第4話 小さな村に生まれた勇者様 ②



 キリエは勇者を抱いて外へ出た。誰もいない村を見るのは初めてのことだった。昨日、勇者が一人進んだ道をキリエも行く。勇者はキリエの、大人の歩幅の大きさを眺めていた。ただじっと、進む方向ではなく、その足が運ばれる場所をずっと。


 勇者は忘却を許されてはいない。呪いは術者が死ななければ消えることはない。だから勇者は全てを覚えている。記憶はある。でもそれだけだった。失われないものは記憶だけで、その記憶には何の感情も伴っていないものがいくつもあった。感情を伴って見えてくる記憶はもうほとんどない。永遠に近い道を進んだのだから当たり前だ。でも、一度、何かとっかかりのようなものを見つければ、それはすぐに色を持った。遠い昔に消えたと思っていた灯はをまた見つけたのなら、誰だってそうなる。この世界に帰ってきたときのように。でもそれは同じ場所に帰ってきたからだ。この場所を知っていたからだ。ならもう、勇者は他の大きな記憶に感情という色を付ける機会はないのだ。だから改めて知っていく。永遠を生きた勇者は、そのすべてを踏襲した最後の人生をこれから歩むのだ。


 勇者は大人の大きさを知った。自分が何歩もかけて進むような道を、大人は一歩で踏み越える。勇者が魔法を使って宙に浮かばなければ見えない景色を、大人は常に見ている。勇者は今のこの世界のことを何も知らない。この村のことも知らない。キリエとシダルケの人生に自分が交わる前のことを、何一つとして知らない。でもそれは確かに存在して、勇者の中にはなくとも、キリエの中にはあるのだ。


 ずっと、そんなようなことを勇者は考えている。どんな人生があったのだろうと。そう思うことで、何かを得れるとか、そういうことではないのだ。ただ気になった。知りたいと思った。知ることで、この人のことをもっと好きになれると思った。でも、キリエの口からききたいわけでもないのだ。ずっと、考えている。セイメイやアネモネ、クズハのことも同様に。


 村の外れ、教会の前に着くと、誰かが大きな穴を埋めていた。


「ノリさん」キリエは呟いた。そこには顔の半分を包帯で巻かれたノリがいた。「もう、動いて大丈夫なんですか?」


「大丈夫かどうかなんて関係がないんだよ。私はまた生き残っちまったんだ。この子と違ってね」ノリの視線の先には、昨日勇者が瓦礫の下で見つけたアンナの死体があった。「生きてる奴にしかできないんだよ。何でもかんでも、全部がね」


 勇者は身じろぎをした。キリエは勇者を大地に卸した。勇者はノリが埋める穴に近づいていき、あまりにも小さな手で砂をすくい、穴を埋める土の足しにした。また、また、それをずっと、小さなその手で繰り返した。その様子をノリはじっと見ていた。力強い眼光で。


「随分と生意気なガキだね。それで、何かが変わるとでも思ってんのかい?」


 勇者はただずっと、何かに迫られているみたいに、土をアンナにかぶせていった。

「わたしは、あなたの答えが聞きたいよ。意味のあることをするのが段々怖くなってきて、だからこんなことばっかやってんのさ。年の功だかなんだか、適当に意味ありげなことを言ってね。薄っぺらいと思われたくないのさ」


 キリエも、一緒になってアンナに土をかぶせた。


 休憩もせずに今度は昨日の勇者と同じように、瓦礫をどかし、人を探し、その人の生きた証を探した。勇者とキリエとノリ、それぞれ少し離れた場所を、手分けして。


「あんたら、何してんだ」しばらくすると、目の下のクマが何かが腐ってしまったかのような印象を思わせる男性がやってきた。


「さあね、何してんだろうね」ノリが目もくれずに答える。


 その男性の前を汚れに汚れた布に包まれた赤子が通る。瓦礫を引っ張って、小さなアクセサリーを見つけるとそれを隅々までジッと見て、地面に置いて、手を合わせた。あまりにも小さな手だった。目の周りには、爛れたやけどのような跡があった。髪はまごうことなき金。「キリエの子か」


