第8話

民家に二頭の驢馬がつないである、小さな時からお伽噺には聞いていたが見るのは初めだ。子牛位の大きさで大きな耳、物怖じしそうな目、実に可愛らしい動物だが力は非常に強いとのこと。

伍長が二頭を徴発しようと言うので、一頭を引っ張って行こうとするがなかなか動かないので二人で懸命に引っ張って行って、馬を繋ぎ戻って見れば、残した一頭は歩兵の人に取られた後だった。

戦場に於ては友軍の物でない物は持ち主が無い物と言っていいかも知れない、先に取った者勝ちである。

中隊が着いたとのことで行って見ると草原に馬繋場所がつくられていた。

中隊長から「何をしていた」と叱られたので「中隊の宿舎割りをして待ってました」と答えたが「そんなことでは駄目だ」とお目玉をくらった。

その夜は馬繋場所の側で天幕を張って露営だ、持っているだけの米を全部出しあって夕飯を食べたが実に美味しかった、しかし米は此れが最後で明日からはどうなることかと思うと心細かった。

翌日は早朝に起床し、出発準備を終えて七時に出発する。

我々砲兵の出発は、朝は出発時間よりも二時間以上も早く起きて朝食と昼食の準備をして朝食をとり、体には装具を付け、馬繋場所に行き馬の水飼をし馬糧を食べさせ、馬の蹄の検査をし、馬の背を撫でて鞍を置き、夜に使用した外套、天幕の装具も馬に乗せ、さらに機材、砲車、弾薬を積まなければならず大変である。

同様に夜に着いても馬から機材その他を下ろし、整理して警戒のために砲車も準備しておいて、馬繋場所に馬繋ぎを作り馬を繋ぎ、馬の一日の疲労を回復させる為に脚をマッサージし、汗を取るために馬体全部を撫でてやり、出来れば藁等の寝藁を持って来なけらばならない。

次は水飼、此れが北支の如き水の少ない所では、暗くなって夜中に宿舎に着いてから水を探し歩くのはひとかたならぬ苦労する。

飼付けは飼付けの号令により一斉に飼付けして終わりである。

飼付けを一斉にするのは理由がある、馬は利口な動物であるから、まちまちに与えると悪い癖が出てくる、他の馬が飼付けした馬を蹴ったり、咬んだりし始めるからてある、飼付けが終わると中隊長の注意がある。

それが長い時は敵情から今日の行軍、並びに戦闘のことから支那民衆に対する態度などがあり、それが終わると皆は夜に必要な装具を持って割り当てられた宿舎である誰もいない支那人の汚い家に行くのであるが、一夜の宿を取るに必要な鍋、釜に相当するだけの一切の道具を持って行かなければならない、米から調味料は言うに及ばず。

宿舎に着けば夕食を炊いて食べなければならず、食べ終われば明日の朝食と昼食の用意である。

時には鶏など取った時はご馳走を作るので料理に時間を要する。

やっと空腹だったが漸く夕食を食べ終わった。

今夜の宿舎は支那人の民家に多くの兵隊が寝ようというのであるから各人は寝床をこさえねばならず、寝床が出来ればすわっという時は、何時でも装具を取れるように枕元に置いて初めて眠れるのである。

けれども敵地であるから夜は警戒が必要だから歩哨にも立たねばならず、馬も繋いだままでは夜中に放馬して何処ともなく走って行ったのでは、出発という時に全くどうにもならないので馬にも馬番が必要である。

歩哨も馬番も七日交代で立たねばならない。

出発が如何に早かろうと、如何に夜遅く着こうとこのようなのである。

朝は暗いうちに起きて出発準備を終わり、挺身班は中隊よりも先に連隊本部と一緒に北営樹林を出発する、夕べは大砲の音を時折天幕の中で聞いた。

今日の出発は明日からいよいよ戦闘なので山岳戦に不必要な物は此処に全部預けて行く、その為に私達の小隊も馬の荷物が減り、馬にも余裕が出来たので、さっそく昨日の弱った馬は替えて貰ったので今日は心強い。

