EX.僕とアルバイトとガーディアンエンジェル2

「ユート! この女の子誰!?」

「先生! この女の人ってもしかして……」


 個別指導塾の入ったビルの入り口で、僕は美咲と沢渡さんにずいっと詰め寄られていた。いや、正確には詰め寄ってきているのは美咲だけで、沢渡さんは一歩引いたところから僕と美咲を見つめている形なのだけれど。


 今まで美咲が僕のアルバイト終わりに迎えに来てくれることは何度かあった。たいてい友達と遊んでいて時間が遅くなったときか、逆に何も予定がなくて時間が空いていて、僕と会えない時間が寂しかった時とか、そういった時に美咲はこのビルに寄って来るのだ。


 逆に、沢渡さんがこうやって授業が終わってから僕のことを出待ちしているなんてことは初めてで、僕はそこに困惑していた。今までは授業が終わったら友達とお喋りをしている時はあったものの、こうやって特定の誰かを待っているといったそぶりは見せたことがなかったから、今日に限って何故こんなことをしているのか、その疑問は僕の中で当然のものだった。


「お疲れ様、美咲。沢渡さんは僕が塾で教えてる生徒だよ。……沢渡さんはなんでここに?」


 美咲に説明しつつ、沢渡さんの方を見る。美咲は当然のように僕の腕を自分の胸に抱いて、僕の隣に並んだ。


「いやぁ、先生が彼女いるって言ってたから、その彼女のことについて聞こうかなーって思ってたんだけど……聞くまでもなさそうな感じ? だね?」

「ユート? 塾の生徒ってそんなことまで話す関係なわけ? 授業だけしてるんじゃないの?」


 ニマニマと笑う沢渡さんと、僕の腕をギュッと力を込めて抱きしめる美咲。


 主に沢渡さんに対して、ちょっと勘弁してほしいな、なんて思いながら、僕は二人に「歩きながら話そうか。ここ入り口だし」と告げて歩き始めた。


 僕が歩き始めれば、僕の腕を胸に抱いている美咲も当然のように歩き始めるし、沢渡さんも僕たちの横に並ぶように歩き始めた。


 沢渡さんの家の方向なんて全く知らないけれど、何も言わずに僕たちについてくるということは、沢渡さんの家もこっちの方なのだろうか? 正直、全く家の方向が違うから帰りますね、みたいな展開になってくれた方が気が楽だったんだけれど、どうやらそういうわけにもいかないらしい。


「沢渡さんは、家こっちの方なの?」

「そうだよー。だから大丈夫!」


 笑顔で答えつつ、一歩こちらに近づいてくる沢渡さん。

 僕の期待した答えとは違ったけれど、どうやらそういうことらしい。


「ね、ね、ユート。あの子ちょっと距離感近くない?」


 そんな沢渡さんを見た美咲が、僕の耳に顔を近づけながら、囁くようにそう告げてきた。


 ふっと耳に息がかかって、少し背中がぞわりとする。


「うーん……沢渡さんはいつもあんな感じだけど、今日は確かにちょっと距離感近いかも」

「気を付けてよね、ユート」

「ねー、二人で何こそこそ話してるの? っていうか先生、こうやって一緒にいるんだから彼女さんのこと紹介してよ!」


 僕と美咲がひそひそとお互いに耳元で喋っていると、その様子を見た沢渡さんが僕と美咲の前に回り込んできた。


 確かに美咲には沢渡さんのことをサラッと紹介したけれど、美咲のことを沢渡さんに紹介していなかったなと思い返す。


「沢渡さん。彼女は僕が付き合っている佐藤美咲。今日塾で言ってた彼女だよ」

「……初めまして、佐藤美咲です。ユートのカ・ノ・ジョ! の佐藤美咲。逆に聞くけど、アンタはユートのなんなわけ?」


 美咲が胸に抱いている腕を、さらにギュッと抱きなおして、僕の方に頭を乗っける形でくっついてくる。全身で僕の彼女だということを沢渡さんにアピールしているようで、そのいじらしさとでもいうべきものがとても可愛い。