「そうだよ、ニケラスさん」


「そうか。」


 ニケラスは瓦礫を弱弱しい手つきであさりだした。そして、手のひらに乗るくらいの小さな木箱を見つけた。鍵がかかっている。だからニケラスは、そのカギを探した。それが誰のものかまではわかりゃしない。小さな村に住んでいる。村民の名前と顔くらい完璧にわかる。でも、それ以外のことはほとんど知らないんだ。住んでいるだけなのだから。帰ってくる場所に住んでいるだけで、旅を共にはしないのだから。でも、きっと、誰かの大切なものなんだろう?


 ニケラスは鍵を見つけた。それがこの木箱のカギかなんてわからない。だから試しに鍵を木箱に差してみる。木箱は嘘みたいになんの抵抗もなく開いた。中には手紙の束が入っていた。どれも丁寧に封が開かれて閉じられている。トーリスへ。ハイナより。


 トーリス。知っている名前だった。もう何年も前、冒険者になるといって村を飛び出したクソガキだった。そいつは片腕をなくして村に帰ってきた。村のみんなは反応に困る。そりゃそうだ。息まいて出ていったクソガキがこのざまだ。何も言えやしねえ。でもトーリスはすっくりした顔で言ったんだ「ただいま」ってな。亡くした腕の中に、トーリスの夢全部集中してたのかってくらいに思ったさ。冒険者だった俺はもう酒が飲めるんだぜ、なんて意味の分からないことを言うもんだから一緒に飲みに行ってやったっけな。一度だけ。元々接点なんて合ってないようなもんだった。あいつの隣にはいつも決まっている奴がいたからな。


 ニケラスは、木箱があった周辺を必死に探した。そして、ぼろぼろのかろうじて一枚を保っている紙をみつけた。ハイナへ。トーリスより。


 ニケラスは瓦礫の上に座り込んだ。体中の力が抜けてしまった。視野が突然広がって見えた景色に、どうしようもなくたまらない気持ちにさせられた。人が増えていたのだ。何人も、何人も。キリエとノリと、勇者様だけじゃない。そしてその中に、ひょろひょろとして今にも倒れてしまいそうに見える男がいた。「カヌレ」ニケラスはその男を呼んだ。


「これ、トーリスの。ハイナって、誰か知ってるか?」ニケラスは必死に笑顔を作って、何でもないことのよう取り繕って、不潔なものを持つみたいに木箱を持つ手だけを極端に前に出した。カヌレの目を見れなかった。


「うん。知っているよ。一度もあったことがないのに、親友みたい思える人だ。」


「そうか」


 それからニケラスは静かに手を合わせる勇者のところまでゆっくりと歩いた。勇者は足音に気づき顔をほぼ直角にまで上げた。悪い悪い、とニケラスはしゃがみこむ。


 木箱に入っていた手紙とは別の、ハイナへ、トーリスが書いた手紙を勇者の顔の前に出した。「これは、トーリスって言う村の馬鹿が大切な人に書いた手紙なんだ。きっと、法治国家クレアの冒険者ギルドに行けば、その大切な人に会えると思う。わからないけどな。もしかしたら、だ。いつか。届けてくれるか? トーリスは、一度だけ酒を飲んだことがある仲なんだ」


 勇者は、頷いた。


 誰しも、ほんの少しでも、その人を想っている時間を増やしたいと思うだろう。かけらを見つけて、その人の全く知らない一面を、その人ともう二度と会えなくなってから知るのだ。でもそれは後悔ではない。少なくとも、この場所に来るような人間に、そこで後悔を抱く人間はいない。必死だった。そこにいる誰しもが。ただただ必死で。それだけ。


 勇者にとってそれは、初めの頃はきっと、自分の逃げ道を閉ざすための作業だった。勇者自身、明確な理由など持っていないが、後になってそう思う。


 じゃあ、今は?


 馬鹿なことを聞くな。




 ――、勇者だ。




 この世に生きる誰にとっても、彼は勇者なのだ。




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