迷宮喫茶の秘密 前編

 クリスマスが過ぎ、年末進行の荒波からやっと切り抜けられた私は、約束通り多岐川さんにランチをごちそうしていた。

 その日は久々においしいラーメンを食べようということで、魚介だしが有名なラーメン屋で、あさりラーメンをすすっていた。


「あー……やっぱりたまに食べたくなるんだよねえ、こういう味」

「本当に。こんなあっさりしながらもコクのあるラーメンなんて、家だとつくれませんもんねえ」

「さすがに一日仕事になったらねえ……それで、クリスマス上手く行ったの?」

「あはは……おかげさまで。あと、これお礼の品です」


 私が差し出した包みは、シュトーレンがふた切れ入っていた。それを受け取った多岐川さんは「へえ!」と笑みを浮かべた。


「あそこの喫茶店の?」

「はい」

「へえ! あそこのご飯なんて多分私は食べられないだろうなあと思っていたから、食べれるなんて思ってもみなかった! ありがとう、これ午後の休憩時間にコーヒーと一緒にいただくわ」

「どうぞー」


 ものすごく喜んでくれた多岐川さんに、私もにこにことする。

 実際に、これはしばらく私の朝ご飯だ。コーヒーとシュトーレンひと切れ、バナナで朝を切り抜けている。一応シュトーレンは保存食でパンなんだから、なにも間違ってはいないはず。多分。

 泉さんと私の関係がなんなのかは、相変わらずよくわからない。

 少なくとも、泉さんが店長としてではなく、泉さんとして交流してくれる気になったことだけはたしかだとは思うけれど。今の居心地のいい関係を崩したくなくて、その関係は未だに名前が付いていない。

 私がにこにことしながらラーメンをすすり終えている中、あさりの旨味たっぷりのスープをすすりつつ、多岐川さんが言う。


「まあ、仲がいいのはいいんじゃないかな」

「本当になにからなにまでありがとうございます、多岐川さん」

「いやいや。私、本当になんにもしてないから。でもこういう話ってちょっとだけ羨ましいなと思っただけだから」

「そう……なんですかね?」

「いやあ……だって、それって純愛じゃない。婚活がはじまったら、もう結婚相手に求めるものをあれこれ並べないと不安で不安でしょうがなくなるもの。どんなに好きでも、お金とか実家とか、そういうものが見えてくるもの。ポイント減点形式で、本当に簡単にゼロになるから、そこでどんどん自己嫌悪に陥るの。そういう打算全くなしのものができるのは、私はかなり羨ましい」


 そう力説されてしまい、私自身そこまで本当に考えが至っていなかったことに気付いた。

 そもそも好きになったとしても、関係性が店長と常連客から、個人と個人に変わっただけで、これ以上進めようがない。

 私はそもそも、進展を望んでいるんだろうか。何度考えてみても、よくわからなかった。


****


 多岐川さんに言われたことが引っかかり、今日の仕事が終わったあとも腕を組んで考え込んでしまっていた。

 自分でもわかんないんだよなあ。本当に。

 そもそも私自身、結婚したいのかと言ったら、お金が貯まらなかったら無理じゃないかなと二十代後半まで婚活をする気にならないし、でも付き合ってもいない泉さんに、段階を飛んで「結婚したいんですか?」と聞いても締まらない。そもそも段階を飛び過ぎているんだから、いきなり結婚願望のことを聞かれても困ってしまうだろう。

 だとしたら……どうすればいいんだろう。

 ひとりで延々と考え込んでいたら、「あのう、すみません」と声をかけられた。男の人の声だった。

 一応大阪梅田の地下道は、全体的にキャッチセールは禁じ手だけれど、ときたま地元ローカル局の取材が入ることがある。大概は「急いでます」と言えばそれで終わるけれど。

 それかなとぼんやりと振り返ると、中肉中背の男性がいきなり名刺を差し出してきた。


「ああ、お忙しいところすみません。自分は、『Oh!カルト』の編集者、暮春ぼじゅんと申します」

「『Oh!カルト』ですか……」


 東京にある、オカルト専門誌だ。全国あっちこっちの霊的スポットの記事を取り上げたり、心霊伝説の研究をしていたり。基本的に書かれていることは全て、都市伝説とか絵空事の類ということで、オカルト好きには人気だけれど、そうじゃない人は知る人ぞ知るという印象の雑誌だ。

