗い内から出掛けることにして眠りにつく。

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