同窓会と恋煩い 後編

「いらっしゃい」


 泉さんはいつものように、カウンターでグラスを磨いて出迎えてくれた。

 人気のいない店内に、女の子は困惑していたものの、勇気を出して泉さんに訴える。


「あ、あのう……駅ビルに行きたいんですけど……泉の広場、ありますけど……」

「あるなあ……駅ビルって、どれのこと?」

「第一ビルの地下です……」

「あー、食い倒れのとこやね。うん。ここを出たら、しばらくぴゃーっと歩いて、どん詰まりで左」


 大阪の人は、なぜか擬音で道案内してくれるけれど、これってわかるもんなんだろうか。

 私はそう思っているものの、女の子は泣きそうな顔で、頷いている。


「ありがとうございます……」

「あの、わかるんですか、今の道案内で?」

「感覚で」


 わかるんだ。この道案内で。

 謎の感想を持ちつつ、私は彼女に尋ねた。


「どうしますか? このまますぐに駅ビルに向かいますか?」

「……早く着き過ぎるんで、少しだけ落ち着きたいです。あの、冷たいものを……ジュース的な」

「ジュース的ななあ……ジュースやったら、オレンジジュースとリンゴジュース。あとミックスジュースな。クリームソーダも出せるけど」

「じゃ、じゃあ! クリームソーダで」

「おおきに。神奈さんはどないする?」


 泉さんに話を振られ、私は「ええっと」と喉を詰まらせる。

 地下でうろうろして、風通りはいいとはいえど、やっぱり汗は噴き出ている。それにクリームソーダなんて懐かしい感じのもの、なんとなくご相伴に預かりたい気分。


「私も、クリームソーダで!」

「おおきに。ふたりとも、メロンソーダでええ?」

「はい」


 私たちが頷くと、グラスに氷を入れて、そこにメロンソーダを注いでくれた。アイスをかぱりと添え、さくらんぼのシロップ漬けを飾ると、見るからにクリームソーダが完成した。長いスプーンとストローを添えて、私たちに出してくれる。


「お任せしました。クリームソーダふたつです」

「わあ……! ありがとうございます!」


 私たちは夢中でクリームソーダと格闘しはじめた。

 バニラアイスのソーダのかかった部分に、氷で冷やされてしゃりしゃりになった部分。メロンソーダのしゅわしゅわとした感覚も相まって、毎日は食べられないけれど、ごくたまに無性に食べたくなる魔性の味がする。


「高校時代……ファミレスでメロンソーダにいろんなものを入れて遊んでたんです」


 女の子はぽつんと言った。

 カラオケのドリンクバーは、まだ自由なお金のない高校生にとって、絶好の贅沢スポットであり遊び場だった。

 私は「ありましたねえ」と頷くと、彼女はひと口ストローをすすって、微笑んだ。


「メロンソーダに他のジュースを入れたり、ウーロン茶入れてなにもかもぶち壊したり」

「アイスティーだと比較的なんでも許容してくれますけど、ウーロン茶は割となんでも受け入れてくれませんでしたよね」

「でもリンゴジュースとウーロン茶は意外と合ったような気がします」

「ええ、リンゴジュースとウーロン茶、合いますか?」


 私たちがしゃべっていると、泉さんがグラスを磨きながら口を挟んでくる。


「ウーロン茶は意外とフレーバーティーもあるから、果汁百パーのやったら、意外と許容すんで。でもカラオケ屋のドリンクバーやったら、果汁三十パーとかその辺やから、合う奴と合わん奴は極端に出るやろ」

「ええ、そうだったんですか?」

「そやそや。桃とか葡萄とかやったら、割と合う。でも三十パーとかやと、マジでやめといたほうがええで」


 なるほど。紅茶だってフレーバーティーでいろいろ出ているし、ウーロン茶も紅茶も元は同じお茶っ葉だから、合うものと合わないものはあるのかも。

 私が心の中でメモっていると、女の子は言う。


「なんだか、そんな風に遊んでいたんです。そんなに時間経ってないけど、大学に入った途端に大学デビューして、キャラが変わってしまう場合もあるから、はしゃいでいるのは私だけだったら、どうしようって思ってます」


 なるほど。

 同窓会前にクリームソーダって、重くないかなとは思ってたけど。どうにか落ち着かせようと思ったら、ジュースをかぱかぱ飲むよりも、少しでも思い出にしがみつこうとしてのチョイスだったんだな。

