「という訳（わけ）で、貴女に直接（ちょくせつ）、尋（たず）ねてみるわ。どうやったら私の彼女になってくれる？」

「……頭（あたま）おかしいんじゃないの、貴女」

　翌日（よくじつ）の昼（ひる）休（やす）み、軽薄（けいはく）なお母さんは、図書室にいた黒髪（くろかみ）のお母さんを見（み）つけて隣（となり）の席（せき）に座（すわ）っていた。会話（かいわ）は小声（こごえ）で、そうすれば図書室からは追（お）い出（だ）されないと計算している辺（あた）り、髪を染（そ）めたお母さんは中々（なかなか）に小賢（こざか）しい。

　黒髪のお母さんは、席を変（か）わる気（き）はないようで、ため息（いき）をつきながらも小声（こごえ）の会話に付（つ）き合（あ）っている。ただ逃亡（とうぼう）を諦（あきら）めているだけにも見えるが、私には分（わ）かる。黒髪のお母さんは、そこまで相手（あいて）を（つまり、しつこく追（お）いかけてくる方（ほう）のお母さんを）嫌（きら）っている訳（わけ）ではないのだ。むしろ、気持（きも）ちは、その逆（ぎゃく）であると私は良（よ）く知っていた。

「別（べつ）に難（むずか）しい話（はなし）じゃないでしょ？　貴女、私のことを嫌（きら）ってないもの。そして貴女には今、特定の相手はいない。なら私と付（つ）き合（あ）ってくれてもいいじゃない」

　髪を染めたお母さんも、野生（やせい）の勘（かん）で（だろうか？）、自身（じしん）への好意（こうい）を見抜（みぬ）いているのだから侮（あなど）れない。この野（や）性（せい）的（てき）なお母さんは理屈（りくつ）を省略（しょうりゃく）して、肝心（かんじん）の結論（けつろん）を手（て）に入（い）れることが多（おお）い。『だって貴女、私のことを好きなんでしょ？』という直観（ちょっかん）だけがあって、この場合、その考（かんが）えは当（あ）たっているのだった。

　黒髪のお母さんは、頬（ほほ）を紅潮（こうちょう）させて何（なに）も言わない。これは半（なか）ば、好意を自白（じはく）したようなもので、不器用（ぶきよう）な性格なのだなぁと私は思う。黒髪のお母さんが黙（だま）っているので、野性的なお母さんは小声での話（はなし）を続けた。

「貴女が、私と恋人になってくれない理由は何（なに）？　私に複数（ふくすう）の彼（・）女（・）ち（・）ゃ（・）ん（・）がいるから？　それとも恥（は）ずかしいから？　恥（は）ずかしさを感（かん）じているとしたら、それは誰（だれ）に、何（なに）に対（たい）して？　両（りょう）親（しん）や学校？　それとも社会（しゃかい）全体（ぜんたい）？」

　野性的なお母さんは、何（なに）も考（かんが）えてないように見えるが、そんなこともなかった。同性が付（つ）き合（あ）うことを好（この）ましく思わない人は、常（つね）に一（いっ）定（てい）数（すう）がいる。少数派（マイノリティ）は迫（はく）害（がい）されることも珍（めずら）しくなくて、この髪を染めたお母さんが野性（やせい）の勘（かん）を身（み）に付（つ）けたのは、厳（きび）しい社会で生（い）き延（の）びるための必（ひつ）然（ぜん）だったのかもしれない。

「……とりあえず、貴女が複数（ふくすう）の恋人を持（も）ってて、その状態で私にアプローチしてくるのが嫌（いや）」

「あー、具体的（ぐたいてき）に拒絶（きょぜつ）の理由を教（おし）えてくれたわね。嬉（うれ）しいなぁ」

　少（すこ）し、事態（じたい）が前進（ぜんしん）した。前進（ぜんしん）したのだろうか？　前（まえ）に進（すす）んだというより、もっと二人（ふたり）の仲（なか）が険悪（けんあく）になっただけのように見（み）えた。髪を染めたお母さんは能天気（のうてんき）に喜（よろこ）んでいて、黒髪のお母さんは律儀（りちぎ）に小声での回答を続けてくれる。

