第16話 声

「話は変わりますが、透花様。あまり顔色が優れないように見えますけど……何か、嫌なことでもありましたか?」

「え?」

「気分というよりも、機嫌が優れないように思えます」


 透花様がここに来てから、私がずっと感じていたことだ。

 今の彼女はとても気疲れしているように見えるし、以前ここで顔を合わせた時のような元気はない。機嫌や気分が優れていないのは、彼女を知る者なら誰でもすぐに気づくことができるだろう。

 私の問いを受けた透花様は動揺した様子になった後、チラ、と傍に控える弥生さんに目を向けた。従者の前で弱音や愚痴を吐くわけにはいかない、と内心で思っているのが良くわかる。けれども、内に蓄積させた鬱憤を聞いて貰いたい、という願望も垣間見えた。

 どうしようかと透花様が迷いを見せていると、すぐに察した弥生さんが彼女に言った。


「お嬢様。新しい茶葉を持って参りますので、三十分ほど外させていただきます」

「へ? でも、お茶ならまだ──」

「失礼致します」


 ティーポットを持ち上げた透花様の疑問を最後まで聞くことなく、弥生さんはそそくさとその場を後にした。

 流石は透花様の従者。察しの良さは折り紙付きらしい。

 小さくなっていく弥生さんの背中を見つめながらそんなことを思っていると、


「……気が利くんだから」


 苦笑しつつも嬉しそうに呟いた透花様が笑い、次いで、彼女は頬杖をついて疲労している原因について語った。


「ちょっと……婚約の件で頭を痛めているんですよね」

「やっぱり」

「もしかして、予想ついていました?」


 推測通りの解答に、私は首を縦に振った。


「何となく、ではありますけどね。婚約の件は以前に聞いていましたし、それに……あの男性だと、色々と苦労しそうだな、と」

「? お会いになったことが?」

「丁度昨日、薬師院大志様がうちの事務所に依頼をしに来られたんです。ふざけた依頼内容だった上に、非常にこちらの気分を害されたので、丁重にお断りしましたけど」


 思い出すだけで腹が立った。

 典型的な悪い権力者。許されるのならば、あの鼻頭に拳を一発お見舞いしてやりたいところ。貴族に手を上げれば大問題になるので、本当にすることはないけれど。


「あぁ……」


 私の報告を聞き、透花様は額に手を当て落胆の表情を浮かべた。


「ご迷惑をおかけしたみたいですね……具体的には、何と?」

「そうですね……」


 一瞬、私の脳裏には守秘義務という単語が過った。しかし実際に依頼を引き受けたわけではなく、更には婚約者である透花様に話すことは何の問題もないと判断し、私は昨日の大志とのやりとりを彼女に話した。


「不気味なものを透花様の傍に置いておけないからと、その魔骨を破壊するようお願いを受けましたね。法に触れるつもりはないと断ったところ、権力に逆らうと痛い目を見るぞと脅迫を受けました」

「きょ──何か大変なことをされませんでしたか? 暴力を受けたとか……」

「特には何も。私には史輝がいますから、余程の心配はありませんよ」

「よかった……」


 胸に手を当て安堵の息を零す透花様から視線を外し、私は背後にいる史輝に目を向けた。

 大変なことをしたのは、寧ろこちらのほうだろう。特権階級たる貴族に白刃を向けたのだから。後悔する気持ちは一切ないけれど、大志は相当な恐怖を覚えていたように見える。世間に露見すれば『悪の探偵事務所! 子爵家に刃を向ける!」という見出しが新聞の一面に踊るかもしれない。笑えない冗談だ。

 そんな想像が現実にならないことを祈っていると、透花様がその場で頭を下げた。


「申し訳ありません。大志さんは、その……少しばかり、権力や地位を特別視しているところがありまして」

「あれを少しと言うには無理があると思いますが……頭を上げてください。透花様は何も悪くないんですから。それよりも──」

 

