始まりの決意(2)

 僕は命を狙ってくるスライムに追いかけられていたが、行き止まりに差し掛かってしまう。

 諦めて振り返ると、スライムが近づいてきている。走っていた時に追いついてきたのに、今はゆっくりと。

 いたぶろうとしているのだろうか。できれば、痛くない死に方が良いな。


 そう考えていると、手のひらから震えが伝わってきた。愛梨のものだ。

 つまり、いま愛梨は怖がっている。なにかできることはないか。

 周りを探し回ると、金属バットが見つかった。心もとないけど、何もないよりマシだ。

 バットを手にとって、スライムへと向かい合う。


「愛梨、僕が時間を稼いでいる間に逃げて!」


「そんなことできない! 死ぬのなら、一緒にだからね!」


 なんて言われてしまう。なら、勝つしか無いじゃないか。

 手段なんて思いつかない。本当に勝てる存在なのかも分からない。

 それでも、スライムを倒す。それしか道はない。


 僕が死ねば、愛梨だって道連れだ。

 分かっているのに、少しだけ嬉しいと思ってしまう僕がいる。

 やっぱり、僕は愛梨のことが好きなのだろう。なら、やることは決まっているはずだ。


 バットを構えて、スライムの動きを観察する。

 跳ねながら動いており、重力に従っている様子だ。

 つまり、ジャンプしたタイミングはスキであるはず。

 まずは1つ手がかりを得た。ただ、どうやってタイミングを取るかだ。


 スライムはいきなりこちらに飛びかかってくる。

 後ろに愛梨がいるから、避けることはできない。

 バットを盾代わりにして、スライムの攻撃を受ける。


「うぐっ、痛い!」


 ものすごい衝撃で、顔面にバットが当たった。

 とても強くて、鼻や口の中から血が出てくる。

 鉄の味が広がって、匂いも1つしか感じられない。


 防御をしていても、ジリ貧になるだけだとよく分かった。

 なら、攻めるしか無い。愛梨が見守っている。これ以上、情けないところは見せられない。


「行くぞ、バケモノ! ただ倒されるのを待つだけだと思うなよ!」


 自分を鼓舞してはいるけれど、声は震えてしまっている。

 そうだよね。怖くないわけがない。愛梨が居なかったら、今でも逃げる手段を探っていたはず。

 ただ、愛梨を見捨てて自分だけ助かるなんて選択肢は、僕の中にはない!