午前中は山また山の隘路を行く、道はほとんどが荒れ果てた田舎道で道路に沿って黄色い電話線が行けども行けども張ってある。

この電話線を敵に切られたら復旧の苦労は大変だろうなと思った。

八月の大陸の焼けるような太陽は容赦なく我々に照りつける、水は無し、軍装は重くて汗は軍服に皆滲んでいる。

午前中は森の中を多く通った、

森の中にはリンゴの木があり所々に赤い顔を覗かしている。

リンゴの木があってリンゴが欲しいが、我々は馬上なので森の中にあるリンゴを取りに行くわけにいかず、人が取ったリンゴを有り難く頂いて食べたが本当に美味しかった。

さらに前を行っている中隊では准尉が「行軍中にけしからん」と言って、取って来たリンゴを捨てさせていた。

我々の中隊長は「腹をこわさぬように」と注意してくれたのみだった。

それからは河とは右に別れて木も無い焼けるようなみちを行く。

所々に敵の死体が転がっていて、暑さの中に異常な臭いが満ちている、行って見ると黒い木綿の軍服を着て腐って黒くなった支那兵が石河原の中に死んでいた。

八月の大陸の日光を遮るものは無く、大陸の太陽は我々を容赦なく照りつける。

河を離れて二里も行った所では、相当数の歩兵部隊が天幕を張って露営している。

歩兵達が小さなリンゴを沢山持っていたので、私は馬上からちょと話をした、話をしていると大事なリンゴを我々に三~四個づつくれた。

聞けば、戦線までは此処からは二里ぐらいあり、此処には水が無いので一里半ばかり後方にある河まで炊飯に行かなければならず、馬も一回一回河まで水飼に引っ張って行くとのことに唖然とした。

我々は喉は渇けど一滴の水も今はない、貰ったリンゴはもはや動けぬという時に食べようと鞍嚢の中にしまう。

幕舎には捕虜が二人繋がれていた、

今まで死んだ支那兵は見てきたが、初めて見るいきた支那兵である。

服装は非常に粗末だ、さっき見た死んでいた支那兵と同じ服装だった。

山の麓には大きなリンゴの木が一杯あるが、一個のリンゴもなっていない、たぶん歩兵が全部取り尽くしたのだろう。

その山の上には歩哨が立っているのが見える。

私は幸いにも玉蜀黍が近くに多くあったので銃剣で切ってきて馬に食べさせる。

自分は奇跡を求める気持ちで段々畑をリンゴがなったないかと登る。

ところが奇跡的に玉蜀黍畑の中に誰もてを付けてないリンゴの木が一本あり、枝にはリンゴがたわわになっているではないか。

胸のポケットや他のポケットに入るだけ入れて、それから胸のボタンを外して服の中にも入れた。

挺身班の者を呼んだら皆来て、それぞれ一杯ちぎってポケットなどに入れていた。

斜面を降りたら先程の歩兵がいてリンゴを貰っていたのでお返しにリンコワを少しずつ分けてあげた。

今までは貰ったリンゴは食べずに大事に鞍嚢にしまっていたが、今回はすこしリンゴを食べた、残りは水が無いとのことなので大事にまた鞍嚢にしまつまた。

鞍嚢にしまっていたら、連隊本部付の通訳さんが来たので鞍嚢からリンゴを出してあげると、彼は腹をこわして飯がくえぬとのことだったので非常に喜んだ。

昼食となり我々は乾麺包を出して食べるが如何せん、この食べ物は水がなければ食えたものではない、これのみは続けては食えない、何故なら舌が荒れて咽を通らないのだ。

そうしてると通訳さんが「腹をこわしているので、私の飯をくわんですか」と全く有り難く戦友と三人で食べた、その味は今でも忘れられない。

昼食が終われば再び出発、ますます道は悪く険しくなり、そのうえ暑さは暑し喉は渇く。

ある山の頂上で小休止があり、付近には馬の死体があった、馬の死体の側に見慣れぬ赤い飴玉大の実がなっている木があり、その実を取ってきて皆で食べたが美味しくはなかった。麓の所に泥水があるというので飲めやせぬかと思い、また自分は飲めなくてもせめて馬だけでもと思って愛馬の鞍から水嚢を外して取れば、馬は気違いのようになって水嚢に頭を突っ込み「フー、フー」といって水嚢に水が無いのを知るとガックリして水嚢から頭を上げるので可哀想でならなかった。

