人生の岐路で五里霧中 前編
とわさんとは、アプリでやり取りをする、年下の友達という不思議な関係になった。
同窓会に出席した彼女は、なんと幹事をしていた好きだった彼と交際をスタートさせたらしい。
電子マネーでの返金と一緒に、お礼にお菓子屋のギフトチケットをもらった。私はそれをありがたくいただきながら、彼女の近況報告を聞いている。
【そういえば、彩夏さんはそういう人はいないんですか?】
そうぽろっと話題が飛んできて、私は「うーん」となった。
【今のところそういう人はいないかな。興味がない訳ではないけれど】
【そうなんですね。私の話ばかり聞いてもらって申し訳なかったんで】
【いやいや、私のほうこそ、そんな思い切りってなかなかないから、すごいなあ若いなあと思っていたところ】
【でも、私と彩夏さんって、そんなに年離れてないですよね?】
【ニュアンスニュアンス】
そんな話をポロッポロッとしながら、私はぼんやりとアパートの窓を眺める。
カーテン越しに、夜の帳が降りているのがわかる。
会いたいときに会えない人を好きになっても、発展しようがないもんなあと、真っ黒な空を眺めて溜息をついた。
****
秋になった途端に、リクルートスーツでうろうろしている子たちをよく見るようになった。
就職活動も年々早まり、気付けば三年の秋にはもうはじまっているという。
学生の本分は勉強のはずだし、学生のときにしかできないこともあるはずなのに、なんでもかんでも世知辛いなと思う。
大阪でも合同説明会やら企業訪問やらがあるせいなのか、このところ地下道を歩いていてもやけに迷子に捕まって、途中まで同行することが増えていた。
それを多岐川さんに言ったら、当然ながら笑われてしまった。
「なんというか、神奈さんは聞きやすい雰囲気が出ているのかもねえ」
「そうなんですかね? 普通ってそこまで人に声をかけられたりしないんですか?」
「しないしない。私なんて、生まれも育ちも大阪だから、大概の場所には案内してあげられるんだけれど、なぜか聞きに来ないんだよねえ」
そんなもんなのか。
私は泣きそうになりながら、スマホの地図アプリやら、プリントアウトした地図やらを持ってうろうろしている子たちに、会場を教えつつ、日々を過ごしている。
迷子がいるんだから迷宮喫茶に行けばいいだろうと思うんだけれど、皆が皆、面接やら説明会やらに行きたがっているもんだから、立ち寄る暇もなくて、結局は行けていない。
クリームソーダの味をすっかりと忘れ去りそうになった頃、私はまたも泣きそうな顔で迷子になっている子に声をかけられた。
「あ、あのう……すみません」
「はい?」
また迷子か。私はそう思って振り返ると、リクルートスーツの上にカーキ色のジャケットを引っかけた子が、プリントアウトした地図を持って立ち尽くしていた。
ヒールのパンプスで歩き慣れていないんだろう、脚がプルプルと震えていた。無理矢理ひとつにまとめた髪は、結ぶにしては長さが足りてないのか、ちょんまげみたいになってしまっていた。
「あの……空中庭園ってどちらでしょうか?」
「あらあ……」
思わず声を上げてしまった。
空中庭園は通称で、本当は梅田スカイビルという名前のビルだ。
上層部は大阪一帯を見張らせる展望台、それらを眺められるカフェやバーが有名な一方、地下には地元で働いている人たちが足しげく通う滝見小路が存在し、味のよさと手頃な価格で評判がいい。
そして、上層部は定期的に就職イベントも開催していたはずだ。
でもなあ……あそこは地下からだと行けなかったはずだ。
本当だったら大阪梅田からではなく、私鉄やJRで隣の福島から出発すれば、この近辺じゃ一番目立つ建物だから、歩けばすぐ見つかるんだけど。
大阪の改装工事に次ぐ改装工事のせいで、この辺りからだったら、駅前の電器屋を通らないと行けないっておかしなことになっていたはず。それかスカイビル付近のホテル行きのシャトル便に乗っていけばいいんだけど、まずバス停まで辿り着けないと駄目だしなあ。
私もこの辺りのことは、多岐川さんに聞かなかったらまず理解できなかった。
「じゃあ、ちょっと歩きましょうか。ちょっと難しいんで、口で説明するより歩いたほうが早いと思うんで」
「す、すみません……」
泣きそうな顔をしている子を、このまんま放置していくのも心元ないしなと、とりあえずまずは電器屋を目指すこととなった。
その子は泣きそうな顔で「大阪って、どうしてこんなにわかりにくいんでしょう?」と尋ねる。
私はそれに「わかります」と頷いた。
「せめて信号渡ったら辿り着ける場所にあればいいんですけどね。でも大阪、なんとなく道とかがパキッと分かれてない感じがします」
「パキッとですか……?」
「十字路だったら、せめて右手とか左手とかわかるんですけど、道がカーブになっていたりしたら、それも難しいじゃないですか。だからと言って全部の道を地下で繋いでくれる訳でもないですし」
「……大阪は地下から行ったほうが近い、地上に出たほうが危ないって聞いたことがありますけど」
