第20話

午後、半道ばかり移動して民家に宿営する。

民家の前には内地のような綺麗な水が流れていて便利が良い。

その夜は馬当番を仰せつかった、夜は敵襲の恐れがあるので焚き火は絶対に禁止である。

燕麦の殻を周囲に立てるが、寒風は夏の軍服を通して肌を刺し耐えられる寒さではない。

外套を着たが寒さを防ぐことは出来ない。

焚き火は禁止であるが、昨夜の凍死の件があるので火を焚こうとしても薪が無いのだ、他の当番の者が近所から焚き付けになりそうな物を拾ってくる。

火が周囲から見えにくい様に燕麦の殻で囲い、火を焚いたけど寒い。

火の正面は熱く、背中は氷を当てているようだ、歩哨が凍死したのも頷ける。

あまり火の側に近づき過ぎていたので裾、腕のところを焼いてしまった。

全くうらめしい任務についたものだとつくづく思った、かかる時は何時も故郷のことが浮かんでくる。

すると母のことが思い出され、母が我が子を国の為に捧げたのを喜ぶと共に、自分の健闘を祈って下さる母の面影が浮かんでくる。

俺は一死報国、大君の為に報いる決心だ、母上何とぞ御安心あれと念じた。

九月十七日、家の薪になる物は全て燃やして、余すところ何も無い宿舎を午前八時三十分に出発する。

山の坂道にさしかかった所で、原連隊にいた時の観測教官であった池知少尉と久しぶりに会う「衛藤、タバコは持たぬか」との挨拶だ。

その一言は如何にタバコに欠乏しているかを察するに十分であった。

自分は何とかして着ている物は質に入れても、求められれば求めて差し上げたい気持ちだが、如何せん自分はタバコタを吸わないので一本も持たない。

それを聞いていた入部上等兵が徴発していたタバコを三~四本差し上げると、池知少尉は非常に喜んでおられた。

やがて山は非常な急勾配になる。

山砲は分解して馬に駄載すれば、如何なる天険もよじ登れる様に出来ているが、この急勾配を越えるのは一方ならぬ苦労である。

中隊長は、この急勾配を非常に心配されていた。

車両部隊はこの急勾配の山を車両で越さねばならないのだ、自分達は車両部隊は果たして、この急勾配を越えることが出来るだろうかと不安になった。

しかし軍隊には不可能ということは赦されないのだ、状況如何にも関わらず命令されれば如何なる事も成さなければならないのだ。

車両部隊は車の荷物は馬に載せ、車両は人間が抱えたり、押したりして寸尺と運んでいる。

車両部隊のこの時の苦労の様子は、私は筆を以て記すことは出来ない。

故国の人はかかる苦労は想像だにしてないだろう。

午前中、やっとこの天険を越し終る。

山の頂上では飛行機が竿の先の通信文を取るために低空飛行しては失敗し、失敗しては低空飛行して対空連絡をしていた。

午後三時頃、全員の苦心惨憺の結果、この山の麓に集結を終る。

自分は先頭で山を下りたが、後の者は無事に山を下ってこれるだろうかと心配していたので、全員の集結が終わり、ほっとした。

今度はさらに下りの石河原を行軍、物資の欠乏はあったが幸いなのは高粱畑がいたる所にあって、馬糧の心配が不要なことであった。

小休止となれば手綱を放して、自由に畑の高粱を食べさせる。

かくして道なき石河原の谷間を下り、日暮れ前には左は広い河原に面していて小さいながら城壁のある部落に着く。

村人は全員は避難していなかったが、瀕死の病人が一人残されて唸っている、弱小国である哀れさを感じるがどうすることも出来ない。

この部落で宿営、徴発した豚の塩焼きをしたいがしおがない、十二時頃まで留守の民家に行って塩を探すけど無く、漸くのことで一握りの塩を得て豚の塩焼きを食べた後、疲れで前後不覚に眠る。

九月十八日目覚めればこれは如何に、皆は出発準備を終えている、慌てて馬繋場に駆けつけてみれば中隊の馬は全部引き出されてしまっている。

准尉から非常に叱られ、皆は出発しようとしているのに、そのまま立たされた。

これには全く弱り抜いたが、ついに赦され六時三十分に出発する。

今日も道は相変わらず極悪だけど、久しぶりに広大な畑の中を行軍する。

自分が愛する「観勇」と呼んでいるしなうまは、だいぶ疲れてきて今までのように乗るのは、少し無理になってきている。

午前十時頃、我々は広い畑の中に深い溝のようになった道を行軍中、日の丸を付けた飛行機が頭上を掠めて飛ぶ。

空を仰いで見れば六機の機体には敵に多大な恐怖を与える爆弾が抱かれていて、操縦士が手を振っているのが、ちらりと目に映った、飛行機から近辺の城に敵ありの情報がいる。

深い溝の道からは上の畑の小高い丘の辺りに、三國志に出てきそうな大きな城壁が見える。

情報どうり敵がいる城に遭遇し、我が山砲は砲列を敷き砲撃を開始する、殷殷たる砲声が辺りに轟く。

砲隊鏡には城壁上より我が軍を盛んに射っている敵のチエッコの銃火が見える、距離は二千メートル無い位なので、砲弾は見事に命中して城壁上に炸裂する。

破片は飛び散り砲隊鏡には敵が逃げ惑う姿が見えて痛快である。

見れば援護の砲撃で前進した歩兵が、高い城壁に梯子を掛けてよじ登って行くではないか、鉄兜が折からの日射しを受けて光っている、一人、また一人と城壁上にたどり着いてゆく。