 透花様の本心を聞きたい。

 そう思い、私はは躊躇いを捨てて彼女の本音を尋ねた。


「透花様は──薬師院大志様との婚約を、どう思っておられるのですか?」

「……」


 その問いに、透花様は口を噤んだ。

 すぐに答えることができないのは当然だ。結婚が決まり、婚約まで進んでいる相手のこと。好意を持っていないとしても、それを言葉にするのは良くないことだ。

 ただ、口を噤むことが透花様の心を疲弊させるのだとしたら、関係者のいない今くらい本心を明かしてもいいはずだ。少なくとも即座に肯定的な言葉が出ない時点で大志との婚約を望んでいないことは伝わる。

 数秒の沈黙が過ぎた後、透花様はティーポットに入っていた紅茶をカップに注ぎ、それを一口飲んだ後、


「……嫌ですよ」


 小さな声で、本心を零した。


「私には心の底から愛していた……今も愛している人がいます。その人を差し置いて、他の男性と結婚するなんて、嫌です」

「なら、どうして彼との婚約に同意したのですか?」

「それは……」


 透花様はバツが悪そうな顔を作る。

 貴族と言えども、選択権は与えられているはず。婚約の確定はあくまでも本人の同意がなければ成立しない。必然的に、透花様は大志との婚約に同意したことがわかる。嫌ならば断わればいいのに、何故?

 回答と待ち続けると、透花様はやがて諦めにも似た声音で答えた。


「落ち着いた今になっては、後悔しています。でも、婚約の同意は……私が自棄になっている時に、半ばやけくそになってしたものなので、今更取り消すなんてことは──」

「自棄?」

「えぇ」


 心が乱れているのか、落ち着きを求めるように透花様は再び紅茶を啜った。


「三年前まで、私には別の婚約者がいたんです」

「!」


 それは、もしかして。

 弥生さんが呟いていた人物の名前を思い浮かべるが、それを口にすることはなく、私は透花様が語る話の続きに耳を傾けた。


「彼は……明臣さんは、私の幼馴染だったんです。竜宮閣伯爵家とは深い繋がりがあって、家の者は皆仲が良かった。一つ年上の明臣さんは、初めて会う私に優しく接してくれて、幼い私が彼を好きになるのに時間は必要ありませんでした。優しく、頼りになり、心の底から私を愛してくれる、とても素敵な御方」


 悲哀と懐かしさが混ざった表情と声音。それを見れば、聞けば、透花様がその人物──明臣という元婚約者を心から愛していたことがよくわかる。

 否、愛していたではない。今も尚、彼女は愛し続けている。その人物と結ばれることが、透花様にとって一番の幸福であることは、赤の他人である私にも理解できた。

 だが現実として、透花様は幸福を約束された道を選ばず、不幸が待ち受ける道を選択している。

 その理由は、態々聞かずともわかった。


「その方──明臣さんは、もう……」

「……はい」


 頷き、心痛と寂しさを感じさせる表情で、透花様はカップを持つ両手に力を込めた。


「明臣さんは……三年前の鬼辰戦争に出兵していたんです。そこで……戦死しました」


 最後は、喉奥から絞り出すような声だった。

 鬼辰きしん戦争。三年前に勃発した、新政府の樹立に異を唱えた旧幕府の残党たちが反旗を翻した、革命最後の戦いである。新政府は敵勢力の鎮圧に多くの兵士を投入し、圧倒的な数の暴力で終始優位に立ち勝利を収めた。しかし、投入された若い兵士全体の一割が命を落とすという、決して無傷とは言えない結果であった。

