師走はいつも忙しい 前編

 年末進行の足音が近付いてくる。

 物流は三が日に入ると一旦ストップするから、それまでにやり取りをしないといけないことが多くなり、十一月の半ばにもなると、あちこちを走り回ったりネットで連絡を取り合ったりとせわしなくなって、残業時間もどんどんと伸びていく。

 そのせいで、昼休みもすぐに午後の仕事に入れるようにと買ってきたものを休憩所の電子レンジで温めて食べる日が続いていた。


「……地下道の店で食べたい」


 うちの会社には社員食堂がない以上、全部自前だ。最近はコンビニ弁当もいいものが揃っているとわかってはいるものの、同じものをずっと食べていると飽きてくるし、ちょっと体に優しくとサラダやスープをセットにするとかさばるのだ。おまけに結構ゴミが出るから、捨てるのに難儀する。

 私が休憩所で背中を丸めてコンビニ弁当をつついていると、多岐川さんも「わかるー」と言った。


「年が明けるまではずっとこうなんだろうとわかってはいるけど、結構しんどいよねー」


 そう言いながら食べているのは、コンビニのラーメンだ。私はそれを見ておずおず尋ねた。


「それっておいしいんですか?」

「まあまあかなあ? でもコンビニのラーメンって、あっさり目が多くって物足りない。魚介系出汁が好きな人はそうでもないのかもしれないけど」


 そう言いながら多岐川さんはラーメンをすする。

 私も「そうですねー」と言いながら弁当をつついていたら「そういえば」と話を振られる。


「喫茶店の店長さんと電話番号交換したんでしょう? そのあと進展あったの?」

「えー……忙し過ぎて全然連絡取れてないですし、店にも行けてませんよ」

「あらまあ……でも電話番号教えてくれたってことは、脈があると思ったんだけど」

「……そうなんですかねえ?」

「知り合いってだけで電話番号なんて交換しないでしょ? 仕事相手だったら職場の電話番号とメルアドで充分なんだし」

「……電話番号を交換してから、結構時間開いちゃいましたけど、迷惑がられませんかねえ?」

「うーん……この時期忙しくないのって、部活入ってない中高生くらいじゃないの? 大丈夫だと思うけど」

「じゃ、じゃあ……家帰ったら電話かけてみます」

「休み時間なんだから、今かければいいじゃない。休み時間終わったらすぐ仕事だけれど」


 多岐川さんに心底呆れられたが、私は目をさまよわせながら、ポツンと呟いた。


「……今電話したら、そのあと浮ついて仕事にならない気がして、まずいと思います」

「あー……電話してやる気を出せないタイプか。ならしゃあない」

「はい……」


 結局は家に帰ったら電話をしよう。今日こそは電話をかけようと心に誓って、午後からの仕事も乗り切ったという訳だった。


****


 私は電話というものが苦手だった。家族からだったらいざ知らず、家族以外の人の声がプライベートゾーンに入ってくるというのが苦手で、そのせいで最近普及しているテレワークでも、頼むから文字だけでやり取りさせて欲しい、せめてテレワークOKの喫茶店でやり取りさせて欲しいと思っている。

 だから私が自分から電話番号を教えるのも、ましてや電話番号交換するというのも、本当に滅多にない話だった。


「ううううう……」


 疲れた体をしゃっきりさせるために、どうにか全身引きずって風呂に入った私は、かれこれ十分ほどスマホの前で座っている。

 スマホを押せば、泉さんにすぐ繋がる。わかってはいるものの、なかなか住所録を触ることすらできずにいた。

 でも電話しないことには、なにもはじまらないし、残念だけれどもしかしたら、泉さんはなんにも困ってないかもしれないし……電話番号だって、こっちが押してようやく交換できたようなもんだし……。