それで馬を連れて麓までいってみれば、水とは名のみ、雨水の濁ったのがドボ、ドボしていて中には支那兵の死体までういている。

馬が、もし飲めばと思ったが、飲みたいのはやまやまらしいが水面を「フー、フー」と臭いを嗅いだのみで飲もうとしない。

馬は汗が出るので水がなければ苦しかろうと思うけども、どうしょうもなくそのまま行軍する。

負傷兵が五~六人担架に担がれて来ているのに出会う、何処に行くのかと聞けば、我々が今朝出発した部落まで行くとのこと、その距離を思うと負傷兵には気の毒だった。

我々は第一線との電話線を伝って連隊本部を訪ねて行く途中、道が二つに別れる場所で電話線が無くなっていた、どの道を行けば良いのか困り果てた。

衛生中隊がいたので尋ねるが要領を得ない。

仕方なく小隊長は確認のため入部通信下士官を連れて山に登って行く、ふと見ると反対側の中腹に大きな赤壁の家が見える。

自分は水が飲みたくて赤壁の家まで行くことにきめた、

ところが後藤上等兵が同行しようと言うので中園上等兵や川上、中島に馬を頼み急ぎ足で行った。

赤壁の家の入り口の所には四十歳位の黒い支那服を着た、色の黒い頑丈そうな支那人が出てきたので、さっそく「良水有、没有」と聞けば「没有」の一点張りで、畜生と思い怒鳴りつけた。

支那人は縮こまって「来ィ、来ィ」と言う、後藤上等兵はまだきてなかったので一人で後について行く。

土壁の中に入って見ると、小さな土蔵の棟が幾つもある。

ある小さな棟に入って瓢箪で作った水汲みを持ってきて雨垂れを溜める水瓶が据えてある所へ行くと、底に一寸ぐらい水が溜まっている。

支那人が飲んで見せたので自分は「ぐいぐい」と飲んだ、何とも言えぬ旨さであった。

肩を叩く者がいる、ひょいと振り返って見れば後藤上等兵だ「何を飲んでいる」「水だ」と答えれば「そんな水は飲んではいけない、支那人を信用してはいけない、もし毒が入っていたらどうする」と言う。

子供の時から支那人は信用してはいけないと教えられてはいたが水が飲みたくて、つい飲んでしまったのだ。、しまったと思って唾を吐いたが追いつかぬ。

心配になってきて水の中をよく見れば、何たることかとボーフラが万といて動いているではないか、けれどもはや致し方ない。

後藤上等兵はそのまま棟へと入って行ったら金色の大きな仏像が三体並んで立っているお寺で、仏像の下には支那兵の服や、いろんな物が転がっている。

たぶん支那兵が二~三日前まで居たのであろう、仏像の下を棒であせっていると血の滲んだ日本兵の外套があった、殺られた戦友の物であろう、思わず目頭が熱くなった。寺を出て裏に回ってみたら、リンゴがなっていたので二人で一杯ちぎって軍服のポケットに詰め込んだ。

寺の入口の所に軍医で中尉の人がいて、さっきの苦力を捕らえている「この苦力は、お前達がつれてきたのか」「いや、今此処にいた苦力ですが」と答える。

「こ奴はかかる戦場にいるとは怪しい、良民ではないぞ」と言って「すまないがお前達、向かいの所に兵隊がいるから帰りに引き渡してくれ」と言われたので連れて行くことにして、ボーフラの入った水を飲んだことを話した。

「毒は入ってはいまい」と言われクレオソードを二粒くれた、飲んだが不安は消えない。

苦力を兵隊に渡し、暫く行くと向こうの方で兵隊に渡した苦力が走っているのが見えた、銃声が三連続して山々に木霊する。

銃殺、頭にピーンときた、苦力は草間に倒れて再び起き上がらなかつた。

いよいよ戦場だ、戦場では人間の作った法規も道徳も一切無いのだ、ただ強い者が支配する世界だ。

戦友が盛んに呼んでいる声がするので走って帰った。

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