いい人悪い人普通の人 前編

 蛍に谷町先生の新刊を送ったら、それはもう感想をアプリいっぱいに書き込んでくれた。私はそれに【それそのまんま、谷町先生に送ってあげたら?】と言うと、彼女はポンとスタンプを押した。

 どうもファンが過ぎて、ファンレターを送っていいのかどうか、迷っているみたいだ。


【喜んでくれるかな……? 迷惑なファンだって思われない?】

【本の感想、しかも好意的な感想を喜ばない人はいないよ。そっくりそのまま送れば大丈夫だから】

【返事くれとか、リクエストとかって思われない? 大丈夫?】

【大丈夫大丈夫。アプリに書いた内容だったら問題ないから、そのまんま行け】


 どうも感想を書いてくれるみたいで、私はほっとした。

 少なくとも、もう谷町先生は迷い込んで迷宮喫茶を訪れることはないだろう。

 それにしても。迷った人しか入れない喫茶店って、結局のところなんなんだろう。大阪の都市伝説に出てくる赤いコートの女は、そもそも人間ではないらしいけれど。だとしたら、泉さんもまた人間じゃないのかな。


「うーん……」


 犬猫には害悪のはずのコーヒーをいつも振る舞って、甘いものや料理を振る舞ってくれる。そういうひとが人間じゃないって言っても、説得力はないような。

 結局は泉さんがなんなのかは、わからずじまいだった。

 でも私も、梅田の地下街には慣れつつあるから、そろそろ私も迷子になれないような気はするけれど。

 私はそう思いながら、今日の晩ご飯はどうしようと冷蔵庫を漁った。そろそろ野菜の端っことかが萎びてきそうだから、全部炒めてケチャップで味付けして、ナポリタンでもつくろうか。あり合わせ野菜のナポリタンは、その日余った野菜とセール品のソーセージでつくるから、同じ物は二度とつくれないのだ。

 フライパンに野菜とソーセージを炒め、ケチャップで味付けしつつ、ふと思う。

 迷宮喫茶では、ナポリタンはあるのかな。食べてみたいような、そうでもないような。私はそう思いながら、茹でたパスタを投下した。


****


 午前の仕事も終わり、私と多岐川さんは梅田の地下で食事を摂っていた。

 昔は寂れた店が多かったらしいけれど、今はどこもかしこも綺麗になった上に、おいしい店も増えたらしい。

 それでも、今日は天気が悪い。どこも雨と土の匂いがして、床もつるつると滑って危ない。


「まあ大阪は、どこでも比較的おいしいんですけどねえ」

「食い道楽ってことですかね?」

「というより、大阪人って基本的にケチなんですよ。おいしくなかったらお金を出したくないって感じ。安物買いの銭儲けって言葉があるけど、大阪人って他のものではすぐに安物買いで損をするし、オレオレ詐欺には引っかからないのに還付金詐欺には引っかかる。すぐ損得で物事考える割には、食事に関してはやけにお金を使うんですよ。ほら、たとえばこの辺りではカレーは牛肉じゃなかったら駄目、みたいに」

「なるほど……でも豚肉だったら安いしお金も抑えられると思うんですけど、駄目なんですか?」

「駄目なんですよね……かくいう私も、カレーを炊くときは安い牛肉探してきて使いますから」


 なるほどなあ。私はそう思っていたら、大衆食堂が見えてきた。

 基本的になんでも安い上においしい。私は蕎麦を頼み、多岐川さんはうどんを頼んで、それをすすりはじめた。


「そういえば、前に言ってた喫茶店って、まだあるんですか?」

「私が迷子になったところですか?」

「そうそう」


 多岐川さんからしてみれば、私がいきなり迷子になった挙げ句に、既になくなった泉の広場の噴水前に辿り着いたと聞いてから、迷宮喫茶には興味津々だ。

 しかし泉さんの説明を本当とするならば、彼女は残念ながら辿り着けないだろうなあと思う。なんでもかんでもズバズバ決めてしまう多岐川さんは、迷う暇すらもったいないというドケチな人だ。その上地元民だから、未だに私も迷う梅田地下街も、颯爽と歩いて新規開拓してしまうんだから、それでは迷いようがない。

 私は「うーん……」とうどんをすすってから答える。


「あるんですけど、私もそろそろ行けなくなるかもしれませんね」

「ええ、そうなんです? 聞いている限り、本当に昔ながらの純喫茶だから羨ましいなと思ったんですけど」

「そうなんですか……なんでも店長さん曰く、迷わないと入れないらしくって」

「昔の絵本とか童話とかでありそうな設定ですね、それ」

「そうかもしれませんね。でも不思議ですね。そんな店、あるんだったら今時でしたらすぐにネットで都市伝説の一貫として広がりそうですけど、私あの店のことがネットで書かれているの見たことありません」

「そういえばそうね。私も神奈さんに聞くまで知りませんでしたし。なんでしょうね?」


 結局は、謎は謎のままで、なにもわからなかった。


****


 仕事帰り、またも泉さんの迷宮喫茶に行ってみたいなと思ったものの、既に道を覚えてしまったし、通り抜けができない道の迂回方法までマスターしてしまった私だと、辿り着くことができなくなってしまった。

