　そして月（げつ）末（まつ）、お母さんたちの高校では学園祭が始（はじ）まった。一日目（いちにちめ）の土曜日は体育祭で、これも楽（たの）しみにしている生徒や、外部（がいぶ）からの観客（ギャラリー）は居（い）る。今年（ことし）は運動部を中心（ちゅうしん）とした生徒たちがチームを組（く）んで、ダンス大会（たいかい）で競（きそ）い合（あ）うのが一日目（いちにちめ）の花形（はながた）イベントだった。

　しかし学園祭は毎年（まいとし）、二日目（ふつかめ）に行（おこな）われる文化祭が最（もっと）も盛（も）り上（あ）がりを見（み）せている。この高校は女子（じょし）の人数（にんずう）が多（おお）くて、文化祭の終盤（しゅうばん）は生徒たちがガールズバンドを組（く）んで行（おこな）うライブで締（し）め括（くく）られるのが常（つね）だ。軽音楽部（けいおんがくぶ）に限（かぎ）らず、事前（じぜん）に申請（しんせい）していれば誰（だれ）でもステージに上（あ）がって歌（うた）うことができる。

　とは言（い）え学校は、部活（ぶかつ）をしていない生徒へ、楽器（がっき）を貸（か）してはくれない。髪を染めたお母さんは楽器も、ライブに必要な機材（きざい）も持（も）ってなくて、だから黒髪のお母さんから『どうせ挫折（ざせつ）するでしょ』などと言（い）われていたのだけれど。

「今日（きょう）の文化祭、ステージで歌（うた）うわよー。私たちのバンドは出番（でばん）が最後（さいご）だから絶対（ぜったい）、観（み）に来（き）てよね。貴女の曲（きょく）に、いい感（かん）じで詩（し）を付（つ）けられたから聴（き）いて欲（ほ）しいわ」

「何（なん）でよぉぉぉ！　普通（ふつう）、そんなに上手（うま）く行（い）かないでしょう！？」

　校内（こうない）で、にこやかに『歌（うた）うわよー』と、髪を染めたお母さんが宣言（せんげん）していて。それに対（たい）して黒髪のお母さんが、素晴（すば）らしい叫（さけ）びで突（つ）っ込（こ）んでいた。ちなみに二人（ふたり）が居（い）るのは図書室（としょしつ）だ。普（ふ）段（だん）の教室（きょうしつ）は何処（どこ）もクラスの出（だ）し物（もの）である、お化（ば）け屋敷（やしき）イベントなどで使（つか）われていて、学園祭の間（あいだ）は利用（りよう）されない図書室で休憩（きゅうけい）する生徒は多（おお）いのだった。

「どうやってバンドのメンバーを集（あつ）めたのよ！？　この学校で楽器を演奏（えんそう）できる子（こ）は部活（ぶかつ）に入（はい）ってて、部員（ぶいん）同士（どうし）でバンドを組（く）むケースが殆（ほとん）どでしょ！」

「うん、だから他校（たこう）の生徒に頼（たの）んだの。他（ほか）の高校は私たちと文化祭の日（ひ）が被（かぶ）ってないから、そっちの部活（ぶかつ）で音楽をやってる子（こ）たちにね。友（とも）だちが多（おお）いからさ、私」

　多（おお）いのは友（とも）だちというより、彼（・）女（・）ち（・）ゃ（・）ん（・）なのだろう。どれだけのネットワークなのだろうか。

「……他校の生徒を、私たちの学園祭に出演（しゅつえん）させていいの？」

「細（こま）かい規則（きそく）は知（し）らないけど、許可（きょか）は下（お）りたから良（い）いんじゃない？　大学（だいがく）の学園祭は、外部（がいぶ）からバンドのメンバーを募集（ぼしゅう）してライブをやるのも珍（めずら）しくないみたいだし。それに楽器や機材、そして練習（れんしゅう）スタジオまで手配（てはい）してくれた子（こ）も居（い）るのよ。紹介（しょうかい）するわね」

　そう言って、髪を染めたお母さんが、後方（こうほう）にいた女子の手（て）を引（ひ）いてくる。黒髪のお母さんが息（いき）を呑（の）んで、その子（こ）に問（と）いかけた。