「そうですねえ、駅前ビルは大概地下で繋がってますから。ただ連結されてない場所も多いんで、地下で全部賄うって感覚は危険かもしれませんね。現に空中庭園も、地下からだと辿り着けないから、こうして電器屋を使わないといけないんで」
電器屋に到着したら、一階から電器屋を出て、歩いていく。
しばらく歩いて行ったら、だんだん神社の鳥居の形に似た大きなビルが見えてきた。
梅田スカイビルは、別名ツインタワーとも呼ばれている。ふたつのビルを上層部の空中庭園で繋げているのが特徴なんだ……なんでこんな不思議な高いビルをつくったのかは、私も理由をよく知らない。
「ほら、着きましたよ」
「あ、ありがとうございます……あ、あとですね」
「はい?」
「……この辺りで食事ができる場所ってありますか?」
「ああ、はい。スカイビルの地下で食べられる場所はいくらでもありますよ。ただ十一時以降じゃないと店は開いてないかもしれません」
「ありがとうございます……」
そのまま小さく小さくなってしまった。
なんだか心配だなあ。
私は自分の時計を確認した。一応会社に戻らないといけない時間まで、まだもうちょっとだけある。
「よかったら、お茶でもしていってから、出かけたらどうですか?」
「えっと……」
「多分一軒くらいは開いている喫茶店もあるかもしれません」
私は大嘘をついた。
ここは梅田の地下とは若干異なるし、行けるかどうかもわからない。
ただ、予感があったんだ。
この子は就活という人生を決めるイベントの前に、立ち往生しているみたいだから、もしかしたら迷宮喫茶に迷い込めるかも。
もしかしたら、泉さんが話を聞いてあげたら、この子も迷いが晴れるんじゃないかと。
私たちはエスカレーターで地下に降りた。
薄暗く昭和の雰囲気を作り出そうとしている滝見小路は、それっぽい看板や店の看板が多々出ていて、大阪観光のお土産やら写真スポットやらとしても有名だった。
その光景を、彼女は物珍しそうな顔で眺めていた。
「こういうのを、大阪っぽいって言うんですか?」
「どうなんでしょうね? もっとよその地方の人が思う大阪ってイメージの場所は、別にあるとは聞きました。この辺りは観光地も兼ねてますんで。じゃあ、開いている店を探しましょうか」
「あ、はい」
まだ辺りのサラリーマンも食事を求めて歩いてはおらず、観光客が数人、昭和風の看板や公衆電話と写真を撮っているのがあるばかりだった。
でも。歩いていたらだんだんと薄暗かった場所が明るくなってきた。
この辺りは蛍光色の電灯だったのに、気付けば暖光色の電灯に変わったのだ。
そして、噴水の音が響いてきた。
彼女は本当に大阪に詳しくないのだろう、不思議そうな顔で「この辺りは明るいんですね?」と言いながら噴水を眺めていた。
泉の広場は既に噴水は撤去され、代わりに電飾の木が立っていることは、未だに知らないらしい。
やがて、いつも通り店が見つかった。
迷宮喫茶は今日もオープンしていた。あの店は迷子ばかりを引き寄せているけれど、モーニングのサービスもあるんだろう。
ドアに手をかけたら、相変わらずコーヒーの香ばしい香りが漂って来ていた。
「いらっしゃい」
「こんにちは、二名です」
「はい。メニューはこっち、喫茶メニューはこっち」
泉さんはお冷と一緒にそう言いながらメニューを渡してくれる。
それに私は一瞬だけ「あれ?」と思った。
時間帯から考えたら、そろそろランチメニューか、歩くことを考えてモーニングメニューを勧めるだろうに。
私が怪訝に思っている中、彼女はおずおずと喫茶メニューを眺めていた。
「ホットケーキやワッフルもあるんですね」
「おう、あるでー。どっちも好きな味にできるけど」
「味? メープルシロップかはちみつか、とかですか?」
「おう、あと添えるジャムを替えられるで。おすすめはリンゴジャムやけれど、ブルーベリージャムやママレードは割と人気。ワッフルやったらチョコソースとかな」
迷子の人が割とリクエストしているのかな。割と昔ながらの雰囲気の喫茶店なのに、味に関しては意外と女性人気のある味付けも多いような気がする。
彼女は少し迷ったように視線をさまよわせた結果、意を決して口を開いた。
「ホットケーキ……お願いします。メープルシロップを添えて」
「おおきに。飲み物はどうする? コーヒーはそこのメニューにあるものやったらなんでも出せるし、他のもあるけど」
「飲み物……じゃ、じゃあ……カフェオレで」
「おおきに。自分はどうする?」
私に話を振られて、考えた末に「モカのブラックを」と言うと、注文を取ってくれた。
彼女は待っている間、お冷を飲みながら口にする。
「……今日、面接なんです」
「それは……時間は大丈夫なんですか?」
「緊張し過ぎて、二時間前に着いてしまったんで大丈夫だと思います。でも無理矢理でも面接会場の近くに来ないと、逃げ出しそうなんで……」
「逃げ出しそう……?」
「……今って就職難ですから、絶対に内定を取らないとって、わかっているんです。選り好みしている場合じゃないって。でも……私そもそも働けるのかなと」
彼女のお冷を飲みつつ訴える言葉に、私は言葉が出なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます