EX.僕の彼女と夏祭り
夏になって、大学が夏休みになった。
大学の夏休みは二か月近くあって、大学生は各々自由な時間を過ごす。バイトをしたり、実家に帰省したり、友人と遊びに行ったり、恋人と過ごしたり。
僕と美咲は一緒に住んでいるから、当然だけれど夏休みも一緒に過ごしている。お盆には一度お互いの実家に帰ろうねなんて話もしながら、七月の今はまだ二人の時間をゆっくりと堪能していた。
「ユート、今年はさ――夏祭り、行ってみない?」
相変わらず僕の膝の間でまったりとしていた美咲が、スマホの画面を僕に見せながらそんな提案をしてきた。夏だしくっついてたら暑くない? なんて聞いたけれど、美咲曰く「暑さとユートを天秤にかけるまでもない」ということらしい。
「夏祭りかぁ。僕は良いけど、美咲は大丈夫なの?」
美咲はいまだに僕以外の男に触ることができない。カウンセリングの成果は出ていて徐々に徐々に良くはなっているのは確かだけれど、まだ完全に治っているわけではないから、やっぱり男に触ってしまうと体調を崩してしまう。
いきなり吐き出すとか、倒れるとか、そんなことはなくなったけれど、それでも体調を崩して休憩が必要になってしまうのは相変わらずなので、夏祭りみたいな人がたくさんいて知らない人と触れざるを得ないところにはまだまだ行けないだろうな、と思っていたのだけれど。
「ちょっとはよくなったし。ユートに抱き着いてればたぶん大丈夫♡」
「本当に……? まぁ、美咲がそう言うなら挑戦してみようか」
夏祭りに行って駄目そうだったら入り口で引き返そう。
そう考えつつ、せっかく美咲が前向きに人混みに行く気になっているのだから、その決意を否定してしまうものでもないな、という思いもあって。
「駄目だったら僕の言うことを必ず聞いて、ちゃんと諦めること。ちょっとでも無理するのは禁止だよ? それが守れるなら行こうか」
「やった! アリガト、ユート! 大好き♡」
そう言って僕の腕を抱きしめて甘えてくる美咲に「僕も好きだよ」と返しつつ、美咲の肩に顎を乗せて美咲のスマホの画面が見れるようにする。
美咲のスマホの画面には近くの夏祭りの情報が載っていた。
そういえば去年もやっていたな、とぼんやり思い出しつつ、けれどもその日は外出もしていなかったからどれだけ人がいたかもわからず。
まぁ、地元の夏祭りみたいだから、有名な祭りほど人もいないだろうし美咲のリハビリ場所には案外向いてるかもな、と思ったりもした。
この夏二人で海に行く約束もしているし、この夏祭りを一緒に過ごせたら海も何の問題もなく遊べるだろうし。
そう考えつくと、僕も俄然夏祭りに乗り気になってきた。
せっかくだし、ちゃんと二人の思い出になるように楽しもう。
夏祭りの当日、僕と美咲は夕方になって一緒に家を出た。二人で一緒に暮らしているし、美咲がどんな荷物を持っているかは僕もほぼすべて知っているから、美咲が浴衣を持っていないのも知っていた。
「浴衣も着たかったけど、海にも行くし、旅行にも行きたいし、ちょっと節約しないとね」
と美咲が言ったので、新しく買うようなこともしなかった。でも個人的に美咲の浴衣姿は見たいから、来年は着てもらうようにしよう、なんて思ったりもした。
人が多い場所に行くにあたって、美咲の素肌に直接男の肌が触れないように、美咲には長袖のサマーカーディガンを羽織ってもらった。下は相変わらず足の見えるショートパンツだったけれど、その下に黒いストッキングを履いていて、上下ともにいきなり素肌が触れ合うみたいなことのない服装になっていた。
「あー♡ ユート、あたしの黒スト姿いやらしい目で見てるー♡」
「いや、だって……美咲の足長くて綺麗だし、仕方なくない?」
「えー? そんなこと言うんだー。――アリガト、うれし♡」
なんて会話をしながら、美咲が僕の腕をいつものように胸に抱いて、夏祭りの会場まで移動する。
日はもう傾いてて直射日光が当たるようなことはないけれど、相変わらずの猛暑で気温はとても高い。けれども、美咲は僕の腕を離すようなことはしなかった。
美咲と電車に乗って、一駅分。
夏祭りに行くだろうなって姿の人が結構乗っていて、いつもより人が多かった。
幸い満員電車というほどでもなくて自分たちのスペースは確保できたけれど、これは帰りの時間は少しずらしたほうがいいかな、なんて思ったりもしつつ。
僕と美咲は夏祭り会場の入り口まで到着した。
「どう? 美咲。大丈夫そう?」
「うん……たぶん、行けると思う」
僕たちは少し早い時間に出てきたからか、夏祭りの会場にはまだそれほどたくさんの人がいる、というわけではなかった。とは言えさっきの電車でも夏祭りに向かう人がいたように、これからどんどん人は増えてくるだろうし、今も少しずつ人が集まってきている。
「駄目そうだと思ったらすぐに僕に言うこと。それと、僕が駄目そうだと思ったらすぐに声をかけるから、その時の僕の言うことは必ず聞くこと。いい?」
「うん……ごめんね、こんな彼女で……」
僕の言葉に「迷惑だよね?」なんて美咲が付け足して。悲し気に目を伏せてしまったから、僕は美咲の腕に抱かれている手とは逆の手を美咲の肩に置いて、美咲と目を合わせるようにしっかりと見据えた。
「迷惑だなんて思ったことないよ。美咲は頑張ってるし、僕はそれを応援してる。だから今日だってここに来たんだ。美咲に無理はしてほしくないけど、美咲に自分を卑下してほしいわけでもない。自分で自分のことを蔑んだら駄目だよ」
美咲が男に触れなくなってしまったのは、それまでの美咲の生き方と考え方、それとその当時の美咲の想いとか、いろいろなものが重なってしまって、言ってしまえば僕の触れることのできない美咲自身の問題だったのかもしれないけれど、今美咲がカウンセリングに通って、前向きに治療に取り組んでいることは美咲と僕の問題だ。
だから、このことについて僕に美咲が謝るなんてことはしなくていいし、してほしくない。
「ね? 美咲。僕はどんな美咲でも好きだって言ったよね? それは今の美咲だってそうだよ。だから、今日はもう謝るのは禁止。わかった?」
僕がそう言うと、美咲はちょっと泣きそうになっていたけれど、それを何とかこらえると、僕に抱き着く力を強くしてこくりと頷いた。
「アリガト、ユート……。あたし、今日頑張るね?」
「頑張って無理したら元も子もないし、頑張らなくてもいいんだよ?」
「もー、難しいこと言うなぁ……」
そこで美咲はクスっと笑ったから、僕も安心して少しだけ笑った。
それから二人して、夏祭りの会場を歩き始めた。
二人してくっつきながら、夏祭りの会場を練り歩く。
焼きそばやフランクフルト、から揚げとかフライドポテトみたいな食べ物の屋台が並び、それとは別にりんご飴やチョコバナナ、ベビーカステラなどのスイーツの屋台が並ぶ。
かき氷の屋台なんかは人がたくさん並んでいて、とても忙しそうにしていた。
「ユート、あれ! ヨーヨー釣り! あれやろ!」
片手でチョコバナナを食べつつ美咲が僕をぐいぐい引っ張っていく。
幸い美咲は夏祭りで人が増えてきても体調を崩すことはなく、屋台で食べ物を買って食べたり、投げ輪や射的みたいな夏祭りの定番を楽しむ余裕もあった。
僕も常に美咲のことを見ていて、美咲が人に触れそうになったらクイっと引っ張って除けさせたり、美咲を屋台の傍を歩かせて、僕が人混み側に回ったり、最低限の手助けをしている。
もちろん油断はできないし、普通に遊ぶよりも気を遣うことは多い。
それでも、こうやって二人で人の多いところで遊べるのは、とても大きな進歩だと思う。美咲がこれまでちゃんとカウンセリングを受けて、治そうと努力してきたおかげだ。
「おじさん! 一回お願い!」
ヨーヨー釣りの屋台まで行って、美咲が一回分の料金を払う。
小さな簡易プールにはたくさんの水風船が浮かんでいて、美咲は屋台のおじさんからすぐに切れるあの釣り針のついた紐を受け取っていた。
「はい、ユート」
受け取った紐を美咲は僕に渡してきた。
いきなり渡されたそれを、いきなりすぎて頭が追い付かずにそのまま受け取ってしまう。
「……美咲がやるんじゃないの?」
「あたしさっき射的やったしー。ユートがやってるとこ見たいな♡」