「貴女……一年生（いちねんせい）の、有名（ゆうめい）な子（こ）よね。確（たし）か、高校（ここ）の……」

「はい、学（がく）園長（えんちょう）の娘（むすめ）です。初（はじ）めまして。お（・）姉（・）さ（・）ま（・）には、とても良（よ）くしてもらっています」

　図書室には、お母さんたちのクラスメートもいて休憩（きゅうけい）している。周囲（しゅうい）からは『おぉ……』、『この子が学園長の娘……』、『プラチナカードとか持（も）ってるのかしら……』などとザワツキが起（お）こっていた。十八才未満（みまん）でクレジットカードは作（つく）れないはずだと私は思うけれど、学園長の娘（むすめ）さんがポケットマネーを多（おお）く持（も）っているのは間違（まちが）いなかった。

「じゃ、私、バンドの打（う）ち合（あ）わせがあるから。ステージ、絶対（ぜったい）に観（み）てよね！」

　髪を染めたお母さんが、黒髪のお母さんに図書室のドア前（まえ）で勢（いきお）いよく手（て）を振（ふ）って、慌（あわ）ただしく出（で）ていく。嵐（あらし）のような女子（じょし）高生（こうせい）だった。

「素敵（すてき）ですわ、お姉（ねえ）さま。後（うし）ろ姿（すがた）も、また可憐（かれん）で」

「ねぇ、アレの何処（どこ）が、そんなに良（い）いの？　都合（つごう）よく利用（りよう）されてるんじゃないの貴女？」

　取（と）り残（のこ）された形（かたち）の、学園長の娘さんに、黒髪のお母さんが話（はな）しかける。髪を染めたお母さんは校内（こうない）にも校外（こうがい）にもファンが多（おお）いのだけど、周囲（しゅうい）の人間を振（ふ）り回（まわ）すのが常（つね）で、クラスメートからの評判（ひょうばん）は最悪（さいあく）なのだった。

「ええ、利用されていると言（い）うなら、そうなのでしょうね。でも、それはお互（たが）いさまなのですよ。芸術家（アーティスト）と支援者（パトロン）の関係（かんけい）というのは、そういうものなのです」

「そんな、中世（ちゅうせい）の天才（てんさい）画家（がか）と貴族（きぞく）じゃあるまいし。何（なに）？　彼女の歌（うた）は、そんなに凄（すご）いの？」

「逆（ぎゃく）に伺（うかが）いますが、貴女はお姉さまの歌（うた）を聴（き）いたことがないのですか？　音楽の授業（じゅぎょう）で一（いっ）緒（しょ）のはずでは？」

　不思議（ふしぎ）そうに、学園長の娘さんが、黒髪のお母さんへ尋（たず）ねてくる。

「彼女、授業（じゅぎょう）をマジメに受（う）けないもの。歌（うた）なんか聴（き）いたことないわよ」

「ああ、道理（どうり）で。素晴（すば）らしいですよ、お姉さまの歌は。耳元（みみもと）で囁（ささや）かれるように歌（うた）われた時（とき）は、脳（のう）の奥（おく）から甘（あま）い痺（しび）れを感（かん）じました」

「何（なに）をやってるのよ、アイツは。一年生（いちねんせい）の女子（じょし）に対（たい）して」

　学園長の娘さんはウットリしている。黒髪のお母さんは、状況（じょうきょう）を思（おも）い浮（う）かべてゲンナリしていた。そんな二人（ふたり）の会話（かいわ）に、図書室（としょしつ）にいた黒髪のお母さんのクラスメートが割（わ）り込（こ）んでくる。

「でもアイツ、カラオケで一緒（いっしょ）に歌（うた）ったことあるけど、確（たし）かに上手（うま）いよ。アイツの歌唱力（かしょうりょく）を知（し）ってる子（こ）は多（おお）いんじゃないかな。そりゃ他校（たこう）でも、一緒（いっしょ）にバンドを組（く）みたがる子（こ）は出（で）てくるわ」

「ふーん、そう。大（たい）した人気者（にんきもの）よね、陰（いん）キャの私とは大違（おおちが）いじゃない。大勢（おおぜい）の女子（じょし）から好（す）かれてて、歌（うた）の才能（さいのう）もあるんでしょう？　なら、陽（よう）キャの女子（じょし）でも、ここにいる可愛（かわい）らしい一（いち）年（ねん）生（せい）の子（こ）でも相手（あいて）は選（えら）び放題（ほうだい）じゃないの……何（なん）で、彼女は私に、『恋人（こいびと）になって』なんて言（い）ってくるのよ……」

