EX.僕とアルバイトとガーディアンエンジェル1

「ね、先生! 先生って彼女いるの?」


 今どき珍しいセーラー服を着たウルフカットの女子高生が、僕にそんなことを聞いてきた。瞳は大きくくりくりと人懐っこそうで、右手にはシャープペンシルを、机の上には数学のワークが開かれて置かれていた。


「突然何? 授業中に聞くことじゃないでしょ、それは」


 彼女の質問に答えず、授業に集中するように促す。


 ここは個別指導塾の教室で、僕はそこの講師。彼女は僕の受け持つ生徒だ。


「授業中じゃなかったら答えてくれるの?」

「沢渡さん、ワークの手が止まってるよ。まじめにやろうね?」


 僕は、大学二年生に上がってから個別指導塾の講師のアルバイトをしていた。






「え、ユート、バイト始めるの?」

「うん。お金がほしいからね」


 大学二年生に上がってすぐ、僕は美咲にアルバイトを始めることを相談していた。別に僕個人の話だから僕が勝手に決めてもよかったのかもしれないけれど、僕が勝手にアルバイトを始めることで一緒に住んでいる美咲に迷惑がかかるかもしれないと考えたら、やっぱり美咲に相談しないという手はなかった。


 だから、どこでアルバイトをするのかを決めるのも含めて、最初からその旨を美咲に告げて、一緒に考えていた。


「でもあたしたち、こう言ったらなんだけどママたちからの仕送りで十分やっていけてるし、あたしもユートもそんなにお金使わないじゃん? バイトする必要ある?」


 そんな感じで美咲は最初僕がアルバイトをすることに難色を示していた。


「ユートがバイト始めちゃったら二人でいる時間減っちゃうじゃん。こーんなに長い時間一緒にいられるの、大学生の間だけだよ? 就職したら二人の時間減っちゃうよ? 今から減らさなくたっていいじゃん……」


 悲し気に目を伏せる美咲に、僕の決意も折れそうになったけれど、僕にもアルバイトを始めようと決心した理由がある。

 もちろん僕だって美咲との時間が減るのは残念だという気持ちはあるし、美咲が言っている「こんなに長い時間一緒にいられるのは大学生の間だけ」という弁も理解できる。


「美咲、でもね? 僕も甲斐性みたいなものはちょっとは気にするし、やっぱり夏、冬って美咲と過ごす中ででお金が必要でしょ? 普段の生活は親に貰ってる仕送りで十分だけど、自分たちで遊ぶ分は自分たちで稼がないと」

「旅行……お泊り……お泊り? ――あ♡」


 お泊りで美咲が何を想像したかは、まあ僕らはその辺りに関しては似た者同士だから、あえて何も言わないけれど。

 大学生にもなって遊ぶお金も親に見てもらうなんてことはしたくないし、社会的な経験も積んでみたいという思いもある。


 大学一年の頃はちょっとお金を使ったのは秋に行った旅行くらいで、それも普段の仕送りを少しずつ貯めて作ったお金で行ったのだけれど、今年はもっといろんなことをしたいし、行きたいから、お金は必要だった。


「でも、それならユートだけじゃなくてあたしもバイトした方がよくない?」

「バイトでできることで完全に男性と関わらなくていいって難しくないかな?」

「別に触んなきゃ平気だし、逆にバイト中べたべた触ってくるやつなんていないでしょ」

「そうかもだけど、そうじゃないかもしれないし……ただの心配性かもしれないけど、やっぱり美咲には無理してほしくないかな」

「もー……過保護なんだからぁ」


 ちょっとニヤついた顔で文句を言う美咲。


「まあ、遊びに行くお金が欲しいっていうのは本当だけど、そんなに散財するつもりでもないし、美咲との時間を極端に減らすってわけでもないからさ。そんなの僕だって嫌だし。ただ、季節ごととか、節目のイベントごととか、自分たちのお金で大手を振って楽しめるようにって、それだけだよ」

「むー……わかった。それで、ユートはどこでバイトするつもりなの?」

「ありがとう、美咲。一応個別指導塾の講師をやろうかなって考えてるよ。教員のための経験にもなるかなって思って」


 そうして、僕は駅前の個別指導塾でアルバイトを始めることにしたのだ。


 基本的には、それまで美咲が美咲だけで友人たちと遊びに行くことが多かった曜日にシフトを入れてもらうようにしたから、そこまで美咲と過ごす時間が減ったわけではないけれど。


 そういえば、部屋にいるときの美咲の定位置が僕の膝の間になったのも、僕がアルバイトを始めた時期くらいからだったなと思い出したりもした。






 アルバイトを始めたのが進級してからすぐで、今は夏だから、もうかれこれ四か月くらいは講師として働かせてもらっている。アルバイト代は月に数万程度だけれど、少しだけ時々発生するに使う以外は、基本的には貯金している。


 そろそろアルバイト先の塾では夏期講習の時期で、授業のコマ数が増えるからアルバイトとしては稼ぎ時なのだけれど、美咲と過ごすためのお金を稼ぐために美咲と過ごす時間をごっそり減らしてしまうのは本末転倒なので、僕は夏期講習中もいつもと同じようなシフトしか入れていなかった。

