第1章 マジックアワー

第1話

 あたし白水しろうずなぎは、運命の出逢いなんてものについて、歯の浮くような妄想はおろか、自分に関わるものとして考えたことすらなかった。もし仮にその実在性を問われたら、少なくとも自分の人生には存在せず、他人のそれも一時の錯覚さっかくだと、熟考じゅっこうするまでもなくそう答えていただろう。

 けれど今、あまりに非凡ひぼんな輝きを目の前にして、心のどこかで待ち望んでいたのだと思い知らされた。

 ぬるく老いていくだけの人生を壊す、痛いほどに眩しい人を。こんなふうに、こんな人に出逢う瞬間を。


「ごめんね。困らせちゃった」


 不意に意識を晴らした声。途端に現実に引き戻された今、目の前の彼女は泣き止んでいる。

 

 やばい。綺麗だなんて、恥ずかしいことを口走ってしまった。初対面の先輩に対して、第一に容姿に言及してしまうなんて。本心から出た言葉だからこそ、しんせまるキモさがあっただろう。


 「い、いえ! 大丈夫です! こちらこそ、ごめんなさい! 急に変なこと言って」


 「謝らないで。 素直に嬉しかったよ」


 ほんのり赤くなった目元に、柔らかい笑みをたたえてそう言った。

 あぁ、素敵すぎる。


 「見学だよね。とりあえず座ろうか」


 お互いひとつ息を整えて、うながされるがままに、教室で使っているのと同じ机を二つ向かい合わせた。


 「ごめんね、手伝わせて。まさか見学者が来るとは思わず・・・・・・準備をおこたった」


「こちらこそ、急に押しかけてすみません。あたしは大丈夫ですから気になさらないでください」


 初対面でこの距離で顔を突き合わせるのは少々気まずい。恥ずかしい。普段からパーソナルスペースは広い方だけれど、今はなにか、それをおかされる不快感とは違う感覚がある。


「ふふ、緊張してるね。 私もしてる」


 そう、緊張しているのだ。目の前の人の顔をまともに直視できない。それを見抜かれていることが何より恥ずかしい。


「じゃあ、まずは自己紹介から。私の名前は一色雫いしきしずく。一つの色に、水の雫。3年生」


「はい。ええと、白水凪といいます。白い水に凪です」


「綺麗な名前だね。よく似合ってる」


「ありがとうございます! 一色さ・・・・・・一色先輩も、とっても綺麗な名前ですね」


「ふふ、ありがとう。好きなように呼んでいいからね」


「あ、はい! じゃあ一色先輩、で」


「よし。じゃあ凪ちゃん、活動内容とか知りたいことがたくさんあるだろうけど、何から話そうか」


 いや、もう正直、部活のことはどうでもいい。

 まずは一色先輩のことを知りたい。

 あんな姿を見せられて、いまのあたしは後輩らしい謙虚けんきょな振る舞いもできないし、正気ではない。


「一色先輩。その、もし良ければなんですけど」


「なに?」


「さっきはどうして——」

「それは後で話そう」


 言い終わる前に釘を刺されてしまった。

 もちろん一色先輩にしてみれば下手に追求されたくないのは承知していたけれど、返答の鋭さに驚いてしまった。


「あぁ、怒ってはいないよ。至極当然しごくとうぜんの疑問だし、私が原因なのだから。ただ、そのことについては順を追って、誤解なきように伝えたい」


「あ、はい。わかりました。待ちます・・・・・・」


「ありがとう。凪ちゃんは優しいね。正直、いま私はかなり緊張しているし、身体も落ち着かないしで・・・・・・変な顔してたりしないかな?」


「いえ! 問題なく美しいお顔で!」


 あっ、やばいやばいやばい!

 なにを言っている?

 あたしこそ、見るにたえない酷い表情をしているのではないか。それをたずねる勇気なんてないけれど。


「ふふ、それならよかった。ああ、話を本題に戻そうか。じゃあ、基本的な情報から」


 先輩はホワイトボードの前に立ち、ペンを走らせた。イメージ通りと言うべきか、字が上手い。


「まずは凪ちゃん、人間研究会へようこそ! 我が部では、哲学・倫理学を中心に人文じんぶん的観点から人間という生き物を見つめ、自己形成や自己実現のかてにすることを主な活動にしています・・・・・・というのが、学校に提出する紙に書いている活動内容ね」


「つまり、建前の?」


「そう。まあ言っちゃえば嘘だね」


「なるほど。実際のところは?」


「実際には、宿題したり本読んだりゲームしたり。家にいるのと変わらないね」


「ゲームですか? スマホの?」


「もちろん。せっかく使えるんだから、ね」


 そう。我が校は公立にしては珍しく通信環境が整っており、インターネットやアプリを使った学習が推奨すいしょうされている。生徒の自主性を重んじる校風が後押しして、休み時間や放課後のスマホ利用も制限されていない。

 しかし、自主性に任せることは裏を返せば自己責任主義である。スマホゲームは禁止されていないけれど、成績悪化という形で損をしますよ。言いたいことは分かるよな? という無言の圧力が、学校側から生徒にかけられている。


「さすがに先生方の前ではできないからね。でもここならできるから」


「質問いいですか?」


「もちろん。どうぞ」


「活動内容を偽ってるのはわかったんですけど、実際に成果がないのに存続させてもらえるものなんですか?」


 いくら放任主義の我が校といえど、実態としてなにも成果の見えない部活に部屋を与えられるものだろうか。


「いい質問だね。成果、あります」


 一色先輩は得意げに机から一冊の本を取り出した。


 『第八十期文化祭 人間研究会文集』


 妙に色褪いろあせていて見づらいけれど、ホワイトボードと同じ字で、表紙にタイトルが載っていた。


「これが成果物。この薄い一冊で、我が部は一年間の活動を許されている」


 なるほど。文集なら、この部の建前にも矛盾しない。それっぽい口実としてぴったりだ。


「これは去年のもので、もちろん今年もこれを作る。文化祭は5月17日と18日。原稿の締切は5月10日。だから、あと一ヶ月弱で書き上げる」


 去年のものを開いて、目次を眺める。

 詩が三つ、文化祭についての考えを述べたエッセイが一つ、ラブレターが一つ・・・・・・


「ラブレター?!」


「ああ、それは全校生徒に公募こうぼをかけて寄稿きこうしてもらったやつだよ。数年前からの恒例でね、盛り上がるし、これがあるから皆んな手にとってくれて、成果として扱ってもらえるわけだね」


 すごい、青春の原液を飲まされている気分だ。ドキドキするような愛の言葉の羅列られつが・・・・・・刺激的だ。

 

「凪ちゃんが入部するなら、文集の制作もお願いすることになるよ。内容はなんでもいいからね。ラブレターの著者をやってもいいし」


 だいたい理解した。

 良い。やってみたい。

 なにより、一色先輩と活動してみたい。


「は、はい! 入ります! やります!ラブレターは書きません!」


「ふふ。じゃあ凪ちゃん、これからよろしく」


「はい! よろしくお願いします」


 一色先輩はそっとあたしの手をとって、力強く握手をした。

 突然に触れられて少しびっくりしてしまったけれど、早まった心臓の音が、新しい生活の喜びを予感させた。


「あ、良いアイデアが降ってきた。凪ちゃん、合作をやろう。凪ちゃんと、ひとつの物語をつくりたい」


 突飛とっぴで、予想外で、無計画。

 だけれど確かに胸が高鳴る。

 平凡で無風だった意識が塗り替えられていく。

 あたしはこれを、運命と呼びたい。



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