第18話

午前五時、明けやすき夏の夜だが暗いうちに出発、眠くてたまらない。

二時や四時に出発準備の声を聞き、起こされる時は例えよぅの無い辛い思いをする。

五体は疲れていて痛く、頭は重いが此処は戦場だ、祖国が勝つためには如何なる困苦も、死線をも越えて行かなければならない。

この日は広い平野を行軍、先頭は遥か前方を砂煙を上げて行軍している。

後方も一里後方まで砂煙を上げて行軍していて、長い行軍部隊だ。

我々は中間なので先頭から「小休止十五分」と言ってきたと思って休止準備をしていると「出発用意」の号令でやりきれぬ。

正午頃、幅五百メートルぐらいある川に出る、五百メートルと言われると大河のようにあるが、大洪水の時だけ満々となるだけで、平時は濁水が百メートルばかりの幅に一~二尺の深さで流れているだけだ。

河原で昼飯を食べている時、手綱を足に結わえてある馬が、口に被せた馬糧袋を打ち振り、打ち振り食べるので水泡や砂が飯盒に飛び入って困りはてるが、さりとて馬を繋ぐ木も無いので致し方ない。

ここで各人は防毒面を受領する、其でなくても重い軍装はさらに重みを加えてきた。

午後より両側に山が見え始める。

三時頃、先頭は敵と遭遇したようで砲声が聞こえてくる、眼鏡で見ると向かいの山の山頂に先頭部隊の砲弾が着弾しているのが見える。

伝令が来て「たいした敵でない」ことを伝えてゆく、間もなくして砲声は絶え、前進は開始される。

敵は崖の所など壊してあるが、我々の急追に壊す暇もなかったとみえて、大して壊れてはなかった。

まさに日が暮れんとする頃、山と山の間の石河原で大休止する。

辺りには薪が無いので炊飯することが出来ず、乾麺包を若干食べて出発する。

暗闇が山間を覆い尽くし、道なき道の河原を上へ、上へと登って行く。

夜半に入る頃から盛んに雨が降りしきる、上に登るに従って次第に河原は狭くなり、河原は急流となって行くてを阻む。

分解した大砲を駄載した馬を、暗夜に急流の中を渡すのは目から火が出るような辛い作業だった。

大陸の夏は昼の焼けるが如き炎暑にかかわらず、夜は冷え、冷えとして夏服では耐えかねる程だ。

それのみならず今夜は川の中に腰から下を幾度かつかって濡らし、上半身もあめでぬれている。

眠さと、寒さと、飢えと、雨に濡れてさらに重くなった軍装で倒れそうだ。

身は敵地にあり内地の演習の時のような落伍は赦されぬ。

倒れても起き上がって行軍について行かなければ、守ってくれる者は誰も無く、死を覚悟しなければならない。

かかる困苦も君国の為なれば、小休止の時は濡れた大地に、濡れた着衣のまま馬の手綱を足に結わえて、震えながら微睡み夢を見る。

夢は懐かしの母、父、兄弟姉妹の夢だった。

午前四時、家もない山間の畑の中で大休止の命令が下る。

馬繋索を張り、じめじめした畑の中で濡れた着衣のまま震えつつ睡魔の中に落ちてゆく。

敵陣近くの我々大部隊はあんやの谷間の中で、人馬の寝息も静かに夜明けを待っているのだ。

目覚めれば昨夜来の寒さで、全身はガタガタ震えている、寝てる間に湿りが背中に上がり、背中はべちゃべちゃだ。

だいぶ先の方で火が見える、震えながら火の側に行けば、連隊段列長の立川少佐が四~五名と寒さを凌いでいるところだ、幸いにして近所に馬鈴薯畑があって馬鈴薯を焼いて食べている。

自分もそれに習って小さな馬鈴薯を掘ってきて、遠慮して端の方にくべる。

馬鈴薯を焼いて胃の府を満たさんとすれば火は消えて、暖まらんとすれば馬鈴薯は焼けず、二兎追うものは一兎も得ずで、唯一の火の種である木をいじり回しては煙にむせぶ。

枯草を集めて来ても昨夜来の雨で濡れていて燻し、涙の原因となるなるばかり。

東の空は白み始めた、夕べからの雨で土手の下を濁水が谷川となっている。

我々は砂城堡で手に入れた最後の南京米を濁水で炊いて食べた。

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