 スライムが跳ねるのに合わせて、バットを横に薙ぐ。

 当たって、敵は吹き飛んでいく。今の姿だけをみると、マスコットっぽさがある。

 だけど、油断してはいけない。ダンジョンでは何人も死んでいるんだ。

 ただの一撃で死ぬような相手なら、人間でも勝てる相手なんだから。


「当たった。何も通じないわけじゃない。勝てる手段はあるはず。やれる。やれるぞ」


 自分に言い聞かせていく。勝てると信じなければ、絶対に勝てない。

 もしどうしようもない存在だったのだとしても、せめて最後まであがく。その決意を込める。

 愛梨が見ている前で、何もせず諦めるなんてできないんだから。


「優馬君、頑張って……!」


「任せて!」


 ここで応援されて、気合が入らないわけがない。

 なんとしても、死んでもスライムを倒してみせる。

 きっと、ほんの小さな一歩でしかないのだろう。他にモンスターが居ない保証はないのだから。

 それでも、今ここで勝つ価値は、他の何よりも大きいのだと信じるだけ。


 思った通り、スライムは問題無さそうにもう一度飛びかかってくる。

 またバットを振りかぶって叩く。また吹き飛んでいく。


 2回バットを叩きつけて、それでも敵は倒れない。そもそも倒れるのだろうか。

 いや、無駄だとしても諦めない。愛梨が応援してくれたんだから。

 絶対に最後まで戦い続ける。本当に死ぬ、その瞬間までは。


「何度でも来い! 何度だって叩いてやる!」


 他に手段は思いつかないから、馬鹿の一つ覚えだとしても。

 相手は生きている以上、逃げたってもう一度追いつかれるだけだろう。

 ここで倒せなければ、きっと未来は1つ。覚悟を決める以外に、道はないんだ。


 もう一度、スライムが飛びかかってくる。同じようにバットを振る。

 でも、今度は外してしまった。そのまま、僕の胸に衝撃が襲いかかる。

 息が止まって、そのまま倒れて頭を打つ。痛いなんてものじゃない。

 だけど、まだ力は入る。なら、戦うだけ。

 幸いにも追撃は襲いかかってこなかった。だから、まだ生きている。まだ頑張れる。


「優馬君! 死なないで!」


「安心して。絶対に勝ってみせるから」


 バットを杖に立ち上がって、もう一度構える。

 後ろに愛梨がいる以上、絶対に通す訳にはいかない。今度はさっきみたいな無様はさらさない。

 僕が死ねば、愛梨も死ぬ。それだけは許してはいけないんだから。


「こっちを見て!」


 声の方を振り向くと、愛梨の方からスライムに野球ボールが跳んでいった。腕が振り下ろされているし、おそらく投げられたのだろう。

 ボールが直撃したスライムは、愛梨に向かっていく。

 考えることすら放棄して、僕はスライムへと走った。


「今だよ、優馬君!」


 愛梨が何かを言っている。そんなことより、スライムを倒さないと。

 絶対に助ける。愛梨の方へ行くスライムに、全力でバットを叩きつける。

 