 美咲は別に沢渡さんを睨んでいるわけではないけれど、妙にのある表情で沢渡さんに視線を向けていた。


「私は沢渡里香って言います! 鈴木先生に勉強教えてもらってます! 高校三年生で、志望校は先生と同じところです! よろしくお願いします!」


 美咲に聞かれて、沢渡さんは元気に自己紹介をする。

 その目は何故かキラキラと美咲を見ていて、まるで何か憧れの芸能人を見ているような表情だった。


「ふーん、そう……それじゃ、大学受かったらあたしの後輩になるわけね?」

「え、美咲さんも先生と同じ大学なんですか!?」


 自己紹介から、いきなり名前で呼ぶ。

 女子高生の距離の詰め方ってすごいな……。


 そういえば美咲は僕と付き合い始めるまでは、僕のことはずっと「鈴木」呼びだったな、なんてことを思い出した。


 僕たちの前に回り込んでいた沢渡さんが、今度は美咲の横に並ぶように位置を移動した。


「じゃあ美咲さんも頭いいんですねー。勉強もできるし、可愛いし、羨ましいです!」

「そ、そう? それほどでも?」

「ね、ね、美咲さんは高校の時どうやって勉強してたんですか? ていうか美咲さんと先生っていつから付き合ってるんですか?」


 ぐいぐいと美咲に詰め寄っていく沢渡さんに、美咲も若干たじろぎながらも答えていく。普段美咲はどちらかというと沢渡さんみたいにぐいぐいといく側なのだけれど、自分がされる側になると弱いらしい。


 まあ、美咲はだから、この結果もさもありなん、というところかもしれない。


「勉強はユートと一緒にしてたの。ユートって勉強教えるの上手くて、あたし最初は今の学校の合否判定酷かったんだけど、ユートに勉強教えてもらって成績上がってったのよね」

「あー、先生って勉強教えるの上手ですよね! 私も塾で教えてもらってるんですけど、たまに他の先生になると言ってること意味わかんない! って思うことあって、でも鈴木先生の時はそういうことないんですよ」

「そうそう。それで、こっちが詰まってるところがあったらユートが気づいてくれて、『僕もわからないから、一緒に復習しようか』って言ってくれて、一から教えてくれるの。あの時はホントに助かったなぁ……」

「えー! いいなあ、その距離感! 私にはそんなこと言ってくれないですよ先生!」


 そんな会話をする二人に、僕は思わず「いや、言う訳ないでしょ塾の生徒に」と口を挟んでしまう。


 お金を貰って勉強を教えている立場の人間が、高校生の範囲の問題を「わからない」なんて言ったらそれこそ問題だと思うのだけれど。


「彼女さん限定の対応ってわけですか……ふむ」

「いや、その時はまだ付き合ってなかったから」

「ていうか先生と美咲さんって同じ高校だったんですか? 一緒に勉強してたってそういうことですよね?」


 沢渡さんが美咲に尋ねる。というか沢渡さん、僕には普通に喋るのに美咲には敬語を使うんだね。


「うん、そうだよー。あたしとユートは高校の時から一緒で、付き合い始めたのは去年からなんだけど、それまでも仲良かったんだよね。だから勉強も教えてもらってたってわけ」

「えー! いいなぁ……青春だなぁ……羨ましいです!」


 純粋にキラキラした視線を美咲に向ける沢渡さん。

 そんな視線を受けた美咲は、少し照れくさそうな顔をしながら、僕の耳に再び口を寄せて囁いてきた。


「ねぇ、どうしよ、ユート。この子めちゃくちゃいい子じゃない……?」

「うん、まぁ……悪い子だと思ったことはないけど」


 どうやら美咲はこの短いやり取りの中で、沢渡さんのことを気に入ってきたらしい。最近の美咲は結構知らない人との間に壁を作ることが多くて、こうやって初めて会った人のことを評価するのは珍しいことだった。まぁ、昔も壁はなかったけれど、評価をすることもなかったのだけれど。


「ねぇ、里香ちゃんは好きな人はいないの?」


 美咲が沢渡さんに尋ねる。いきなり下の名前呼びなのは、向こうが下の名前で呼んでいるからと、沢渡さんのことが気に入ったからだろう。基本美咲は自分の友達とかはみんな下の名前で呼ぶ。沢渡さんもその枠に入ったということなのかもしれない。


「んー……いるにはいますよ? いますけど……」


 沢渡さんはそう言うと、意味深にちらりと僕の方を見た。


 それを見て、美咲がぴしりと石造のように固まった。


 夏なのに、何故だか背筋が寒くて鳥肌が立つ。


 不快感を伴った雫が一つ、僕の頬を伝った。

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