チョコバナナを片手に持ちながら可愛らしく見つめてくる美咲に、僕は苦笑いをしながら「こういうのは美咲の方が得意だと思うんだけど」と零した。
「とれなくても知らないよ?」
「だいじょぶだいじょぶ。ユートならできるよ!」
僕はこういうことは苦手で、というか体を動かすスポーツのようなものが苦手で、これはスポーツではないけれども、さっきも言った通り美咲がやった方がいい結果になるのは目に見えている。
だから僕はひもを渡されてもあまり乗り気ではなかったのだけれど、美咲から「頑張れー♡」なんて可愛らしく言われてしまうと、僕も気合を入れてやらざるを得ない。
好きな女の子の応援一つで、苦手なものにも気合を入れて取り組む。
僕はだいぶ単純な男だった。
夏祭りの締めは花火大会だ。
この夏祭りでも、規模の割には花火大会をやるらしく、祭りも最後の方になると人がさらに増えてくることになった。ちなみに水風船は取れなかった。
「うーん……流石に花火大会の会場に行くのは無理だね。人が多すぎる」
「そうだね……。見たかったけど、まぁしょうがないかー」
僕たちは地元の人間でもないし、この祭りに来たのも初めてだから、当然だけれど穴場のスポットなんて知らないので、会場に行かなければ花火がまともに見れる場所なんて知らなかった。
だから、花火大会を間近で見ること自体は早々に諦めたのだけれど、それでもちょっとは雰囲気を味わいたいよねってことで、夏祭りの会場にほど近い神社で休憩しながら花火の音だけでも聞こうか、なんて話をして、二人で神社まで歩いた。
「夜の神社ってちょっと不思議な雰囲気があるよね」
「わかるー! なんだろう、カミサマがいそうな感じ? わっかんないけど、なんか特別感ある!」
夜の神社には僕と美咲以外、他の人影がなかった。
神社まで来て、お賽銭を入れて、二人して神様にお祈りをする。
神様に対しては、お願い事を言うのではなく、日頃の感謝を伝えるのが本当の参拝らしい。もちろんそんな細かいことを気にする必要はなくて、お願い事を言ってもいいのかもしれないけれど、僕は神様には感謝を伝えることにした。
――僕と美咲を会わせてくれてありがとうございました。おかげで今、僕はとても幸せです。これからも美咲のことをよろしくお願いします。
……あれ? 結局お願い事を言っているな?
「ユートはどんなことカミサマに伝えた?」
お祈りが終わった後、美咲がそう尋ねてきた。
「美咲と会わせてくれてありがとうって。それとこれからも美咲をよろしくって言っといた」
僕がそう返すと、美咲が嬉しそうに「そっか」と呟いた。
「あたしもユートと同じことカミサマに伝えてた。ユートと会わせてくれてありがとうございます! おかげであたしは今めちゃくちゃ幸せです! これからもユートのことお願いします! って。えへへ……ちょっと恥ずかしいね?」
「うん……そうだね」
僕と同じことを美咲も思ってくれていた。
それが嬉しくて、同じことを神様に伝えてて、神様にすらバカップルだなって思われないかな? なんて変な心配もして。
そうしたら、遠くの方から火薬の弾ける、花火の音が響いてきた。
「花火始まったんだ」
「そうみたいだね。ちょっとそこの境内を神様からお借りして、休憩しよっか」
僕と美咲は、賽銭箱の向こう側にある境内に二人寄り添って腰を下ろした。
それから二人で他愛のない会話をする。夜の神社に、僕たちの声と花火の音だけが響いていた。
「ね、ユート。夏祭り大丈夫だったし、海も大丈夫だよね? せっかく水着買ったし、楽しみだな」
「僕も、美咲の水着姿楽しみだな」
「もー……この間見せたじゃん。えっち♡」
「そっちじゃなくてさぁ……あの水着は可愛かったけど」
会話をしながら、僕と美咲の顔の距離はどんどん縮んでいって。
「ユート……好き。ずっとずっとあたしの傍にいて。――ね?」
「もちろん。美咲……好きだよ」
「ん……ちゅっ♡」
僕たちは、神様の前でキスをした。
この約束を、神様に見守ってもらうように。
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