 スライムに直撃して、形がゆがむ。地面に挟まれて苦しいのか、相手はまだ動けない。

 もう一度バットを叩きつける。反撃は来ない。

 何度も何度も振り下ろしていく。全部の攻撃が当たる。


 バットが持ち上げられなくなるくらいまで、スライムを叩き続けた。

 手からバットを取り落とし、全身から痛みが襲いかかってくる。

 それでもスライムから目を離さない。すると、ただの水のようになっていった。


「倒せた、のかな……?」


「うん、きっと。優馬君のおかげだよ。昔みたいに、また助けてくれたね」


 愛梨はあたたかい笑顔を見せてくれて、ほんの一瞬だけ痛みを忘れられた。

 手を握ってくれて、かなり痛かったけど我慢する。


 ちょっと気になったのが、愛梨が興奮しているような、嬉しそうな声に聞こえたこと。

 まあ、命がかかっていたんだから興奮するし、助かったんだから嬉しいよね。


「こんなに手の皮がめくれちゃって。頑張ってくれたんだね。犬から私を助けてくれた時みたいに、優馬君は私のヒーローだよ」


 僕達がお互いに小さかった頃、犬に追われていた愛梨をかばったことだよね。

 代わりに僕が噛まれて、犬に近づくことも嫌になったけれど。

 今では完全に猫派で、犬はできれば視界にも入れたくない。

 それでも、愛梨から感謝されているのだと思うと、僕のトラウマだって勲章みたいに思えるんだ。


「たった一体のモンスターに、酷い有様だけどね」


「ううん。私のために全力だったって分かるから。ありがとう」


 愛梨からの感謝の言葉だけで、今回受けたケガも苦しみも、全部が報われたような気がした。

 ときどき意地悪も言われるけど、やっぱり優しい人だよ、愛梨は。

 僕を信じてくれて、心配してくれて、褒めてくれる。

 弱くて情けない僕だけど、愛梨が居てくれるのなら、捨てたものじゃないって思えるんだ。


「他にモンスターが居なかったら、病院に行こうね。結構ケガしちゃってるから」


「そうだね。念のために、検査くらいはしてもらった方がいいかも」


 結局、病院には行かずに愛梨の手当てで終わったんだけど。

 この日には、他にもモンスターがいっぱい現れていた。

 僕の知らないところで、大勢の犠牲者が出たみたいだ。

 全国的に被害があったみたいで、大変な状況だったらしい。


 なんとかモンスターを退治することには成功したみたい。

 警察やら自衛隊やらが、おおわらわになりながら動いていたらしい。

 それでも、病院には重症者が大勢いたし、病院自体が壊れたところもあったとか。


 やがてスタンピードと名付けられた、ダンジョンからモンスターがあふれる現象。

 僕達の日常は薄氷の上にあるのだと、心の底から思い知らされた。


 そういえば、被害の規模の割には、僕が出会ったモンスターはスライムだけだ。

 もっとたくさんのモンスターに襲われても、おかしくなかったのにな。

 まあ、運が良かっただけだよね。気にしすぎても良くないか。


 国は必死になってダンジョンを調査して、それぞれに区分を発表した。

 Sランクダンジョンから、Eランクダンジョンにまで分けられた。

 分かりやすい命名で、とても危険性が想像しやすい。


 Eランクダンジョンは人間にも対応できるレベルの場所で、Sランクダンジョンは入ったら絶対に死ぬものということらしい。

 問題は、ただダンジョンという災害が去るのを待っているのは難しいということだ。


 国はダンジョン攻略のための人員を募集している。

 いま手元にある戦力だけでは、きっと手が足りないのだろう。

 つまりは、待っているだけでは現状は終わったりしない。


 スタンピードが一度起こった以上、二度目がないという保証はない。

 僕は愛梨を守るために、Sランクダンジョンを目指すことに決めた。

 きっと、難易度が高いということは、そこに原因があるはずだと信じて。

 まずは、一歩一歩進めていくしか無いけれど。


 誰かに任せないのかって聞かれることもあると思う。

 でも、次のスタンピードのためにも、最低限モンスターとの戦いは覚えたいから。

 愛梨を守ることだけが、僕の目標。それを忘れるつもりはない。


 ケガが落ち着いた頃、僕は愛梨に決意を話すことに決めた。

 彼女の家に向かっていって、愛梨の部屋で。


「優馬君。何かあったの? 顔がいつもと違うよ?」


 やはり、愛梨には気づかれてしまうみたいだ。

 僕が分かりやすいのか、ずっと一緒にいたからなのか。わからないけど、愛梨に理解してもらえることは嬉しい。

 一度深呼吸をして、ゆっくりと話し始める。


「ねえ、愛梨。スタンピードがあって、愛梨も危ない目にあったよね。だから、僕はダンジョンに挑もうと思うんだ。攻略すれば、この災害は終わるかもしれないから」


「優馬君がやるべきことなの? 私は大丈夫だよ。少しくらいは、強くなるから。ビビリな優馬君には、向いてないと思うよ」


 僕が臆病であることは、とてもじゃないけど否定できない。

 本音のところでは、誰かに勝手に解決してほしい。

 でも、スタンピードのせいで愛梨が死にかけていたから。僕が居なかったら、きっと犠牲になっていたから。

 黙って見ていることなんてできない。ただの他人が死ぬだけなら、別にどうでも良かったんだけど。


「ありがとう、心配してくれて。僕は何があっても死んだりしない。絶対に、愛梨の所に帰ってくるから」


「約束だよ。優馬君が死んだら、私も死ぬからね。だから、無茶はしないこと!」


「もちろんだよ。愛梨が生きていてくれないなら、何の意味もないんだから」


「じゃあ、待っているから。終わったら、私から言いたいことがあるんだ。優馬君だけに、言いたいことが」


 それってもしかして。

 なら、絶対に死んでなんかいられないよ。僕だって、愛梨に言いたいことがある。

 大好きだって。ずっと一緒にいてほしいって。

 愛梨の為なら、体の奥底から力が湧いてくるくらいには。


「分かった。愛梨、またスタンピードがあったら、絶対に逃げてね。僕が居るとは限らないから」


「一緒なら、優馬君が守ってくれるからね。安心して。優馬君のためにも、必ず生きてみせるから」


 僕達は指切りをして、それから僕は家に帰っていった。

 さあ、まずはEランクダンジョンからだ。急がないといけないけど、焦りは禁物。

 一歩一歩、確実に足を進めていこう。愛梨との日常を、また過ごすためにも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る