　黒髪のお母さんが、そう言（い）う。言葉（ことば）の後半（こうはん）は、呟（つぶや）くような、小（ちい）さな声音（こわね）になっていた。

「いやぁ、アイツに歌の才能があるって言うけどさ。それを言うなら、アンタだって作曲（さっきょく）の才（さい）能（のう）があるじゃん。気（き）づいてないみたいだけど、ネットで自作（じさく）曲（きょく）を出（だ）す時（とき）のハンドルネーム、アンタだって皆（みんな）にバレてるよ？　ハンドルネームが本名（ほんみょう）に近（ちか）すぎだから」

　言（い）われた黒髪のお母さんは絶句（ぜっく）して。別（べつ）のクラスメートが、更（さら）に追（お）い打（う）ちをかける。

「それにボーカロイドで歌（うた）わせてる、歌詞（かし）の内容（ないよう）もねぇ。『クラスに問題児（もんだいじ）がいて、その子（こ）のことが好（す）きで遠（とお）くから見（み）てる』とか、そういうラブソングばかりでしょ。貴女が、あ（・）の（・）女（・）を好（す）きってことが丸（まる）分（わ）かりなのよ。歌（うた）われてる当人（とうにん）も気（き）づいてるんじゃないかな。あんなに一杯（いっぱい）、好（す）き好（す）きラブソングを発表（はっぴょう）され続（つづ）けたら、向（む）こうも貴女を意識（いしき）するようになるんじゃないの」

　真（ま）っ赤（か）になっていく黒髪のお母さんである。そんなお母さんに、学園長の娘さんが提案（ていあん）する。

「どうでしょう。貴女が要（い）らないようでしたら、私がお姉さまの恋人（こいびと）になりますが」

「はぁ！？　嫌（いや）よ！　絶対（ぜったい）に嫌（いや）！」

　本音（ほんね）を隠（かく）せなくなった黒髪のお母さんが、そう言（い）う。『青春（せいしゅん）だなぁ』と、お母さんのクラスメートたちは微笑（ほほえ）んでいる。同様（どうよう）に微笑（ほほえ）んでいる、お母さんより年上（としうえ）なんじゃないかというくらい落（お）ち着（つ）いた、学園長の娘さんは言葉（ことば）を続（つづ）けた。

「そうですか。では、これから始（はじ）まるお姉さまのステージをどうか観（み）てあげてください。私も金（きん）銭（せん）面（めん）で援助（えんじょ）させて頂（いただ）いて、貴女の曲を音にするのはバンドのメンバーに頼（たよ）っていましたが、それを差（さ）し引（ひ）いてもお姉さまの努力（どりょく）は相当（そうとう）なものでしたよ。ステージで歌（うた）うのは二曲（にきょく）ですが、お姉さまはその二曲（にきょく）に作詞（さくし）して、それからバンドと合（あ）わせる練習（れんしゅう）をしたのです。三週間（さんしゅうかん）以内（いない）という短期間（たんきかん）でですよ？　それが、どれほど大（たい）変（へん）なことかは想像（そうぞう）がつくでしょう？」

　黒髪のお母さんが黙（だま）り込（こ）む。そのお母さんに、クラスメートたちが話（はな）しかけた。

「そうだねぇ。アイツ、ろくでもなくて複数（ふくすう）の彼（・）女（・）ち（・）ゃ（・）ん（・）持（も）ちだけど。でも、アイツが特定（とくてい）の誰（だれ）かのために、こんなに頑張（がんば）ったのは初（はじ）めてじゃないかな。アイツにそんな努力（どりょく）をさせたのは、アンタだけだよ。もっと自信（じしん）を持（も）てば良（よ）くね？」

「とりあえずステージを観（み）てみようよ。あのバカが何（なに）を考（かんが）えてるか分（わ）かるかもだし。アイツを受（う）け入（い）れるか、それともタコ殴（なぐ）りにするかは、その後（あと）で決（き）めれば？」

　いつの時代（じだい）も、女子高生は他人（たにん）の恋愛（れんあい）事情（じじょう）が大好物（だいこうぶつ）だ。囃（はや）し立（た）てられているような状況（じょうきょう）で、「あぁ、もう！　分（わ）かったわよ、観（み）に行（い）くわよ！」と黒髪のお母さんがキレ気味（ぎみ）に返答（へんとう）して。いつまでも図書室（としょしつ）で休憩（きゅうけい）していたら教師（きょうし）から怒（おこ）られるので、彼女たちは退室（たいしつ）していくのであった。