「うううううううう……」


 ……逆に考えよう。

 相手がなんにも思ってないんだったら、迷惑にも思ってないだろう。

 うん。かけよう。

 自分にそう言い聞かせて、ポチポチと住所録を引っ張り出して、そこに登録した電話番号に電話をかけた。

 通話音が響き、『おかけになった電話番号は……』のお約束の通知が聞こえないことからして、並行世界であっても、電話は通じるらしい。

 思えば泉さんは、迷宮喫茶の店長をしていること以外、本当になにも知らない。

 ……やっぱり迷惑だったんだろうか。

 またもネガティブな方向に頭が振り切れて、あと三回電子音が流れたら、泣く泣く消そう。

 そう思って通知の数を数えはじめる。

 さーん、にーい……。


『はい、泉です』

「あ、あの……神奈です! お時間……大丈夫でしたか!?」

『あー……神奈さん。最近店に来られへんかったみたいやけど、元気やったかあ?』


 あまりにもいつも通りだったことに、私は拍子抜けしてベッドに転がった。


「はい……全然迷宮喫茶に顔を出せなくってすみません……仕事が忙しくって……」

『かまへんかまへん。年末はそんなもんや。うちは帰省ラッシュの迷子がよう来るくらいで、通常運転やけど』

「まだ帰省ラッシュには早かったと思いますけど……」

『前にも言うたけど、並行世界を無理矢理引っ付けたひずみにうちの店はあるんやし、時間の流れが違うとこもあるよぉ』


 なるほど。私と泉さんの住む世界の時間の流れが似通っているだけで、他の世界はそうでもないって感じなのか。

 どうにかSF映画の知識を使って納得したところで、私は「あのう……」と聞いてみる。


『そういえば神奈さん、いきなり電話かけてきたけど、なんや用事やなかったん?』

「あ……」


 単純に会いに行けないから声が聞きたかった。そんな少女漫画じみたことを、私は口にするのも恥ずかしく、あわあわあわとしてから、適当に出まかせをでっち上げた。


「最近、外食している間がなくてコンビニ弁当ばかり食べていて、飽きてきたから、どうにかならないかなと思って、相談に電話しました!」


 思わず出た言葉に、私は脳内で「馬鹿ぁぁぁぁぁぁ」と声を上げていた。

 いくらなんでも食いしん坊万歳なセリフを言ってどうするの。そんなしょうもない理由で、夜中の電話をかけても。


『せやねえ。冬場は寒いし、寒くなって腹減ったらネガティブなことしか考えられんようなるし。でもコンビニ弁当ばっかやとたしかに飽きるしなあ……あったかいもん食べたい思うやろうしねえ……今コンソメ炊いとるとこやし、アク取りながらでええんやったら、一緒に考えよか』

「はい?」

『昼休みにマシなもん食べたいっていう相談ちゃうんかった?』

「そ、そうでしたね。ははは……」


 ああ、この時間帯に電話かけても怒らなかったのは、単純に今も仕事していたからだけだったんだ。

 そういえばランチやモーニングのセットにはさらりとコンソメスープあったから、それを普通に固形ブイヨンからじゃなく、自分でつくっていたとは思わなかった。今度行けたら、感謝しつついただこう。

 私は心に決めながら、電話の向こうの泉さんの声に耳を傾けた。


『コンビニやったら、最近はスープもの多いけど、職場ではお湯はもらわれへんのん?』

「スープですか? たしかにありますねえ……でもコンビニのスープだけっていうのも、物足りなくないですか?」

『そういう要望多かったんやろねえ。最近のコンビニスープは、割と具沢山やから、具沢山スープと、好きなおにぎりを買いぃ。おにぎりやったら、その日の気分で具材を替えたら飽きにくいし、具沢山のスープもその日の気分で味噌汁に替えたらええやろ』

「なるほど……そこまで考えてませんでした」


 たしかにスープの入れ物とおにぎりの包装だったら、捨てる時もそんなにかさばらないもんなあと思い至る。おまけに最近のインスタントの味噌汁は味もいいし、その日の気分でおにぎりも、梅やおかか、ツナマヨ。炊き込みご飯に高菜ご飯に替えられるというのは、意外と見逃され勝ちだった。


「ありがとうございます。考えてみれば、おにぎりって結構種類がありましたね。今の時期おにぎりだけだったらお腹冷やすなと思って見逃がしてました」

『せやねえ。味噌汁やスープは体を温めるため、ご飯は活動用エネルギーのためって考えたら、わかりやすいんやけども。まあ、神奈さんも仕事頑張ってるみたいやし、次来たらサービスするで?』


 その言葉に一瞬ドクンと心臓が跳ねる。

 ……いや落ち着け。常連客が遊びに来たら、好きなメニューを注文しやすくしようとか、そんな感じなんだろう。

 私は「あはははは、楽しみにしています」とだけ答えた。


『あー、そろそろコンソメを漉さなあかん』

「すみません。お忙しい中。お仕事頑張ってくださいね」

『おおきに。シュトーレン焼いて待ってるわ』


 それで電話が切れた。

 ……うん、シュトーレン?

 私は思わずスマホのカレンダーを引っ張り出した。

 シュトーレンは元々はドイツ菓子で、クリスマスを待ちながら薄く一枚ずつ食べる風習がある。

 ドライフルーツやナッツを練り込んで、バターをたっぷり混ぜ、粉砂糖を全身真っ白になるまでまぶしたそれは、とにかくカロリーの暴力だ。

 ……そうじゃなくって。これが元々クリスマスケーキの一種だということのほうが、問題なんだ。


「……クリスマスに、もしかしなくっても、会えるの?」


 私はわたわたと今度は自分のスケジュール帳を引っ張り出した。次に開いている土日は……土日は……。

 クリスマス直前が過ぎると、いいものは売っていないだろうからと、二週間前に当たりを付けた。

 泉さんになにかプレゼントを買おう。そもそも並行世界のせいで時間間隔は向こうのほうが先を行っているし、クリスマスに会えるなんて期待はしていないけれど、もしかしたら、もしかするのかもしれないから。

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