 もう行けないのかな。そうぼんやりと寂しい思いをしていると。

 ひとりあからさまに困って地図と睨めっこしている人がいる。この辺りは工事に次ぐ工事のせいで、去年来た人でも地図が役に立たなくなっていることがざらにある。その人は、スーツ姿のサラリーマンのようだった。

 大阪の人だったら、なにかにつけて迷子を見つけたら、その迷子に道を教えてあげるらしいけれど、私は人に道を教える自信がない。その人がちゃんと着くといいなと思いながら通り過ぎようとしたら。


「すみません、ちょっといいですか!?」


 その人は真っ直ぐに私のほうに向かって歩いてきた。


「ええっと、なんでしょうか?」


 どうも私は迷子に声をかけられやすい雰囲気を醸し出しているらしく、声を掛けられやすいような気がする。

 その人は泣きそうな顔で訴える。


「すみません、電器屋どこですか!? 前は普通に通路から行けたんですけど、閉鎖されたみたいで」

「まあ……」


 JR大阪の目の前に、有名電器屋はラスボスのように鎮座している。見える割にはなぜか歩いて行くことができず、多岐川さんは「あそこ、前は普通にJR大阪から行けたんだけど、道を閉鎖されちゃったんですよ」と教えてくれた。

 あそこかあ……一応上層階のどこかからか行ける方法はあったと思うけど。でも今日は残念ながら雨。通り抜ける道に出るまで、斜め雨に耐えないといけないと考えたら、あんまり上からの道はお勧めできないな。

 となったら、地下からかあ……。

 その人は泣きそうな顔で訴える。


「自分、電器屋の上層階のホテルを予約してて……このままじゃ到着できなくって」

「そりゃまあ……大変ですね。なんとか行きましょうか」

「本当に、すみません」


 どこかからの出張の人かなあ。私はどうにか観光案内の場所がないかなと思って探す。観光案内だったら、出張の人にも親切なはずだから。私はそう思って探すけれど、見つけられない。

 仕方なく、そのサラリーマンさんとしゃべりながら歩くことにした。


「大阪まで来たの、修学旅行以来なんですけど、変わりましたよねえ」

「それ、地元の人からもよく聞いてますけど、やっぱり変わったんですかね?」

「ええと、お住まいはこちらではなく?」

「実家は関東ですから。地元でずっと就職を決めた子からも、ずっと工事を繰り返してるって聞いてます。だから大阪の地下とかもすぐ迷子になるって」

「全部繋いでるから、本当だったら便利のはずですよね……」

「ですよねえ。かえって迷子になってますけど」


 実際問題。大阪梅田の駅前ビルは、全て地下で繋がっている。だからおしゃれなショップからおいしい高級料理店まで、全部駅から一括で行けるはずなんだけれど、地下以外から行くのが信号とかもろもろの関係で難しく、地下から行こうとすると、蜘蛛の巣状に繋がった道からだとなかなか辿り着けない。

 便利なはずなのに、どうしてこうも不便なんだろうと、首を傾げずにはいられない。

 そう思いながら、私は電器屋に案内しようと目指していたはずなのに、だんだんと道がおかしくなってきた。それにサラリーマンさんも気付いたらしく、「あれ?」と辺りを見回した。


「あ、あのう……ここ、人がいなくないですか?」

「ええ……なんかいないですよね。平日、ですのに」


 そもそも大阪梅田は平日には人が多く、土日祝日には人がすごく多い。人がいない時間帯なんてほぼ皆無なんだから、これだけ人がいなかったら、だんだん不気味に思えるはずだ。そこまで考えて、私は「しまった」と気付く。

 ……普通に考えたら、私ぼったくりバーの客引きかなにかと勘違いされてないかな。ぼったくりバーの客引きに女の人がいるのかどうかは知らないけど。

 私もサラリーマンさんも、微妙に距離を開けて、あわわわわわわわ……としていた矢先。

 トポトポと水音が響いた。それにサラリーマンさんは目を輝かせた。


「わあ、セーブポイント! 本当にセーブポイントってあるんですね!」

「へえ……せーぶぽいんと?」

「あれ、RPGとかしたことありませんか? ゲーム中にデータを保存できる場所に、こんな風に光ってる場合が多いんですよ」

「あー……なんで泉の広場がセーブポイントって書かれてるんだろうと、ネットを見て不思議に思ってましたけど、それでなんですか」


 サラリーマンさんはうきうきした様子でスマホを取り出すと、泉の広場の噴水を撮りはじめた。

 私は私で、知らなかった豆知識がまたひとつ増えた中で、相変わらずのブリキ看板の迷宮喫茶を見つけた。

 あそこ、入ったら泉さんが道を教えてくれるから、それでサラリーマンさんは目的のホテルに辿り着けるかな。それに。

 夕飯前にはあまりにも誘惑的な匂い……ケチャップとソースの焦げるものすっごくいい匂いが漂ってきていた。

 私とサラリーマンさん、どちらかともなく、お腹がぐーと鳴る。


「……喫茶店ありますね。なんか食べますか?」

「大阪って粉もんがおいしいって聞いたんですけど、喫茶店はどうなんでしょうか?」

「そうですね……なんでもおいしいらしいです」


 私たちは、たまらず迷宮喫茶の扉に手をかけた。

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