 そんなとこの編集者さんが、なんで大阪まで来たんだろう。私が自然とうろんなものを見る目になってしまっている中、暮春さんと名乗る編集者さんは困った顔で笑う。


「ああ、すみません。いきなりオカルト雑誌の編集がなんの用だとは普通思いますよね? 自分もあそこの所属じゃなかったら普通にそう思いますから」

「はあ……そういうの言ってしまっても大丈夫なんでしょうか?」

「自分、オカルト雑誌に向いてないんで、他の編集部に行けないか掛け合ってますけど、上からなかなかお許し出ませんし。だってオカルトって怖いじゃないですか」


 ますますそんなこと言ってしまって大丈夫なんだろうか、この人は。

 ただ、デザイン関係でときどきやり取りする出版業界の人は偉そうな人なのかとばかり思っていたら、心配になるほど腰が低い上に妙なノリでぶっちゃけ話をする人だから、そこまで悪意はないんだろとだけ思う。

 私も名刺交換したほうがいいんだろうかと迷ったけれど、どうせ会社の電話番号と会社のパソコンのメルアドしか書いてないからいいやと、名刺を差し出した。


「北口商事の神奈です」

「ああ、丁寧にどうもどうも……すみません。ご帰宅の際に声をかけてしまって」

「それで……わざわざ私を捕まえて、用件はなんですか?」

「ああ、いやですねえ。赤いコートの女の話を、なにかご存じではないですか?」

「……はい?」


 一瞬なんだっけと思ったものの、すぐに思い出した。

 最近全く話題に聞かなかったけれど、そういえば泉の広場には赤いコートの女が徘徊しているという都市伝説が存在していた。

 もっとも、泉の広場には今は噴水はないし、赤いコートの女も噴水の縁の待ち合わせしている人たちに紛れていたはずだから、もう紛れることができないからいないらしい。今のウォーターツリーじゃ、待ち合わせするにしてもやや待ちにくいもんなあ……。

 私が困った顔をしていたら、暮春さんは「いやですね」と教えてくれた。


「泉の広場が撤去されて、しばらく経つじゃないですか。あれから赤いコートの女はどこに行ったのかと取材に伺ったんですよ」

「ああ……」


 そういえば、泉さんも前にちらっと赤いコートの女の話をしていたような。

 私は「うーん」と言いながらも、頷いた。


「あそこ、多分今は赤いコートの女と待ち合わせしにくいんじゃないですかね? 泉の広場跡でしたら、案内できますよ」

「わあ! すみません。写真も撮らないといけないんで助かります!」

「写真も編集さんの自前なんですねえ」

「うち、そこまで儲かってないんで」


 私は歩き慣れた地下道を、暮春さんと一緒に進みはじめた。

 しかし……だんだんと電灯の色が変わってくる。あれ。今日はただの普通の道案内で、泉さんに会いたいなんて、ひと言も思ってないのに。私が「あれ?」「あれ?」とする中、だんだん暮春さんが震えてきた。


「あ、あのう……」

「あー……すみません、すみません」

「あの、謝られても……どうかされましたか?」

「自分、ちょっと見える体質でして……ここって、普通の場所じゃないですよね……? ど、どうしよう……よそ様を巻き込んで……」


 私はひとりで慌てている暮春さんを、ポカンと口を開けて見ていた。

 ああ……オカルト雑誌の編集部から離れたいって、怖いっていうのは、見える人だからかあと、今更ながら納得した。


「ええっと……暮春さん。落ち着いてください? 大丈夫です。多分大丈夫ですから」

「な、慣れてませんか? 神奈さんは……」

「ええっと、私もオカルト経験には慣れてないです。ただ、この道に慣れているだけで。よろしかったら、あそこでお茶しませんか? 店長さんなんかは、都市伝説に詳しい方ですよ?」


 そう言って指さした方角には、いつものブリキの看板の【迷宮喫茶】。

 それを見て、ガクガク震えている暮春さんはぽつんと呟いた。


「よもつへぐい?」

「違います」


 そこは即答しておいた。

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