第12話
荒れ果てた白河原の道らしき道も無い月下の山岳地帯を前へ前へ前へと前進したが、中隊で行軍するのはこんな道では随分苦労をするだろうと思った。
十一時頃まで行軍して、そのまま露営する。
我が中隊は軍列の後尾を来ていたので我々挺身班は軍列の後尾の中隊に戻った。
我々、観測小隊は馬糧など持たぬので玉蜀黍畑の中に馬を全部繋いで玉蜀黍を刈り集めて馬に与えた。
誰かが「馬は便利に出来ているな」と言ったので苦笑した。
馬の飼い付け後は馬から蹴られる心配の無い所で鞍を枕にしてそのまま寝た、故郷では布団を着て暖かくして寝ているだろうなと、ちらりと頭に浮かんだが何時の間にか深い眠りに落ちた。
目覚めれば四時まだ暗い、皆は飯盒で飯を炊いたり、鞍を置いたりして準備を始めている、我々も慌てて準備をする。
夏の夜は明けやすく辺りは明るくなっている、六時に出発する途中でリンゴがなっていたので千切って食べた。
山間の道を何ら敵の抵抗もなく部隊は前進する、右翼方面から砲声が聞こえてくるが、我々はひたすら前進した。
支那大陸に上陸して以来は土は赤土ばかりであったが、この辺りの山の土は真っ黒な腐植土である誰かが「国の山の土に似てるな」と言っていた。
山間の坂を登ったら眼前に秦の始皇帝が匈奴の侵入を防ぐために造ったという史上に名高い万里の長城が右の向かいの向かいの山から、うねうねと頂から頂きへと連なって、また左の向かいの向かいの山に続いている。
木もない山の中の高い頂きに煉瓦造りで、しかも幾千里の長きにわたると聞き、此が二千数百年前に築かれたのかと思うと、全くの驚異で目を見張った。
小休止があったので馬から下りて、背負っていた砲隊鏡を出して砲声が聞こえていた右翼隊の戦闘を見ると砲弾を盛んに城壁に打ち込んでいる、城壁にパッと黒煙が上がり、暫くしてから音が聞こえてくる。
支那兵が城壁上をチラチラ動いていて、山の斜面には友軍が日章旗を置いて伏せている。
小休止が終わり、我々は再び出発し大きな城門を通ったが、その大きさと堅牢さには驚いた。
高さは十四~五メートルはあり大きな煉瓦で築かれている、門は直線でなく曲線になっているので馬に乗って通れる、その城門には扉がある。
昔は此の山の頂きの城壁には多くの番人がいたであろう、城壁には二~三百メートル毎に望楼があり、望楼は非常に芸術的に出来ている。
例えば一つの望楼は円く、その窓も円い。
向かいの望楼は四角で、窓は三角。
その向かいの望楼は五~六角形で、窓は楕円形の窓が設けてあるといった具合に各々が異なっていて、此が二千年前の支那文化なのだろう。
目指した万里の長城を一気に越して下る、再び荒れ果てた山の中のだ。此の時点で皆は相当疲労していて倒れる者も出てきたので、疲れている者を馬に乗せて私は歩いた。
何処を見ても山また山、何時こんな山の中から平野に出れるのかなと思った。
途中にリンゴ畑があり、いっぱいなっていたので遠くまで走っていって取ってきた。
午後二時頃に小さな部落に着いたが、昼飯も食べずに行軍したのでヘトヘトになる、此処で大休止をしたので皆は玉蜀黍で腹ごしらえをした。
民家に水を探しに行って、この地方のお金を見つけてきた者がいた。
銅製の四角な物で、とても珍しく大小により一両とか十両とか書いてあった。
我々の食糧が、此の時点で全く無くなってしまい、連隊命令では食糧は現地調達とのことだったが、畑にあるのは生育途中の高粱ばかりで食糧にはならず、馬鈴薯などは滅多に無くて、困った事になったぞと皆は顔を見合わせる。
部落には泥水の池があったので、皆は腹にも水筒にも充分水分を補充した。
出発となり、此処から部隊は旅団で行軍することになる。
我々は前衛砲兵として大隊に配属され、行軍序列に入る。
昨日と変わらず今日も白河原の行軍だ、両側は高粱畑になっている。
一里行った頃に銃声が聞こえた「挺身班、前へ」の逓伝で馬を走らせて中隊に先行して行くと、伝令が白河原の右の土手の所で待ってくれていた、私は下馬して河原から右に溝を伝って行く。
唯一の通路である此の溝は兵隊でいっぱいだ、歩兵は溝の土手を登り、どんどん散兵して各個前進を開始している。頭上を敵弾が「ピュー、ピュー、ピュー」とかすめてゆく、歩兵は重機関銃を土手に上げて射ち出した「ダ、ダ、ダ」と物凄い音である。
顔を上げて見れば土壁に囲まれた部落の家の土壁に土煙を上げて着弾している。
敵は土壁から銃先を出して盛んに我々を射っている、敵との距離は百メートルを余り超えない程度だ。
歩兵の一個中隊が攻撃した後は待機となったので、我々は馬の手綱を握ったまま溝の中で疲れのため敵弾の通る音や、傍らの重機関銃の音を聞きつつ微かに眠ってしまった、溝の中では多数の兵士が眠っている。
今までは敵前で眠るということは非常に大胆な者のすることと思っていたが、疲れていれば誰でも眠れることが解った。
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