 私はどう答えようと思ったら、「せやねえ」と泉さんが口を開いた。


「街も工事して結構変わったし、見た目も変わるけどなあ……所詮は大阪。大阪やっちゅうもんは変わらへんねん。人も、ちょっと離れた学生デビューしたからと言うて、そうすぐに変われる奴ばかりちゃうで。特に男子は、なにかにつけてデビューしたがるけど、根本はアホばっかりやわ。もしそれでも変わったって思うんやったら、それは相手のほうちゃう。自分のほうが捉え方が変わっただけやわ」

「ちょ、泉さん……」


 泉さん、同窓会に行く途中で迷子になったなんて知らないはずなのに、話の内容を聞いてうすらぼんやりと思ったこと口にしているだけなんだろうけど、なにをそんなに言っているの。

 私がストップを入れようとしたものの、泉さんは「でもなあ」と人好きのする笑みを浮かべる。


「捉え方変わっても、綺麗な思い出のまま埃被ってるよりはよっぽどマシなこともあんねん。会ってみて考えてみぃ」


 そう優しく言った。

 ……この人、本当に変わっているというか。私はクリームソーダをすすると、彼女は顔を火照らせて「はい」と訴えた。

 ふたりともクリームソーダをすすり終えて会計を済ませようとしたものの、問題が生じた。


「うちは現金のみ。電子マネーもカードも使えません」

「えっ!? 嘘……私この数年現金なんて使ってませんけど!?」


 マジか。これがデジタルネイティブ。

 私はゴクリと唾を飲み込む。私の場合は、大きな震災とか台風とかが来たら停電になることもあるから、どんなときでも現金は持ち歩けという教えを、忠実に守っている。

 あわあわしている女の子に、私が「あの」と言う。


「クリームソーダくらい奢りますよ?」

「ええっ!? そんな、ついてきてもらった上に、奢ってもらうなんて、そんな」

「いえ。私もお礼言いたいくらいですし。この店に連れてきてもらって」


 女の子は困った顔をして、視線をうろうろ彷徨わせたあと、私に言う。


「アプリのID教えてもらっていいですか? お金絶対に返します」

「いや、別に……」

「さすがに申し訳なさ過ぎますもん。恥ずかしい話いっぱい聞いてもらった上に、奢ってもらうだなんて」


 私はとうとう観念して、彼女とアプリのIDを交換した。

 ふたり分の会計を済ませると、泉さんはにこやかに笑う。


「自分のお人好し、今日はええことしたなあ……」

「また怒られるのかと思ってましたけど。余計なことしてるって」

「誰やっていつも怒られるのは嫌やろ」

「そうですけど……」

「街かて人かて、そりゃ表面上は変わるし、そうせなあかん事情はあるやろ。でもなあ……根っこなんてそう簡単には変わらん。あの子も上手くいくとええなあ」


 そうしみじみと泉さんは言ってくれた。

 本当に、私もそう思う。

 私は泉さんに「また来ます」と言うと、泉さんは笑みを浮かべた。


「またおいで」


 自分から進んで迷子になれたらいいのに。また味を覚えている内に来られるといいのに。

 そう胸の奥がキューッと締め付けられたのは何年ぶりかなんて、私も思い出せなかった。


****


 アプリに登録する際に、女の子は「崎本です! 崎本とわ」と名前を教えてくれた。

 とわさんか。私も「神奈彩夏です」と教えると、彼女もアプリに登録してくれた。

 さっきまであれだけおどおどしていたのが嘘のように、彼女の足取りは軽やかになっていた。


「上手くいったら連絡しますね。上手くいかなくってもお金払わないといけませんから連絡しますけど」

「そんなに急がなくっていいよ。でも私がそういう話聞いてしまって大丈夫なの?」

「友達に勘繰られたくないんで!」


 そりゃまあ。友達との恋バナって、話が飛びまくるから、まともに聞いてもらえないことが多いもんな。

 私が「楽しみにしている」と手を振ると、彼女も元気に手を振って、第一ビルへと向かっていった。

 とわさんに道案内をしていなかったら、自分自身の気持ちに気付かなかった。

 ……恋なんて、高校時代に教育実習生の先生にして以来してこなかったから、よくわかんなかった。

 迷子にならないと辿り着けない店の店長さんなんて、好きになってどうするの。

 始めようもない関係を持て余しながら、私は家路へと着いた。

 今日は変な時間にクリームソーダを食べたし、そうめんでいいかなと思いながら。

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