「……それに貴女が言った通（とお）り、恥（は）ずかしいからよ。色々（いろいろ）な意味でね。私は同性のパートナーを世間（せけん）に喧伝（けんでん）する趣味（しゅみ）は無（な）いの。そうしたいと思ってる人を否定（ひてい）はしないけど、私は世間（せけん）から否定（ひてい）されることが怖（こわ）い。目立（めだ）ちたくない、暗（くら）い性格（せいかく）のつ（・）ま（・）ら（・）な（・）い（・）女子（じょし）が私なのよ」

「じゃあ、何（なに）？　いつまでも世間（せけん）を気（き）にして、恋人（こいびと）を作（つく）らないまま一生（いっしょう）を終（お）えるつもり？　本（ほん）当（とう）に結（むす）ばれたい相手（あいて）との関係を諦（あきら）めて、ウジウジしてるのが貴女の幸（しあわ）せ？」

「嫌（いや）な言（い）い方（かた）をしないで。貴女、目立（めだ）ちすぎるのよ。髪を染めて、簡単（かんたん）に複数（ふくすう）の女の子と仲（なか）良（よ）くなってて。そんな人が教室で、私を晒（さら）し者（もの）にするみたいに『愛（あい）してるー』なんて軽（かる）ーい口（く）調（ちょう）で語（ご）尾（び）を伸（の）ばしながら言ってくる。目立（めだ）って目立（めだ）って、たまらないわ」

　黒髪のお母さんが、軽（かる）いお母さんを睨（にら）みつける。髪を染めた方（ほう）のお母さんはニコニコしていて、黒髪のお母さんは目を逸（そ）らして俯（うつむ）いた。机（つくえ）の上（うえ）の教科書に視線を向（む）けているけれど、顔が赤くなっていて、黒髪のお母さんは勉強ど（・）こ（・）ろ（・）じゃないようだ。

「うん、ごめんね。貴女が目立（めだ）つのを嫌（きら）ってて、私の行為（こうい）が貴女に迷惑（めいわく）をかけているのは分（わ）かったわ。貴女が恥（は）ずかしがり屋（や）で、私のことを好（す）きなのも良（よ）ぉく分（わ）かった」

　髪を染めたお母さんは納得（なっとく）顔（がお）だ。黒髪のお母さんは、茹（ゆ）でダコみたいになっている。黒髪のお母さんは黙（だま）っていて、髪を染めたお母さんは話を続（つづ）けた。

「でもね、私は黙（だま）りたくない。誰（だれ）かを愛（あい）してるのなら、その愛（あい）は伝（つた）えるべきよ。世間（せけん）の都合（つごう）に合（あ）わせて、大人（おとな）しく黙（だま）ったままで居（い）たら、いつまでも同性（わたし）愛者（たち）の存在は無視（むし）され続（つづ）けるわ。だから私は、軽（かる）ーく声（こえ）に出（だ）して愛（あい）を伝（つた）え続（つづ）けるのよ。その結果（けっか）、ちょっと彼（・）女（・）ち（・）ゃ（・）ん（・）が増（ふ）えちゃったけど」

「……簡単（かんたん）に増（ふ）やし過（す）ぎなのよ。乾燥（かんそう）ワカメじゃあるまいし」

「あはは！　その表現（ひょうげん）、面白（おもしろ）いなぁ！」

　乾燥（かんそう）ワカメは、水（みず）で戻（もど）すと十二倍（じゅうにばい）に増（ふ）えるそうだ。私は料理（りょうり）の経験（けいけん）がないから、ちょっと良（よ）く分（わ）からない。髪を染めたお母さんが大声（おおごえ）で笑って、その結果、二人のお母さんは図書室から一緒（いっしょ）に仲良（なかよ）く追（お）い出（だ）された。