 貴族は軍人になることが多く、透花様の婚約者が出兵していたことに驚きはない。だが、鬼辰戦争という単語を聞いた時、私は反射的に背後の史輝へ意識を向けた。

 重要な歴史として後世に語り継がれるであろう、鬼辰戦争。その史実の中で、最も有名とされているのは──。


「明臣さんは、黒龍隊の討伐部隊ではありませんよ」

「……私は何も言っていませんよ?」


 返すと、透花は笑った。


「言わなくてもわかりますよ。黒龍隊は鬼辰戦争で一番有名な話ですからね。彼の隊を討伐する部隊は、一番犠牲者の数が多かった。実際、当たりでしょう?」

「さぁ、どうでしょうね」


 曖昧にしつつ、私は焼き菓子を口の中に放り込んだ。


「黒龍隊……僅か二百人で新政府軍三千人を打ち破った、反乱軍最強の部隊。自軍の敗北を知った隊員は全員、山中で自刃。悲劇と呼ばれる少年たちの逸話は、実に心に残るものですね」

「随分と詳しいですね」

「私の父も軍人でしたから、色々と情報が入ってくるんですよ。それに、個人的に黒龍隊の話は興味がありましたから」

「……」


 私は透花様に気づかれないよう、背後の史輝に意識を向ける。

 黒龍隊という単語が出た時、多少の反応は示すと思ったのだけれど……反応しないよう、意識しているのかもしれない。

 声はかけないようにしよう。

 配慮し、私は脱線した話を元に戻した。


「戦争で婚約者の方を亡くされるとは……それで、自棄に」

「えぇ。明臣さんの死亡通知が来てからは、全てがどうでも良くなって……傷心の私は、父が持ってきた縁談を受けました。大志さんは、明臣さんの直属の部下だったそうで……少しでもあの人と関わりのある人ならば、誰でも良いと……」


 深い溜め息を吐き、透花様は視線を下に……カップの中の紅茶に落とした。


「明臣さんの右手で頬を撫でられるのが、凄く好きだった。大志さんが代わりになるわけないのに……どうして受けたんだろう、私」

「五百旗頭伯爵には、透花様の意思は伝えているのですか?」

「伝えていません。既に決まったことですし……何より、一週間後に婚姻の儀がありますから、今更嫌だとは……」

「一週間後?」


 透花様が口にした時期に、私は自分の記憶との齟齬を覚えた。


「一ヵ月後、というお話だったと思いますが?」

「実は、薬師院家からの要望で、早めることになったんです。私の我儘で引き延ばして頂いていたんですが、到頭。実家からの電話も、そのことについてでして──」


 カタン。

 不意に聞こえたその音に、その場の全員が動きを止めた。

 生活を送っていれば日常的に耳にする、物が動く音だ。テーブルの上には幾つもの物が乗っており、そんな音が鳴っても動きを止めるほどのことではない。

 けれども、私も透花様も、史輝も、止まらざるを得なかった。

 何故なら、その音を鳴らしたのは──鳥の形をした魔骨だったから。

 鳴り響いた音は、誰も触れていない魔骨が独りでに倒れたもの。風も吹いていない、大きな振動もない。普通なら、倒れるはずがない。

 なんで、倒れた?

 三人が全く同じ疑問を胸に抱きながら、倒れた魔骨に視線を向ける。

 すると──次の瞬間。


「──ッ!!?!?!?!」


 私の耳に、凄まじい轟音が伝わった。

 不協和音。とても綺麗とは言えない、醜い音。あまりの大きさに耳に痛みが走り、脳が衝撃を受けたように揺れる。三半規管も刺激されているのか、徐々に吐き気もこみ上げてきた。

 あまりの衝撃、轟音、不快感に座っていることができず、私は椅子から倒れその場に蹲る。視界が明滅し、徐々に意識が遠のいていくのを感じた。


「先生──ッ!!」

「音葉さん!!」


 焦った二人の声が聞こえ、身体に手が添えられる。

 が、それに反応を返す余裕は今の私にはない。この瞬間にも不快感が身体を駆け抜け、自分が今どんな姿勢で、何処にいるのか。そんな基本的な情報を認識することすらできなくなった。


「──ぁ」


 そして遂に、私の意識は闇の中へと消えることになる──その直前。


 ──透花、すまない。


 以前にも聞いた覚えのある、消え入りそうな小さな声が、私の鼓膜を確かに揺らした。

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