第15話
夕暮れ時になり真っ赤に焼けた太陽が両の山に、今まさに沈まんとしている。
銃声は一層激しさを増し、前線には敵の迫撃砲弾が炸裂している。
戦友の川上は前線の大隊本部に連絡に行っているが、無事であれと一心に祈る。
私は前線勇士に対して一兵も傷つかぬようにと祈ってやまない、戦闘においては誰しもそう思う、部隊長などは一層兵士の無事を祈っているであろう。
夜はそのまま徹する事になり、戦友も無事に帰ってきた。
戦友からは敵弾下での電話架設の有り様を物語って聞かされた。
夜には少量の米の配給があったので炊飯するために部落に行き井戸を探して回った。
ここにある唯一の井戸にはいっぱいの人が並んでいて、この井戸は帰り道が解らぬ程遠かった。
高粱の殻などを集めて、敵に見つからぬように炊飯した。
その夜は一睡したかと思ったら起こされた、理由は砲列の近くに高い木が二本あるから、夜が明けたらその木の上で観測せよとのことである。
木の上に登って観測出来るように準備にかかったが容易な事では出来ない。
明け方までに準備は漸く終わった、ところが前方の敵陣地である楡林堡が陥落したので前進せよとのことである。
夜を徹して準備したことは、くたびれ儲けとなってしまった。
直ちに我々挺身班D班は六騎で出発した、途中高粱畑の中で道に迷ったが楡林堡城壁に出た。
連隊本部との連絡も取れたので城壁上の右突端に観測地点を設ける。
砲車も来て砲撃準備は出来たが、肝心の敵が現れてこないのである。
夏の炎天下の太陽の下で、山から、谷から敵を見逃すまいと捜索していると「ビュー」と耳をかすめて弾丸が二~三発通った。
城壁の下では「敵襲」と言って銃撃している。
見ると二~三百メートル先の所に敵が四~五名現れて観測手を狙撃したのだ、高粱畑に隠れた敵を機関銃で総射したら姿は見えなくなった。
城壁の下の家には支那兵の残していった食糧の南京米があり嬉しかった。
珍しいことに黒砂糖も有ったが、これら以外は何も無かった。
あるだけの材料で昼飯を炊くことにした。
幸いに豚が多くいたので一頭を屠殺して、ありあわせの南瓜と一緒に煮たが塩が無いので南瓜と豚の砂糖煮である、南京米も炊飯したがいずれも食べられない。
南瓜と豚の砂糖煮のほうは甘いばかりで、南京米の方は異常な臭気があって、いくら腹が減っていても咽を通るものではない。
夜は、そのまま陣地で夜を徹する。
明けて八月二十八日、楡林堡を出発し炎天下の中を行軍したが敵には会えず。
道は広くて大きい、道の両側は高粱、粟、馬鈴薯、大豆畑があり、その先々には禿げた山々が連なって聳えている。
人の住んでる木陰のある部落を幾つか通って小休止、この時は馬から降りて草むらに寝た。
寝ていると山川中尉の軍服の股が破れているのが見えたので、出征の時に袋に入れて持って来ていた針と糸を出して自分が塗ってあげたが、人が着ている服を縫うのは容易な事ではない、途中からは山川中尉が自身で縫われた。
山川中尉とは応召の日、自分が迎えに行ったので知りあって以来、良く話をしていた。
良く働き、よく語る呑気な人である、股の破れは簡単に縫合しただけだった。
「出発用意」と伝令が来る、これを聞くとドキリとする。
馬に機材を載せ、自分も背嚢を背負わねばならず、再び死ぬほど歩いて行軍しなければならないからである。
我らは再び炎天下の行軍となる、行軍途中に馬鈴薯畑を見つける、さっそく掘って次の食糧にする予定だが、掘っても親指大の物では食糧として多くは望めない、それに日照りで土は固くて行軍中に手で掘るには容易なことではない。
なかなか戦争も思わざる所にも苦労があるものだ。
十一時頃、我々は相変わらず炎天下の畑の中を行軍中に飛行機が来た。
五色の布の付いた通信筒が落下され、再び低空飛行してきては白帯の付いた箱を投下しだした。
我々は嬉しさ一 心で旗を手に持って旗を振り回す、飛行機の窓から人が箱を放っているのが肉眼で良く見え、高粱畑に箱が落ちてくる。
一丈余りに伸びている高粱畑の中を捜したが、高粱畑の背が高くて箱が隠れた状態なので全部は見つからなかった。
自分も一箱見つけたが、中には乾麺包が十個入っていた。
通信筒には、此れから攻撃する情報が入っていた「敵城は非常に強固な陣地を構築してあるも敵影を見ず」とのことである。
大休止の時に途中で掘った馬鈴薯を水炊きにして食べるが味がなくて食べられたものではない。
再び出発、行軍途中の道々には堅固な陣地が構築してあった。
午後四時頃であつたと思う、血を見ずして目的の敵城に入城する。
城の中の町は小さな家々があり、全戸の戸は閉められて、戸には色々と文句が書いてあり、赤や藍色の支那特有の風習である紙が貼ってある。
この紙は毎年の正月に福の神が家に入るようにとの縁起物であるとのこと。
ずっと町の奥の方に入って行くと十字路付近に汚い着物を着た居残りの支那人が、急作りの日の丸の旗を振っていた。
支那人の籠の中には小さなリンゴが一杯あり、我々一人、一人に渡していたが農民といえども、我々は彼等にとっては敵であるから、如何なる悪意がある知れぬので「絶対に食べることを禁ず」と命令されているので、誰もリンゴを受け取らなかった。
ある師範学校の校庭に馬繋場を設けて馬を繋いで、久しぶりに水を汲んできて馬体を洗うなど馬の手入れをし、我々も中隊長の訓辞を受けて空き家になっている支那民家に入った。
中隊長からは「数日来の戦闘で人馬ともに疲労の極みに達し、特に馬のごときは、乗馬の五~六頭を除けば鞍傷して肉が出ている状況であるから、此処で約十日間ばかり休養するよう連隊命令が出たから人も、馬も休養し、特に生きた兵器である馬の傷の全治に全力を注ぎ次期戦闘の準備をせよ」とのことであったので、皆はここ数日で見違えるほど日焼けして黒くなって、頬が落ちている顔を見合わせて皆が喜んだ。
宿舎もそのつもりで準備した、我々の宿舎は師範学校の敷地の隅にある
割合大きな家で綺麗である。
大きな土間には寝台など造り、
十日間の宿泊に気持ち良く過ごせるように出来上がった。
庭に出てみると主なき家には戦争も知らず美しく鷄頭の花、百日草、しばくれの花が咲いている。
無心の花は語らなくても我々の心を慰めてくれた。
久しぶりに花を見た、祖国の庭にも今こんな花が咲いているのだろうと、
田舎のことが思い出される。
悠然とした気持ちになって過ごしている時、中隊の伝令である石田一等兵が来て「今より、一時間後に出発準備を全うすべし」と、此には誰も面食らった、面食らった。
予想し難きは戦場である、明日は多分こうなるだろうと思っていても一つも当たらない、自分勝手の予想を当てにしてたら痛い目に遭う。
だから皆は何時でも「今すぐ出発」と言われても困らぬように心掛けているが、十日間の滞在と言った一時間後には出発では困る。
飯も出来たか、出来ないかの飯を食べて出発準備をする。
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