第6話
途中、大津駅で昼食を取っていると国防婦人会の肩章を掛けた日本婦人が酷暑の中にエプロンまで掛けて、かいがいしく一生懸命に我々皇軍勇士お茶の接待をしてくれる。
祖国を遠く離れ、しかも戦線近き所で日本婦人の心からの接待は本当に嬉しくて涙が出そうだった、。
酷暑の中を走り回って兵隊の水筒にもお茶を満たしてくれている。
我々の汽車がホームを動き出すと期せずして「万歳!」の声を送ってくれ、汽車の窓よりタバコ、キャラメル等を投げ込んでくれた。
涙が出るほど嬉しかった、かかる感激は戦地でなくては味わえ無いだろう、私はタバカコを吸わないので一個づつ分けてあげた。
途中の駅にも少数ではあるが日本婦人がお茶を沸かして待っていた、ある駅では夜の一時頃にも関わらず起きていて、支那の苦力を使って皆の水筒にお茶を満たしてくれたのには目頭が熱くなるのを感じた。
北京の駅は記憶にない、確かホームの無い所で汽車は停車したような気がする、此の辺りまで来ると駅が次第に寂しくなってくる。
二十日の午前十時頃に最終駅である沙河鎮で下車する。
我々、砲兵は下車と言っても人だけでなく一切の機材と馬を下ろさなくてはならない、下ろし終れば今度は馬に鞍を置き、全部の機材を馬に乗せなければならないので大変だ。
作業は正午過ぎに終わり馬には携帯の馬糧を与える。
飯は途中の駅で食べていたのでなんとかなるだろうと思って、二日前に此の地で戦闘があったと言うので近所を歩いて見物した。
野砲の薬莢が一杯積んであって、いよいよ戦地に来たなと思い、少し気が引き締まるのを感じた。
午後一時に全員集合し出発する、目的地は九里先で本日中に小営なる部落まで行軍予定とのこと。
午後になって今から九里も行こうとするのに食わずに行軍とは少々無理があり意外な感じがしたが、此れが軍隊なのだ命令は絶対である。。
行軍中に腹が減って仕方ないので三時頃、命令なしでは乾麺包は食ってはならないものであるが「腹が減っては戦はできぬ」で少し乾麺包を食って我慢する。
我々、観測班は馬に乗って行くから良いが、大部分の兵隊は重い背嚢を背負って、そのうえに重い荷物を背負った馬も引っ張っているので大変である。
道案内人には支那の農民であろう、二十歳前後で破れた着物を着た青年をつれて行く、その青年は高粱畑を早足で先にたって歩いて行く。
時々、青年は支那語で中隊長と話している、中隊長殿も馬上から何か言っているが、果たして内容が解っているのか、いないのか?
翌日は午後二時過ぎに出発して間もなく小雨が降り始めた。
我々は防雨外套は持っていない、持っているのは冬用の毛の外套のみだ。
暑いので濡れ鼠で行軍するが、支那の土は赤土なので雨が降ると滑って歩かれない。
だんだんと本降りになってきて赤土の道はますます滑る、道が周囲より低いのですぐに水が溜まる、すると人が滑る、馬が滑る。
行軍中には高粱が踏み倒され戦いの後がありありと残っていて、燃えた自動車が所々畑の中に転がっていて戦場感がひしひしと伝わってくる。
夕方より雨は益々ひどくなり、道には膝が没する程水が溜まりだした。
時たま日本馬がポカリと出てくる、どうした事かと不思議に思って行ってみると腰が抜けた馬で、異国の地で働けなくなって捨てられているのを見ると可哀想で、出来ることなら日本まで連れて帰ってやりたい気持ちで一杯だった。
我が中隊の馬も支那特有の赤土の為に滑って転び始めた。
今月十二日に馬は門司で乗船以来、今日の十九日迄一週間も運動してなかったので馬の足は極度に弱っている、重い機材、弾薬を背負っていて一度倒れれば再び立つことが出来ない。
泥沼の中に座って動けぬ馬を皆で打っ、蹴るして引き起こすけれど、馬は泥沼の中に座ったままで起き上がれない。
元気な馬は起き上がり変な格好で歩く、けれど動けぬ馬がいる転んだ時に捻挫か何かして腰が立たなくて仕方ないので、その馬の荷物は他の馬に積めるだけ積み、残りは人間が担いで運んだ。
雨は益々酷くなり、行軍は思いの外困難になってきた。
馬に乗ってる我々観測班は機材など担って歩いて行軍してる者の背嚢を馬上で背負ったので馬を自由に走らすことが出来ない。
広い高粱畑にもやがて夕暮れが広がってゆく、倒れた馬を起こしたりなどしているうちに我が中隊は遅れてしまい、前の部隊との連絡が思うに任せぬようになった。
「此の道の先方を大隊本部が行っているから連絡を取ってこい」と私に命令があったので、道の両側は馬に乗っても見通しがきかぬ程伸びた高粱畑の中の滑る細道を馬を走らせた。
二十分も走ると途中に他の中隊がいたので追い越して行く、大隊本部に着いたときは夕闇が迫っていて馬上からは道の様子はみえにくくなっていた。
大隊本部は部落の先端の分かれ道の所にいて、池知中尉と大隊長が馬から下りて地図を拡げ道を尋ねていた。
私は中隊の現在の状況を報告し大隊長の命令を受け、復令をして中隊に帰り報告した。
ついに雨は先程大隊本部のいた部落にさしかかった頃から大雨になってしまい、馬も人間もずぶ濡れになり金玉までびちゃびちゃになってしまった。
我が中隊では遅れた者が後方にだいぶいるので集結する為に、此処で一時間休憩した。
馬の手綱を持って立っていると、雨は遠慮なく物凄い音で遠慮なく人馬を叩く。
たちまち周囲より低い道は川となり膝までの深さとなつて水が流れて行く、全く信じられない位凄い。
人は勿論、馬もまだ夕飼を食べてなかったので馬が倒れたら一大事なので糧嚢の中から携帯の馬糧を取り出して、道に立ったまま少しずつ掴み出して食べさせると馬は嬉しそうに一生懸命食べている。
このような大雨の中に立っていると、何故か故郷が思い出される、
故郷では今頃は皆深い眠りについているだろう。
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