その光景を見て自分は「勇士よ無事に登り着け」と一心に祈りに、祈った。

歩兵の皆は命を懸けての進軍であるのを見て、感動のあまり手は汗でじっとりとなっている。

中隊長に「中隊長殿、友軍は楼門右二十の地点で城壁をよじ登っています」と報告したが、歩兵が城壁をよじ登る姿を思い出して声は感動で震えていた、中隊長は眼鏡を目にあて「うん」と唸って見ている。

城壁上に達した歩兵は立ったまま銃を構えて、ぐっと右肩を振って射撃している。

一つ、また一つと鉄兜が右の方へ移動して行く、城壁上に今到着した機関銃兵が城内をつるべ射ちにしている。

歩兵の命懸けの突撃の光景を見ていると、感動で無意識に目がうるんでくる。

中隊長が振り返って皆に「友軍は城壁の一画を占領せり」と言う、我々山砲は砲撃に際してはこの言葉を如何に心待に待っているか、皆の顔には援護が出来たことに安心したのか喜びの色が溢れている。

歩兵部隊の城内突入によって我々も前進しようとした時、左の高地より相当数の敵兵が我々に向かって高粱畑の中を、見えつ、隠れつして向かって来ているのが眼鏡で見えてきた。

たちまち敵のまチエッコ弾が頭上を掠めてゆく、我が山砲も一斉に砲撃を開始する。

高粱畑の中に天空高く土煙を上げて砲弾が爆裂すると敵は蜘蛛の子を散らすように四散する。

しかし良い地形に陣地をしている敵は容易に退きそうにない、我が砲の一斉砲撃で敵陣地がだいぶ変形しても、尚敵は頑張っている。

敵が我々の背後を突こうとしているとの報告に、一個大隊が増援され我々もそれに付いて出発する。

友軍歩兵は丘の麓の段々畑の土手に伏して日章旗を掲げている。

歩兵は高粱畑の中を走っては伏し、伏しては走って前進して行く。

友軍は敵との距離四~五十メートル離れた土手にいて、お互い手榴弾を投げ合って次々とドンと土煙を上げて炸裂している。

歩兵の突撃する勇士の姿に感動のなみだで眼鏡が曇り見えなくなる、歯をくいしばって歩兵の勇士よ無事であれと必死に祈る。

中隊長に歩兵の突撃を報告するが、声は突撃の光景に感動のあまり声が喉にかかってかすれていた。

突撃した歩兵は右に行き、左に行き番号の中に逃げ遅れた敵兵を銃剣で突き刺しているのが眼鏡で手に取るように見える。

電話機を握っていた通信手が「第一線の万歳を叫んでいる声が聞こえます、万歳を叫んでます」と、それを聞いた誰の目にも感動の涙が光っていた。

遂に敵城は多くの犠牲の末に陥落した。

この時、夕日は戦場の地平線に沈まんとしていた、夜になり我らは一里後方の張篠という部落に宿営する。

夜は寒いので火を焚いて暖を取り、その周りで眠りについたのは夜半過ぎだったろう。

明ければ追撃の為、出発準備をしたが取り止めとなる。

この地では幸いにして食塩が多量にあり、毎日粟ばかりの飯と南瓜の塩煮に舌鼓をうつ。

内地を出発してから約二ヶ月、第一線の戦場に出ると未経験なことが多くて演習との違いに緊張の連続だ。

歩兵の命懸けの突撃などは、生まれて初めて見る光景で勇士の姿には感動した。

戦場の戦闘では多くの兵士が斃れ、負傷者を出しながら、なお戦い続けねばならない。

二十五日の出発迄、一週間滞在し久し振りにゆっくり休養する。

休養中のある日、俄に空が黒雲で覆われ、どしゃ降りで屋根を打っ音に驚き外に出て見れば、雨と共にまラムネ玉のような雹が降っている、この珍現象には皆が驚きの目をみはった。

自分の背の低い愛馬、支那馬だが疲れていて乗馬が出来ないので日本馬と交換する。

交換する日本馬は数日前、せん痛の疑いで熱湯をかけたため腹部の肉がだいぶ露出している代物だ。

中園上等兵の馬は死に、川上上等兵の馬は歩けなくなる、皆馬運が良くない。

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