 自分にとって何が大事かなんていうのを見失ってはいけない。


 アルバイト先の塾は個別指導塾なのだけれど、固定の講師と生徒という関係ではなく、だいたい同じ講師が同じ生徒を見るけれど、講師と生徒の都合が合わなければ別の講師と生徒の組み合わせにもなるよ、という緩い固定なので、夏期講習中に僕の見ている生徒がたくさん授業をとっていても、基本僕には関係ない。


 塾長からは「夏期講習中集中してシフト入れないかな……?」なんて聞かれもしたけれど、丁重にお断りを入れておいた。


「鈴木先生、ここわかんない」

「どこ? ああ、これはね――」


 今授業をしている沢渡里香さんは、僕が大体いつも見ている生徒の一人だ。


 今年高校三年生の受験生で、志望校は僕と同じ大学らしい。僕が勤め始めた時と同じくらいに入塾してきて、それ以来ほぼ僕がずっと授業を見ている。


 今どきの女子高生らしくふわっとして、少し軽いノリがあるところもあるけれど、基本的には真面目に熱心に授業を聞いてくれて、僕も教えるのが楽しい生徒だったりする。


 個別指導塾の授業は一コマ一時間あるので、その間中ずっと集中して勉強をするっていうのもしんどいから、ところどころ雑談とかも交えつつ授業をする。彼女は話をするのも聞くのも好きなタイプらしく、雑談に花が咲いてしまうこともあるから、そこの切り替えが重要だったり。


 沢渡さんも僕の授業を気に入ってくれているようで、塾が受験生や希望する生徒に向けて、また全生徒に三か月に一度実施する塾長との保護者と生徒の三者面談でも、是非鈴木先生との授業をこのまま継続してほしい、と希望してきたらしい。


 こういうのは普通僕たち講師には知らされないのだけれど、これについては沢渡さんが直接僕に伝えてきたので、塾長から聞いたわけではない。


「今日の授業はここまでだね」


 授業終わりのチャイムが鳴ったところで、沢渡さんにそう告げる。


「はー、疲れたー!」


 筆記用具や参考書、ワークなどを片付けながら、彼女が声に出して疲れを表現してきた。

 僕はその日の授業日報を書きながら、沢渡さんに「お疲れ様」と声をかけた。


「ねぇ先生。夏期講習全然先生の名前ないけど、なんで? こういうのって先生とかみたいなバイトからしたら稼ぎ時じゃないの?」


 純粋に不思議そうな声で沢渡さんが聞いてきた。僕はそれに日報を書く手を止めることなく答えた。


「アルバイトより大事なことがあるからね。普段のシフトと同じ時間には入ってるし、その時は沢渡さんとの授業だよ」

「ふーん……やっぱり、彼女さん?」

「まぁ、そうだけど」


 アルバイトより、美咲と過ごす時間の方が大事だし。それに、夏期講習の期間に美咲と海に行くことになっている。アルバイトなんてしている場合ではないのだ。


 そんな思いの僕をよそに、僕が素直に答えたことが意外だったのか、沢渡さんが驚いた顔で日報を書く僕の顔を覗き込んできた。彼女の授業は今日の最後のコマで、周りに人が少ないから誰も見ていないけれど、少し顔が近づきすぎな気がした。


「え、めっちゃ素直に答えるじゃん。さっきは答えなかったのに」

「さっきは授業中。今は違う。それだけだよ。別に僕は彼女がいることを隠してるわけじゃないし」


 日報を書き終えてファイルを閉じる。


「フーン……やっぱり彼女いるんだ。意外……でもなんでもないか。先生モテそうだし」

「今まで、今の彼女以外に女の人に好きって言われたことないよ。それでモテそうなら、世の中の大半の男はモテそうなんじゃない?」

「モテる、とモテそう、は違うじゃん? てか、先生の彼女ってどんな人なの?」

「はいはい、もう帰ろうね。子どもは寝る時間だよ」


 僕がそう言って座っていた椅子から立ち上がると「先生と私なんて二つしか違わないじゃん!」なんて抗議が聞こえてきたけれど、それもいなして沢渡さんの帰り支度を進めさせた。


 僕は日報を書いたファイルを棚にしまうと、講師用の控室に入って、荷物をまとめて部屋を出る。沢渡さんはもう姿が見えなくなっていて、ようやく帰ったんだなと一安心。

 塾長に「お疲れさまでした」と挨拶して塾を出る。個別指導塾の最後のコマは夜の十時前に終わるので、外はすっかり暗くなっていた。


 昼間の照り付ける太陽に肌を焼かれるような暑さは鳴りを潜め、けれども肌にぬめりつくような熱帯夜特有の厚さを肌で感じる。


「あー、先生! やっと出てきた! ……うん?」

「ユート、お疲れ様! ……んぇ?」


 何故か塾の出入り口に、沢渡さんと美咲が待ち構えていた。お互いがお互いに今存在に気が付いたかのように、僕に声をかけた後に顔を見合わせている。


 ……いや、なんで?











何話か続きます。たぶん。

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